第12話 信頼という契約
その日、私はいつもとは違う場所へ案内された。
王宮の中枢に近い、小さな会議室。
出入りする者は限られており、壁際には鍵付きの書架が並んでいる。
「ここは、私の私室に近い場所だ」
ルシアン殿下が、静かに言った。
「公には使っていない」
それだけで、この場が持つ意味は十分に伝わってくる。
「……私が、ここにいてもよろしいのでしょうか」
「だから呼んだ」
殿下は、迷いなく答えた。
「君には、これから“知らなければならないこと”がある」
机の上に、数枚の資料が置かれる。
それは、これまで私が扱ってきた帳簿とは、質が違っていた。
未整理の数字。
矛盾を含んだ報告。
そして、明らかに意図的な欠落。
「これは……」
「第一王兄の管轄下で起きている問題だ」
殿下の声は、淡々としている。
「まだ表には出ていない。だが、放置すれば国に傷が残る」
私は、資料に目を走らせる。
不正と呼ぶには、証拠が足りない。
だが、偶然で済ませるには、不自然すぎる。
「……隠されていますね」
「そうだ」
殿下は、頷いた。
「私は、正面から争うつもりはない。だが、見逃すつもりもない」
視線が、私に向けられる。
「君の視点が必要だ」
その言葉に、胸がわずかに引き締まる。
これは、単なる仕事ではない。
王位継承を巡る、静かな戦いの一部だ。
「私が関われば、殿下の立場は……」
「危うくなる?」
殿下は、静かに笑った。
「すでに危うい立場だ。第二王子というのは、そういうものだ」
冗談めかしているが、事実でもある。
「だからこそ、契約を結びたい」
「契約……?」
「信頼の、だ」
殿下は、はっきりと言った。
「君が見たこと、知ったことは、私の許可なく外に出さない」
「はい」
「代わりに、私は君を守る」
その言葉は、誓いではなかった。
条件の提示。
だからこそ、重い。
「……私は」
私は、資料から顔を上げた。
「私の判断が、殿下の立場を悪くする可能性を理解しています」
「理解しているなら、十分だ」
殿下は、即答する。
「私は、君の判断を信じる」
胸の奥で、何かが静かに鳴った。
これまで、誰かの判断を“補佐”することはあっても、
自分の判断を信じられたことは、ほとんどなかった。
「……分かりました」
私は、深く息を吸う。
「その契約、受けます」
殿下は、ゆっくりと頷いた。
「歓迎する」
それだけの言葉なのに、不思議と背筋が伸びた。
その日から、私の仕事は変わった。
表に出ない数字。
説明されない決定。
誰も触れたがらない問題。
それらを、殿下と共有する。
「……この配置、意図的ですね」
「気づいたか」
「はい。偶然ではありません」
夜遅くまで、資料を突き合わせる日も増えた。
けれど、不思議と疲労は少ない。
理解されている。
判断を、任されている。
それだけで、人は前に進める。
作業の合間、殿下がふと口にした。
「君は、自分の価値を低く見積もりすぎだ」
私は、少し考えてから答えた。
「……慣れてしまっただけです」
「なら、少しずつ変えればいい」
穏やかな声。
「ここでは、君は一人ではない」
その言葉は、約束でも慰めでもなかった。
ただの、事実の提示。
私は、静かに頷いた。
この場所で、私は――
もう、部外者ではない。
信頼という契約が、確かに結ばれた瞬間だった。
ここまでご覧いただきありがとうございます。
明日からは1日1話の投稿予定です。
ブックマークをして、続きを楽しみにお待ちいただけると嬉しいです。




