3 英雄?
クミーラに手を引かれ、ハルトは森の小道を抜けていった。やがて視界が開け、丘のふもとに小さな村が見えてきた。
「あれが、アルベルト村。私の故郷よ」
夕焼けに染まる空の下、石造りの家が点在する素朴な集落。煙突からはゆっくりとした煙が立ち上ぼり、子供たちの笑い声が風に乗って届いてくる。
「なんだか、懐かしい匂いがする」
「ふふふ。あなたの世界にも、こういう風景があったの?」
「いや、たぶん、昔みた絵本の中に」
二人は言葉少なに村へと歩みを進めた。
村の入り口に差し掛かったところで、門番の中年男性が立ち上がった。
「おいクミーラ。お前、また森に入ってたのか!しかも、誰だそいつは?」
「大丈夫よ、ゲイル。彼は森で倒れていたの。怪我はしてないけれど、記憶が曖昧みたいで。とにかく、村長に会わせたいの」
「……わかった。お前がそう言うなら通すけど、責任は取れよ?」
ゲイルと呼ばれた門番は目を細め、ハルトをじっと見つめた。だが、クミーラの言葉にうなずくと、重い扉をゆっくりと開いた。
村に入ると、目の前には小さな広場があり、井戸を囲むようにして人々が集まっていた。ハルトに気づいた村人たちが興味深そうに視線を向けてくる。
「なんだあの服、見たことねぇな」
「クミーラがまた変なの連れてきたぞ」
「人間には見えるが、魔族の手の者かも……」
ざわつく声の中、ハルトは少しだけ身を縮めた。だがクミーラは気にする様子もなく、村の奥へとずんずんとハルトを導いた。
やがて一軒の古びた木造の家の前で立ち止まる。
「ここが村長の家。少し礼儀正しくしてね」
「う、うん。」
クミーラが扉を叩くと、奥からゆっくりと重厚な声が返ってきた。
「入りなさい」
扉の向こうには、白髪に長い髭をたくわえた老人が座っていた。彼の目は年輪のように深く、鋭く、そして……優しい感じがした。
「ほう。これはまた、珍しい客人だな。少年よ、名はあるか?」
ハルトは少し迷ったが、はっきりと口にした。
「ハルト。波音”はると”です」
「ハルトか。よい名だ。さて……君が、この世界にどうして来たのか、聞かせてもらおうかの」
「この世界に来た経緯……、ですか?」
ハルトは椅子に座りながら、視線を彷徨わせた。村長の家の中は香木の香りが満ちていて、壁には古い地図や書物が並んでいる。
「そうじゃ。クミーラから、おぬしが森で倒れていたと聞いたが、それだけではすむまい。
森は”封印されし聖域”のすぐ近く。普通の人間が迷い込める場所ではない」
ハルトは口を開き、これまでの出来事を全て話した。
目覚めたときの白い空間。光の奔流に飲み込まれたこと。
そして、気づいたら、この世界にいたこと等。
話しながら、自分でも信じられないような内容だと感じた。
だが村長は、一言も漏らさず、頷きながら聞いていた。
やがて話が終わると、村長は静かに立ち上がり、古びた本の一冊を棚から取り出した。
「これは、”記憶の書”と呼ばれる、
我が家に代々伝わる、世界の予言と伝承を綴ったものじゃ」
村長は慎重にページをめくり、一枚の図をハルトに示した。
そこには、光の柱に包まれた”異形の少年”の絵が描かれていた。
「これ、僕に、少し似てる気がする」
「うむ。そして、こう記されておる。”光より来たりし者、定めを超え、星を導かん”。おぬしは、この世界にとって”転光者”の可能性がある」
「転光者?」
「この世界、”ライト=アルディア”には、かつて幾度も”外界からの来訪者”が現れたという記憶が残っている。
彼らは例外なく、”世界の命運を左右する者”だった。と」
クミーラが驚いたように言葉を挟む。
「じゃあ、ハルトは……、伝説の”英雄”なの?」
だが村長は首を横に振った。
「英雄とは限らぬ。転光者は”希望”にも、また”破滅”にもなり得る。なにゆえ呼ばれ、なにゆえ現れたのか……それが判明せぬうちは、動かぬ方が良い場合もある」
ハルトは無言になった。
自分はそんな大層な存在じゃない。何かを救ったことも、変えたこともない。ただの高校生だ。
けれど、この世界では違うのかもしれない。
村長は続ける。
「だが、導きがあるのも事実じゃ。”古の予言”は動き出しておる。封印されし聖域に近い場所で現れたということは……おぬしの出現と、”魔”の兆しが重なる可能性もある」
「魔?」
「封印されし”闇の王”が、千年の時を経て再び目覚めようとしておる。わしはそれを、”兆しの時代”とよんでおる」
静かな部屋の中に、時間が止まったような沈黙が落ちた。
ハルトは、深く息を吸い、言った。
「だったら、僕も……、力になりたいです」
村長は目を細め、頷いた。
「その意思を持つなら、わかった。おぬしに託す物がある」
村長は部屋の奥から、黒い革に包まれた短剣を持ってきた。柄には青白く光る宝石が埋め込まれている。
「これは”グランザイルの短剣”。かつて、転光者に授けられた遺物のうちのひとつ。おぬしが真にこの世界に呼ばれた者であれば、刃はおぬしに応えるであろう」
ハルトがグランザイルの短剣に触れた瞬間、青白い光がぶわっと刀身を包み込んだ。
クミーラが息を呑み、村長は目を見開いた。
「応えおったか。ならば……、運命は、すでに走り出しておる」