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隣人

作者: 通りすがり

アパートの隣に住む下田は、どこにでもいるような冴えない40代の独身男だった。いつも同じ、色あせてシワだらけのTシャツを着て、陰鬱な空気をまとい、私と目が合ってもすぐに逸らす。1年前にこのアパートに引っ越してきてから、彼と交わした挨拶は一度もない。だが、そんな下田が最近、別人のように変わった。

まずは身だしなみ。以前はよれよれだったTシャツは、パリッとアイロンのかかった清潔なシャツに変わり、髪も整えられていた。そして何より驚いたのが、その表情だ。いつも下を向いていた彼が、私と会うたびに明るく、はにかむような笑顔で「こんにちは」と挨拶をするようになったのだ。その変化に、私はすぐにピンくることがあった。おそらく下田には彼女ができたのだ。


壁の薄いこのアパートでは、隣の部屋の話し声は聞く気がなくても耳に入ってくる。このひと月ほど、下田の部屋からは毎晩のように、楽しげな話し声が聞こえてきた。相手は「みーちゃん」という女性らしかった。下田が発する声は、以前の彼からは想像もつかないほど甘く、気色悪いほどデレデレしていた。

「デートはどこに行きたい」

「美味しいパスタの店見つけたから、今度そこに行こうか」

最初はそんな他愛のない会話がされていた。それが日を追うごとに、愛の囁きへと変わっていく。

「みーちゃんと一緒に居られるだけで幸せだよ」

「みーちゃんがどんなに変わっても僕たちはずっと一緒だよ」

聞いているこっちが恥ずかしくなるような言葉が、薄い壁を隔てて生々しく響く。彼女のいない私は、正直なところその幸福そうな声に、言いようのない妬みと不快感で胸が締め付けられるのを感じていた。



それから数日経った、ある雨の日の夕方のことだった。仕事が休みだった私は自宅でテレビを見ていると、突然、チャイムが鳴った。モニター越しに映る見慣れない二つの人影。上下黒いスーツに身を包んだ男たちが、こちらを見据えて立っている。警戒しながら玄関の扉を少しだけ開け、「どちら様ですか」と尋ねた。すると、男の一人がスーツの内ポケットから黒い革のケースを取り出し、広げて私に示した。

「警察のものです。お隣の下田さんについてお伺いしたいのですが、よろしいですか」



翌朝、下田は警察に逮捕された。そして、その日のニュースで、衝撃的な事件が報じられた。

下田は、キャバクラのホステスに恋焦がれ、毎日のように店に通っていたが、貯金が尽きてしまい店に行けなくなってしまい、そのホステスからは相手にされなくなってしまった。絶望した下田は、そのホステスを殺害し、死体を解体。頭部だけを自宅に持ち帰り、大切に保管していたのだという。

ぞっとするような寒気が背筋を走った。下田がホステスを殺害したのが、ちょうどひと月前。私が下田の部屋から聞こえてくると思っていた「彼女との電話」は、実は下田が、そのホステスの頭部に話しかけていたものだったのだ。

警察が部屋に入った時、ホステスの頭部は薄暗い部屋の真ん中にある机の上に置かれていたらしい。日ごとに傷み、腐っていくその女性の頭部と、下田は毎日あの会話をしていたのかと想像するだけで、吐き気を覚える。

下田の部屋から聞こえていた、あの不気味な声が蘇る。

「みーちゃん、僕がいないと生きていけないって言ってくれたよね」



私はすぐにそのアパートを退去した。新しいアパートでの生活が始まったが、薄い壁一枚隔てた隣の部屋から聞こえてくる隣人の声に、私は聞きたくないと思うも今も耳を塞ぐことができない。16:21 2025/08/18

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