冷酷非情な氷狼公爵……ですか?
雪が降り積もる北の王国には、氷狼公爵と呼ばれる騎士がいる。
シリウス=フェルガーディ……戦場に出れば百戦錬磨の剣の腕を持ち、部下を束ねる統率力を持ち合わせる稀代の名君だ。
月の光を思わせる銀の髪に、切れ長の青の瞳、一度目が合おうものなら世の女性を卒倒させる美貌。
そして、
「ひ、ひいい! た、助けてくれ! いやだ、死にたく、死にたくなッ――――――――」
「愚かにも我が公爵家に牙を剥いた。その咎、せめて貴様の薄汚い血で雪げ」
敵であるならば迷わず斬り捨てる冷酷さと、他者を寄せ付けない孤狼のような性格。
それが氷狼たる所以。
気に入らないことがあれば剣を抜き、女子どもであろうと暴力を振るうという噂さえ囁かれるほどには、彼は畏怖の対象だ。
私、ディーシア=カルテシウスは、そんな男性に見初められた下級貴族の令嬢。
「いいかディーシア。けして、かの氷狼の機嫌を損なうな。貴様は余計なことをせず、閣下の命令だけを聞いていればいい」
「まったく、なんでこんな子が婚約者に選ばれたのかしら。愚図なうえに容姿もみすぼらしい。パトラの方がずっと可愛らしくて気立てがいいのに」
父は公爵家と繋がりが出来たことを喜んだけれど、私の婚約を祝うつもりはまったく無い。
母の死後、後妻として迎えた継母と義娘の方がよっぽど可愛いらしい。
その継母も前妻の子である私には、「下品な赤毛の子」とキツく当たり、ほとんど使用人と同じ扱いを受けた。
縁談が決まった時も、義妹パトラを差し置いて……なんて私を叩いたくせに、公爵家の持参金を受け取ったときだけは上機嫌なんだから調子がいい。
「私いやよ。いくら顔が良くても、いつ怒るかもわからない野蛮人なんでしょ? そんな怖い人のお嫁さんなんて頼まれたってお断りよ。ま、お姉ちゃんにはこの先一生縁談なんか来るはずないんだし、泣いてありがたがったら?」
見た目と振る舞いこそ愛嬌があるパトラは、父と義母が私に辛く当たる様を見て、私のことはぞんざいに扱っていいという認識を得ていた。
「それにしても何故ディーシアに縁談など」
「どうせ気まぐれか、そうでなければ好事家なんでしょう。こんな子を選ぶくらいですもの。きっとすぐに愛想を尽かされるに決まってるわ。きっと何人も候補がいるうちの一人なのよ」
「そうなったとしても、愛人にでもなって縋り付け。公爵家との良縁を壊しでもしたら、貴様を我が家から追放してやるぞ」
追放?……こっちから頭を下げたいくらい。
向こうでも同じ扱いをされるかもしれないとしても、慰みものとして犯されるだけだとしても、居場所の無いこの家から離れられるならどうでもよかった。
そう思っていたのに。
「寒いな。もっと抱きつけ」
「はいはい。これでいい?」
「ん」
噂の氷狼公爵ですが、私の前ではチワワなんですよね。
北に居を構える冬の城に馳せ参じたとき。
「お初にお目にかかります閣下。ディーシア=カルテシウスと、むぐっ?」
挨拶が終わる前に抱きつかれて、有無を言わさず強引にキスされた。
「あ、あの、閣下……?」
「ずっとこの時を待ちわびていた」
呆気に取られ放心していたけど、シリウスの腕の中は、雪の寒さを忘れるくらいあたたかった。
冷遇は杞憂……それどころか、私の登城には厚遇に厚遇を重ねたもてなしがされた。
「寒くはないか? 腹は空いていないか? この花は好みか? ドレスはおれが選んだのだが気に入ってくれたか?」
「そ、それはもう」
「ならいい」
きらびやかな宝石に部屋が埋もれるくらいの花束、それにオーダーメイドのドレスがずらりと並ぶ。
全てシリウスが私のために用意したものらしい。
言葉の端々がキツいところはあるけれど、この方なんというか、褒められ待ちが透けて見えるんですけど。
「食事の際は隣に座れ」
「寝るぞ。手を繋げ」
「朝はキスで起こせ」
言うとおりにすると、一目ではわかりづらいものの、よくよく観察すればまるで尻尾を振っているかのように雰囲気を柔らかくし、ほんの少し表情を綻ばせる。
私はそんな彼をまるで小型犬……チワワみたいだと思った。
「閣下があんなに笑うの初めて見ました」
「奥様は愛されてらっしゃいますね」
愛されているというより、懐かれている、が正しい気がする。
もしくは、じゃれつかれている……?
執事や侍女たちはシリウスの態度に困惑していた様子だったけど、それもすぐに慣れたようだった。
「奥様、湯浴みの準備が整いました」
「ありがとう。でも奥様はやめて。まだ結婚もしていないのに」
私も私で、侍女たちと良好な仲を築けていて、家にいたときよりもずっと居心地が良い。
ただ執事や料理人の男性と喋ると、
「おれの妻に色目を使うとは、切り刻んで暖炉に焚べてやろうか」
血管を浮かび上がらせるくらい激怒するので、シリウスの前では控えるようにしている。
ちょっと嫉妬部下くて怒りっぽいところもまた、チワワみたいでなんだか可愛らしい。
登城して早数ヶ月。
その間、シリウスの溺愛は留まることを知らなかった。
疲れたと呼び出されれば公務中でも膝に乗せられ、遠征に行くとなれば、「ついてこい」と有無を言わさない始末。
それだけならいいけれど……
「いやだ。今日はディーシアの傍を離れない」
たまに仕事が嫌になって甘えたことを言うときがある。
そんなときはちゃんと叱る。
「あんまり困ったことを言うと、めっ、てしますよ」
婚約者といえど、正すときは正さなければいけない。
ただ……
「我儘なおれは嫌いか?」
このしょんぼりした目……絶世の美丈夫に上目遣いなんてされてしまったら、もう頬を赤らめるしかない。
「嫌い、では……ないです……」
冷酷非情な噂とは大きくかけ離れていても、見目は大層麗しいのだから、軽率にそんな顔をしないでほしい。
そのお顔を間近にされると、さすがに顔が熱くなってしまう。
「ディーシア、おれのことを好いているか?」
そしてこの直球な物言い。
本当にもう、この方は。
これだけ真っ直ぐな感情を向けられれば、私だってそうせざるを得なくなるというのに。
「好き……ですよ。シリウス……」
「ディーシア」
「ちょ、ちょっと! まだお仕事が……シ、シリウス? あっ……」
「愛してる、ディーシア」
「シリウス……。まだ婚約の段階なのに、こんなこと……」
「たとえ神であろうと、おれたちの愛を遮るのならば斬ってみせる」
だから、お顔がいいんですってばあなたは……
そんな表情で迫られたら……
まあ、ベッドに押し倒すのを許してしまう私もどうかという話であるけれど……
また数ヶ月が立った頃。
「私の実家に、ですか?」
「ああ。領地の視察ついでに挨拶に寄るぞ」
「挨拶とは……」
「正式に婚姻を結ぶ挨拶だ」
胸が熱くなる反面、私は気が重くなった。
私はあの家では厄介者だったから。
そのことをシリウスには話していない。
機会も無く、形だけの婚約ならその必要は無いと思っていた……けれど、彼が本当に私を思ってくれているのなら。
「シリウス……私……」
話しておかないといけない。
彼に隠し事はしたくない。
彼と対等であり続けるために。
「私は」
言葉を紡ごうとする私を、彼は優しく制した。
「大丈夫だ」
その穏やかな声が、私に言葉を飲み込ませた。
雪深い領地に到着すると、家族たちは薄汚れた期待で待ち構えていた。
「なんで私が出迎えなくちゃいけないの? めんどくさい」
「仕方ないのだ。すぐに終わるから我慢しなさい」
「あの子ったら、家を出てまで迷惑をかけるんだから」
だがその予想は、馬車が到着するや否や覆された。
シリウスは扉を開くと、迷いなく私を抱き上げたのだ。
「足元が冷えるな。おれの花嫁に雪を踏ませるなど許さん」
義母もパトラも言葉を失い、凍りついた。
父も私たちを見て一瞬ぎょっとした顔をしたが、すぐに取り繕ったように笑った。
「こ、これはこれは……閣下! ようこそお越しくださいました!」
父が深々と頭を下げる。
その横で、継母はわざとらしい笑顔を浮かべ、パトラは私を見て舌打ちした。
「お久しぶりねお姉ちゃん。随分と可愛がってもらってるみたいじゃない」
冷ややかな視線を向けられても、私は何も言い返さなかった。
その態度が気に食わなかったらしい。
加えて私が着飾っているのも、絶世の美男子の寵愛を受けていることも癪に障ったようで、ギリッと歯を食いしばった。
「何とか言いなさいよ! お姉ちゃんのくせに!!」
シリウスが私の頬にキスを落としたとき、パトラの顔が凍り付いた。
彼がパトラを一瞥すると、その色気に自らの幼稚さを知らしめられたかのように、パトラは羞恥で顔を赤くした。
玄関先でようやく私を降ろし、応接室にて改めて三人に向き直る。
「貴様らがディーシアの家族か」
「は、はい! はいっ、左様でございます!」
「今一度訊く。貴様らは、ディーシアの家族か」
シリウスは冷ややかな青の瞳を向けた。
まるで氷刃を突き立てられたように空気が凍りつく中、父はシリウスの質問に肯定の意を示した。
「そ、そのとおりで……」
「……そうか。ならば、おれと貴様らとでは家族の定義は異なるらしい。三度問う。偽りなく答えろ。我が妻を、粗末に扱った覚えがある者は誰だ」
「えっ……?」
そう問いかける彼の顔は、戦場での氷狼の顔だった。
その顔を見た瞬間、私は悟った。
彼は知っているのだ。
私がこの家でどう扱われてきたのか。
「ちょ、ちょっとお待ちください閣下! すべて誤解で……」
「誤解、だと?」
その一言に、空気が一層張りつめる。
「おれが何も知らないとでも思っているのか? お前たちがディーシアを貶め侮辱し奴隷のように扱ったことも、持参金に手を付け浪費したことも、全て調べがついている。それでも家族を名乗るのだから、貴様らの面の皮は相当厚いようだ。なあ、聞かせてくれ。いったいどういう了見なのか。おれの愛するディーシアをぞんざいに扱った貴様らに、おれはいったいどういう報いを与えればいい?」
彼の迫力に義母が膝をつき、父が蒼白になって震え出した。
シリウスの怒りを買うことの意味を、彼らは知っている。
「首を斬ってしまえばいいか? 骨も残さず灰にしてしまえばディーシアの憂いは晴れるか?」
「お、お許しください閣下!! これは、これは、その……」
ろくに言い訳も思いつかず、しどろもどろに言葉を紡ぐだけ。
「い、いやっ、いやぁ!!」
耐えきれなくなってパトラが泣き出した。
だがシリウスは意にも介さず冷たく言い放つ。
「罪は償わせる。だが、ディーシアが貴様らを赦すと言うなら手出しはしない。せいぜい赦しを乞うことだ。仮にもディーシアが生まれ育ったこの家の住人……義理は立ててやろう」
視線が私へと向けられる。
父と義母とパトラは、揃って私に懇願した。
「ディーシア、お前からも何とか言ってくれ!! 私たちは家族だろう!! ずっと一緒に暮らしてきたじゃないか!!」
食事を共にしたことも、一緒に出かけたこともない父。
「そうよ、家族なら助け合うのが当然でしょう!! 何のためにあなたを閣下の元に嫁がせたと思っているの!!」
自分の娘だけが可愛く、愛情の一欠片さえ抱くことのなかった義母。
「助けてよお姉ちゃん!! お姉ちゃんってば!!」
最後まで自分本位で人の痛みを知ることのない義妹。
私は三人に憐れみを抱きつつ、静かに首を振った。
「もういいわシリウス。ここにはもう、とっくに私の居場所なんて無いみたいだから」
シリウスは僅かに目を細め、私の頬に触れた。
「そうか。ならば帰ろう。ここよりもあたたかな冬の城へ」
縋る三人に振り返ることはない。
彼らの叫びは、冬の風が掻き消した。
「ディーシア」
「……なに?」
「この雪が溶ける頃に式を挙げよう。お前を、正式におれの妻にする」
「……はい」
氷狼公爵……冷酷非情と畏れられた男が、私の隣で微笑んでいる。
そっと彼の胸に額を預ける。
雪の静寂の中で聞こえる鼓動が、まるで狼の遠吠えのようにあたたかく響いていた。
その後、カルテシウスの屋敷が没落したことを風の噂で耳にした。
領地の経営が上手くいかなくなった父は、違法賭博に手を出し散財して、屋敷を手放さなければならないところまで負け込んだらしい。
しかも国に納めるはずの税にまで手を付けていたことで法の介入は免れず、爵位と領地を返納し、今では身分を奴隷とし、片田舎で炭鉱夫として働いているようだ。
義母は領地の経費を不正に操作していた記録が残されていた。
家具や屋敷の内装の修繕費を三重に計上、領主夫人の嗜好品を孤児院への寄付として記録するなどして私腹を肥やしていた。
彼女もまた父と同様に罰を下された。
奴隷となった義母は、炭鉱夫たちの慰み者として罪を償うことになるらしいけれど、計り知れない苦痛の中で生き続ける想像はあまりに惨く、私は思考を放棄した。
「パトラは……」
そして、義妹……彼女はどうにも奔放な性格だったようで、何人もの男性と関係を持っていた醜聞が白日の元に晒された。
数度の堕胎を繰り返し、貴族社会を混乱させた罪として、男性との関わりを一切絶った修道院での更生を命じられた。
本人は喚いて異議申し立てをしたけれど、むしろそれで済んだだけで充分温情に値する。
厳しい労働に明け暮れる毎日……あの子がどれだけ助けを乞い叫ぼうとも、誰もそれを聞き入れる者はいない。
カルテシウス家は取り潰しが決定し、屋敷は差し押さえられ、やがて人々の記憶からも薄れていくことだろう。
それらが彼らの自業自得なのか、はたまた何者かの介入があったのか……私には知る由もなく、そんな私もまた、今日というこの日、カルテシウスの名を脱ぐ。
「ディーシア=フェルガーディ」
「はい」
「貴方は生涯、夫シリウス=フェルガーディを愛することを誓いますか?」
「誓います」
神前にて純白を纏い誓いを立てる。
シリウスが唇を重ねた瞬間、熱で身体が沸騰しそうになった。
母を喪い、虐げられ、長く忘れていたぬくもりを取り戻したかのように。
「ねえシリウス」
「なんだ?」
「どうして、私を選んだの?」
彼はほんの少し頬を赤らめて囁いた。
「……一目惚れに理由が要るか?」
そこに氷狼の面影は無い。
ああ、本当に彼は……私の前ではチワワなんだから。
願わくばこの胸のときめきが永遠のものでありますように……と、私はもう一度口付けをした。
読んでいただきありがとうございますm(_ _)m
皆さんは三連休を楽しんでいますか?
当方は朝から仕事です。
前々から書いてた溺愛ものですが、まあいい感じにまとまったのではないでしょうか。
よければリアクション、ブックマーク、感想、☆☆☆☆☆評価にて応援いただけましたら幸いですm(_ _)m
他にもシリーズものとして一話完結の短編をまとめてありますので、もし興味がある方はぜひ。




