8 未来の選択
失われた都市”ロイド”。
長く魔の気に沈んでいたその都市は、今なお廃墟のままだったが、僅かに風が通り抜け、草花が揺れていた。
テツが案内したのは、その廃墟の奥にある朽ちた神殿跡。
しかし、そこには明らかに異質な空気が漂っていた。
「誰かが、結界を張ってる?」
クミーラが目を細める。
空間が歪み、外界との魔力の流れが遮断されていた。
「おい、カレン!お客だぞ!」
テツが声を張ると、神殿の奥から軽い足音が聞こえてきた。
現れたのは、青みがかった銀髪を持つ少女。
その目は淡く輝く琥珀色で、年の頃はハルトたちと同じか、少し年下に見えた。
「見知らぬ気配。”転光者”ね」
彼女、カレンは、まっすぐハルトたちを見据える。
そのまなざしには、敵意も警戒もなく、ただ純粋な興味だけが浮かんで見えた。
「私はカレン・ロザリア。前の世界では研究者だった。あなたたちは?」
「オレはハルト。こっちがクミーラ。君も、”こちら側の人間”なのか?」
「そうね。眠りから覚めたのは、三ヶ月前。この神殿で目覚めた時、見たのよ、あのむこうの空に、巨大な”竜”の影が」
「竜…?」
「ええ。けれど、姿を確認する前に消えたわ。たぶん、まだ目覚めていないだけ。この大地そのものが、”何か”を孕んでる」
その口調には、どこか確信めいたものがあった。
彼女はこの短期間に、この世界の”法則”を理解しようとしていたのだ。
「それに、私が来る前に、別の者がこの神殿を使っていた形跡があったわ。古い転光者、あるいは……”干渉者”。」
クミーラが息を呑む。
「干渉者って、”未来の記録”を持ち込んだ存在のこと?」
「ええ。その痕跡が、ここにあるわ」
カレンが差し出したのは、古びた銀の書板だった。
魔導の文字で何重にも封印されたその書板には、時の魔力が刻み込まれていた。
「これは、”予知”の術式!?でも、こんなに精密な時間魔法、普通は……」
ハルトがそっと書板に触れると、思念が頭に流れ込んできた。
”世界を切り裂く美の光”
”選ばれし剣が神の手を拒む”
”奔流の果てに偽りの空が現れる”
まるで謎めいた予言のような術式。
けれど、ハルトの胸には確かな確信がうまれていた。
「この世界は、俺たちに”選択”を求めてる」
「その通り。だから私は、ここで『時の回廊』を開く準備をしていた。もし、君たちが来なければ、一人で行くつもりだったけどね」
「どこへ?」
「『始まりの地』。全てが交わる、最初の交差点。たぶん、そこで、”目覚め”が待っている」
空気が、ほんの一瞬震えたように感じた。それは、未来がほんのわずかに、形を変えようとしている兆しだった。
「なら、俺たちも行こう。もう、後戻りはしない」
カレンは静かに頷いた。
その目には、科学者ではなく、戦う者の覚悟が宿っていた。
神殿の奥、封印された扉が開くとき、重々しい音と共に空間そのものが反響した。
魔力の波が天井の文様を走り、青白い光があたりを照らす。
「ここが、『時の回廊』?」
ハルトが目を見開いた。
扉の向こうには、空間が歪んでいる廊下が続いていた。まるで鏡の迷宮のように、過去と未来が幾重にも重なっているようだった。
カレンが呟く。
「この場所は、普通の時空とは異なる。時間そのものが”揺らぎ”として存在している。歩を進めるたびに、異なる時点の”選択肢”が浮かび上がるはず」
クミーラが肩を寄せるようにして言った。
「間違えた道を選んだら、どうなるの?」
「最悪、存在が矛盾に呑まれて”消える”かもね」
「軽く言わないでよ……」
クミーラが顔をしかめるが、カレンはどこか達観したような微笑みを浮かべた。
「でも大丈夫。あなたなら、正しい”光”を選べる」
そして、一歩、また一歩。
三人は『時の回廊』を進む。時間の断片が宙に浮かび、幻のように彼らを取り囲む。
”幼い日のハルト”
母の膝に抱かれ、誓った未来。
”滅びの街で立つクミーラ”
すべてを失って、それでも剣を手にした日。
”目覚める前のカレン”
凍てついた研究室の中、最後に手を伸ばしたあの記憶。
「これは、俺たちの過去?!」
ハルトが手を伸ばそうとする。
が、カレンがそれを止めた。
「触らないで! これは”観測”用の幻影。選ばなければ、ただの記録でしかない」
歩いた廊下の先に、浮かぶ三つの分かれ道があらわれた。
それぞれが、違う色の光に照らされている。
「ここで試されるわ。どの未来を選ぶか。それによって、次に開かれる”現実”が決まる」
ハルトは目を閉じた。
感じる。心の奥で、呼びかける何かの声を。
「……こっちの光だ」
選んだのは、青の道。
それは静かに、しかし確かに、”今”の自分につながる道だった。
「私も。それにする」
クミーラがすぐに続いた。
カレンもまた、迷うことなく歩き出す。
やがて三人が青の道を抜けたとき、目の前に広がったのは……。
『空と大地が重なる場所』
上空に、二つの太陽が交差し、幻のような都市が宙に浮かんでいた。
「ここが、『始まりの地』!」
彼らは、世界の原点にたどり着いた。
すると、地の底から、眠りを破るように低い鼓動が響きだす。
”目覚めの時が、来た!”
ハルトの右腕に、再びあの紋章が浮かび上がる。
光の奔流が、彼らを飲み込もうとしていた。