4 魔獣
翌朝、村は不穏な空気に包まれていた。
家々の戸が固く閉ざされ、広場には緊張した面持ちの村人たちが集まっている。空気がどこかざらつき、風が鳴いていた。
「西の森の見張りが戻らない」
「昨夜、”瘴気”を感じたという者もいる」
「まさか、”魔獣”が?」
ハルトは村の中心、クミーラの隣に立っていた。
彼の腰には昨夜村長から受け取った「グランザイルの短剣」が下げられている。
クミーラがハルトに囁いた。
「魔獣が出たなら、放ってはおけないわね。でも、村には戦える人がほとんどいないのよ」
その言葉を受け、ハルトは迷わず言った。
「じゃあ、僕も行くよ。ここでじっとしているわけにはいかないから」
クミーラは目を丸くした。が、すぐに小さく頷いた。
「わかった。私も一緒に行くわ」
こうしてハルト、クミーラ、それに村の狩人二人を加えた小さな討伐隊は西の森へと向かった。
森の奥は静かすぎた。
鳥のさえずりも、風のざわめきもない。ただ、肌にじわじわとまとわりつくような圧迫感ーー”瘴気”が満ちていた。
そしてーー
「……いたっ!」
クミーラの叫びと同時に、黒い影が茂みから飛び出した。
それは、獣の姿をしていたが、目は赤く、口から紫の瘴気を吐き出していた。
”魔瘴獣”。かつて魔の力に侵された獣の成れの果てだ。
狩人が矢を放ったが、魔獣はその矢を小枝のように弾き返した。
「硬い! 普通の矢じゃ通らねえ!」
「来るぞっ!」
魔獣が飛びかかる。
クミーラが咄嗟に魔法陣を展開し、防御障壁を張る、が、間に合わない。
その瞬間「………!」、ハルトの目が光を捉えた。
時間が、奇妙に引き伸ばされる感覚。目の前でクミーラが倒れかけ、魔獣の爪が迫ってくる。
すると体が、自然と動いた。
「うおおおおおおっ!!」
ハルトの叫び声とともに、腰の短剣が抜かれ、刃が青白い閃光を描いた。
魔獣の爪と短剣がぶつかり合い、激しい火花を散らす。
ガキーーーン
「なっ……?」
クミーラも、狩人たちも目を見張った。
ハルトは完全に素人のはずだった。
剣も魔法も何も知らないはずの少年だった。
だが、その動作は、まるで長年鍛え上げられた剣士のような動きで、そして、美しかった。
魔獣が唸り声を上げて後退する。
ハルトの短剣が青く脈動し、刃に刻まれた紋章が光を放ち始めた。
すると、脳裏に、声が響いた。
### 覚醒条件を確認。潜在能力、臨界点を突破。グランザイル・コード”第一段階”を開放。###
そして、次の瞬間。
ハルトの全身が青い光に包まれ、風が渦巻いた。
その姿を、クミーラが見上げる。
「……まさか、今のが……”グランザイルの記憶”……?」
ハルトは、何が起こったのか理解できないまま、それでも目の前の魔獣をにらみ据えた。
「来いよ……!」
短剣を構えたその姿に、恐れすら感じたのか、魔獣が一歩退いた。
そしてーー、雄たけびを上げて、森の奥へと逃げ去っていった。
静寂が戻る。
クミーラが駆け寄り、ハルトの肩に手を置いた。
「すごい。まるで別人だったわハルト。でも、無事でよかった」
ハルトはぐったりとその場に座り込んだ。
全身が震えていた。自分でも理解できない”何か”が、自分の中に目覚めている。
「……一体、何が……?」
彼の問いに答える者はいなかったが、確かに世界は動き出していた。
森から戻ったハルトたちは、村で英雄のように迎えられた。
瘴気に染まった魔瘴獣が村の近くに現れるなど、何十年ぶりかの異常事態だった。それを撃退したのが、昨日までただの「迷い子」あつかいだった少年だと知れ渡ると、村人たちの少年を見る目が一変した。
「本当に、お前があの魔獣を?」
「信じられねえ。剣なんか触ったこともねえって言ってたろ」
ハルトは複雑な思いでその視線を受けとめていた。
村人たちの驚きと称賛の言葉は素直に嬉しくもあった。が、胸の奥ではそれ以上に、得体の知れない不安が膨らんでいた。
あのとき、確かに聞こえた声。
あの光。あの剣の軌跡。
あれは本当に、自分の力なのか?
それとも、「別の何か」が、自分の中に目覚めたのか。
クミーラが隣に腰を下ろし、焚き火を見つめながらぽつりと言った。
「あなたは、普通の人間じゃないのかもしれないわ」
ハルトは黙って彼女を見た。
「でも、怖がらないで。私は、あなたが”危険”だとは思わない。むしろ、あの時、あなたがいてくれて良かったって思ってる」
彼女の声は静かで、まっすぐだった。
その言葉が、ハルトの中の恐れを少しだけ和らげてくれる。
「クミーラ」
「うん?」
「俺、決めた。村を出ようと思う」
クミーラの瞳が見開かれる。
「……どうして?」
「何が起きてるのか、自分でも知りたいんだ。あの声。あの光。全部。俺自身のことを、ちゃんと知りたいんだ」
しばらく沈黙が流れた。
やがて、クミーラはゆっくり頷いた。
「そう、よね。きっとあなたには、”呼ばれている場所”が、あるんだと思う」
そして、言った。
「だから、私も行くわ」
「えっ?」
「一人で行かせるわけにいかないでしょ。あなただけじゃ危なっかしくて見てられないもの」
そう言って、クミーラは笑った。
その笑顔は、どこか寂しげで、それでも確かな決意に満ちていた。
ハルトは気づいた。
この旅は、自分一人のものじゃないんだ。きっと、世界そのものが、自分たちを動かそうとしているのだと。
焚き火の炎が、ぱちりと弾ける。
二人の影が、重なり合いながら夜空に揺れた。
そして翌朝、夜明け前。
ハルトとクミーラは、小さな荷を背負い、村の門を出た。
夜明けの光が、森を、山を、そして遠く広がる大地を黄金色に染めていく。
少年と少女の旅が、いま始まる………。