第11話 不穏な視線
違和感は、数字よりも先に、人の感情に現れる。
「最近、報告書の内容が細かくなっていませんか」
第一王子アルノルト殿下の執務室で、側近の一人がそう口にした。
「以前は、もっと大雑把でも問題なかったはずですが」
「……確かに」
アルノルト殿下は、机の上の書類に目を落とす。
どれも致命的な不備はない。
だが、以前よりも確認事項が増えている。
「確認に時間がかかるな」
「はい。現場からの問い合わせも増えています」
それは、悪いことではない。
むしろ、組織としては健全な兆候だ。
だが――
「なぜ、今になってだ」
アルノルト殿下は、苛立ちを隠さなかった。
これまで、政務は“自然に回っていた”。
今は、そうではない。
「第二王子の管轄で、いくつか管理方法を変えたと聞いています」
側近が、慎重に言う。
「大きな改革ではありませんが、効率は上がっているようです」
「……小賢しい」
アルノルト殿下は、吐き捨てるように言った。
「そんなことで、評価が動くわけがない」
そう言い切りながらも、胸の奥に引っかかるものがある。
――なぜ、今まで誰も気づかなかった?
その疑問は、別の疑問を連れてくる。
――誰が、やっている?
「……調べろ」
短い命令。
「第二王子の周辺で、最近動いている人間を」
「承知しました」
側近は一礼し、部屋を後にした。
一方、その頃。
私は、自分の執務室で、静かに作業を続けていた。
北部倉庫の改善は、次の段階に入っている。
小さな調整。
現場からの声を拾い、微修正を重ねる。
派手さはない。
だが、確実に“楽になる”。
「……これで」
帳簿を閉じ、息をつく。
ふと、視線を感じて顔を上げた。
廊下の向こう。
誰かが、こちらを見ていたような気がした。
気のせいだろうか。
私は、首を振って作業に戻る。
まだ、警戒される段階ではない。
そう、思っていた。
その日の夕方、ルシアン殿下が静かに告げた。
「第一王兄が、こちらを探り始めている」
私は、手を止める。
「……私のこと、でしょうか」
「まだだ」
殿下は、即答した。
「君が直接目に入るほど、表に出ていない」
それは、安心であり、同時に不安でもあった。
「だが、時間の問題だ」
殿下は、穏やかな口調で続ける。
「だからこそ、焦らない」
「はい」
私は、頷いた。
目立たない。
主張しない。
結果だけを積み上げる。
その方針は、変わらない。
夜、王宮の廊下を歩いていると、遠くで声がした。
「……最近、誰か増えた?」
「いや、特には」
「でも、雰囲気が違う」
その会話は、私の耳に届かないふりをして、確かに届いた。
視線は、少しずつ集まり始めている。
それでも、まだ――
私の名前は、出ていない。
不穏な気配が、空気に混じり始めた夜。
私は、自分に言い聞かせる。
――大丈夫。まだ、耐えられる。
けれど、その“まだ”が、長くないことを。
この時の私は、まだ知らなかった。




