1 夢の中
波音は、草の匂いで目を覚ました。
湿った土の感触。風に揺れる草原のざわめき。空には、二つの太陽。
「……は?」
まぶたをこすりながら、彼は上半身を起こす。周囲に見えるのは、広大な草原と遠く霞む森の影。
夢ではない。少なくとも、いつもの自室の天井はそこにはなかった。
波音の目の前には、ひとりの少女が立っていた。金色の髪に、緑の瞳。肩には青い鳥が止まっている。
「ようこそ、”アルディア”へ、選ばれし転光者よ」
その一言が、波音の運命を決定づけるものになるとは、彼自身まだ知る由もなかった……。
「まったく、また昼寝かよ……ハルト!」
がらん、と教室の引き戸が勢いよく開いた。怒鳴り声と共に、背の高い男子高校生がずかずかと入ってくる。
栗色の短髪と鋭い目つき。
体育会系の部活に入っていそうな、快活な雰囲気を漂わせている。
「起きろって、もう夕方だぞ。掃除の時間もとっくにおわってんだ。先生に見つかったらマジで説教くらうぞ」
「……え? もう夕方?」
ハルトは頭を押さえながら、ぼんやりと顔を上げた。窓の外はすっかり茜色に染まり、校庭の隅に立つ桜の木々が影を伸ばしていた。
確かに、昼休みの居眠りがいつの間にかこんな時間にまで及んでしまったらしい。
「ユウト……。ありがとな。寝過ごしてたよ」
「お前さ、また最近、変な夢でも見てんのか?」
「……うん。いや、夢っていうか……」
そこまで言って、ハルトは言葉を濁した。
たしかに最近、夢が奇妙だった。眩い光に包まれ、誰かが俺の名前を呼ぶ。見知らぬ土地、聞いたこともない言葉、剣と魔法、崩れ行く城、そして……”あの声”。
だが、それを今、説明できるほどハルト自身もまた理解していなかった。
「ま、いいや。帰るぞ。明日は数学のテストがあるからな」
ユウトは言いながら、教室の扉を押さえて待ってくれている。ハルトは鞄を手に取り、ため息をついて教室を後にした。
だが、その背後で、誰もいないはずの教室の窓が、小さく軋む音を立てて揺れた。その音にハルトは気づくことはなかった。
ハルトとユウトが昇降口へ向かって廊下を歩いていると、外から吹き込む風が、カーテンをゆっくりと揺らしていた。
「なあ、ハルト。お前さ、本当に夢だけなのか?」
「え?」
「いや、なんとなく、な。お前、昔から変な直感とか良く当たるよな。そういうのって、今回もなんかあるんじゃねえって思えてさ。」
ユウトはそう言って笑ったが、どこか探るような目をしていた。
「どうだろうな」
ハルトは答えをあいまいに濁した。
そのときだった。
ザーーーーーッ。
耳元で、突如として水の音がした。まるで滝から流れ落ちる水流のような音が……。
「ハルト?」
「……今、水の音が……」
「水? どこにもねぇけど?」
そう返すユウトの言葉が、やけに遠く感じられた。
視界がぼやけていく。
「くっ……!」
その瞬間、ハルトの眼前が真っ白に染まった。
世界が、光に包まれた………。
まばゆい光が、すべてを………? 包み込んでいた。
真っ白い。どこまでも続く光の中で、ハルトは自分の体の感覚を失っていた。立っているのか、倒れているのか、そもそも地面があるのかないのかさえわからない。
(どこだ……、ここは……?)
思考だけが宙に浮いたように漂っていた。
次の瞬間。
「来たか、継し者よ!!」
あの声だ。
夢で聞いた、あの低く、響き渡る声。
「誰だ!」
ハルトが叫ぶと、光の中に黒い影が浮かんだ。それは人の形をしていたが、輪郭がぼやけ、実体がない。だが、その”存在感”だけは、圧倒的だった。
「目覚めよ、遥か彼方の記憶を持つ者よ。汝が選ばれしは、運命の奔流に抗う力なり!」
「なにを、言ってるんだ!」
影は答えない。
代わりに、空間が揺れた。大地が震えるような、空そのものが割れるような、強烈な衝撃。
そして、
### ”世界”が、崩れ落ちた。 ###