第13話 ここが私の居場所
忙しさは、いつの間にか日常になっていた。
朝、執務室に入り、資料を確認する。
昼は関係部署との打ち合わせ。
夜は、殿下と共に数字を精査する。
どれも、特別なことではない。
けれど。
私は、久しぶりに「時間が過ぎるのが早い」と感じていた。
「エリシア」
名を呼ばれるたびに、胸が少しだけ軽くなる。
それは、命令ではない。
責任を押し付ける呼び方でもない。
ただの、必要とされている合図。
その日、私は小さな失敗をした。
報告書の提出時間を、半刻ほど過ぎてしまったのだ。
「申し訳ありません」
私は、すぐに頭を下げた。
殿下は、書類を受け取りながら言う。
「理由は?」
「別件の確認に時間を取られました」
「なら、問題ない」
それだけだった。
叱責も、疑いもない。
以前なら、考えられなかった対応だ。
私は、ふと気づく。
――失敗しても、ここから追い出されない。
その事実が、思った以上に心を支えていた。
昼下がり、近侍のマリエルが声をかけてきた。
「最近、顔色がいいわね」
「……そうでしょうか」
「ええ。前は、ずっと張りつめていたもの」
図星だった。
私は、常に「間違えないこと」に意識を向けていた。
今は、「より良くすること」に集中できている。
「ここ、居心地いい?」
唐突な問い。
私は、一瞬だけ迷ってから答えた。
「……はい」
その言葉は、自然に出てきた。
マリエルは、小さく笑った。
「それなら、しばらく安心ね」
「?」
「人は、居場所を見つけると、簡単には折れないものよ」
その通りかもしれない、と思った。
夕方、殿下と二人で資料を確認していると、ふとした沈黙が訪れた。
「……エリシア」
「はい」
「無理はしていないか」
その問いに、私は少し考える。
「忙しいですが、苦しくはありません」
正直な答えだった。
「そうか」
殿下は、それ以上踏み込まない。
距離感が、心地いい。
窓の外では、王都の空が夕焼けに染まっていた。
かつて、あの景色を見ながら、
私は“自分がここにいていい理由”を探していた。
今は、探していない。
ただ、ここにいる。
それでいいと、思える。
「……殿下」
「どうした」
「ありがとうございます」
理由を詳しく言う必要はない。
殿下は、少しだけ目を細めた。
「礼を言われるようなことはしていない」
「いいえ」
私は、静かに首を振る。
「ここにいさせてくださったこと、それ自体が」
殿下は、何も言わなかった。
ただ、肯定するように、頷いた。
その夜、私は自室に戻り、窓を開けた。
夜風が、心地よい。
もう、怯えていない自分がいる。
追い出される不安も、
不要だと言われる恐怖も。
完全に消えたわけではない。
それでも。
私は、確信していた。
――ここが、私の居場所だ。
少なくとも、今は。
そして、この場所を、
簡単に失うつもりはない。
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