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7、立派な継母【1】

 蒼海の頭を撫でていた柃華は、体が窮屈になるのを感じた。

 顔を上げれば、凌星が柃華を抱きしめている。蒼海ごと、ふたり一緒にだ。

 細腕に見えるのに、凌星のどこにそんな力があるのか。


「怪我はあったが。ふたりとも無事でよかった」

「蒼海を守るのが、わたしの使命ですから」


「分かっている」と、凌星は柃華の肩に顔を埋める。部屋に満ちた血のにおいが、薫六香(くんろっこう)に上書きされた。


「蒼海皇女は大事だ。だが、あなたもまた大事なのだ。皇女にとっても、故郷の愁飛殿下にとっても、天遠や任春にとっても。そして……私にとっても」


 凌星の声はかすれていた。自信満々で、誇り高くて。不遜なほどの凌星の体が震えている。

 蒼海だけでなく。柃華が無事であったことを、こんなにも安堵してくれている。


(ああ、どうしてだろう。わたしまで嬉しくなってしまうのは)


 凌星は、ふたりを長椅子に座らせてくれた。

 物音や騒ぎで目を覚ましたのだろう。任春や他の侍女も、柃華の部屋に駆けつけてくれた。


 架子牀(かししょう)の惨状に、悲鳴や絶叫が轟きそうになったのだが。すぐに任春が、侍女たちを静めてくれた。蒼海さまが脅えるから、と。


 ◇◇◇


 天遠が追った賊は、すぐに捕まった。やはり犯人は有思月だ。

 左手を切断され、その痛みと多量の出血で逃げることもできなかったのだろう。星河宮の端に据えてある鳩舎の前で、思月は倒れていた。


 血のにおいと、よろけて鳩舎にぶつかった思月にひどく驚いたのだろう。鳩は暴れたようで、鳩舎の床にも外にも羽毛が散っていた。まるで夏の夜に雪が降ったかのように。


 最初の罪で奴婢に堕とされ。次に後宮に忍び込み、皇女の命を狙った思月はすぐに処刑された。

 最期まで思月は、陶岳国のことも威龍の名も出さなかったという。


 柃華は、宣皇帝に呼び出された。蒼海と凌星、天遠も同行している。

 凌星が「蒼海の目をふさぐように」と配慮してくれたから。蒼海は、思月の手が断ち切られるところも寝台に転がった手も見ずに済んだ。


 それでも夜更けの騒動に巻き込まれたこと。血のにおいが室内に満ちていたこと。そして、その夜は別の部屋に移動したこともあり、事件から数日経っても蒼海は落ち着かない様子だ。


(覚悟しよう。こんな大事件に、蒼海を巻きこむことになってしまったのだから)


 蒼海の小さな手をぎゅっと握りしめて、柃華は皇帝の前に立った。細かな彫刻の施された龍椅に座す宣皇帝の一段下、左右には側近が並んでいる。

 柃華は揖礼して、陛下の言葉を待った。


「時修媛。残念だが、そなたに蒼海を任せることはできん」


 やはりか。柃華は再び頭を下げて、きつく瞼を閉じた。反論する凌星や嫌がる蒼海の声が聞こえる。だが、無駄なのだ。


 皇后娘娘ファンホウニャンニャンの代わりに蒼海を守ると誓った。立派な公主になるまで見届けると望んだ。そんな日は結局来ないのか。威龍の思惑通り、冷宮に送られるのか。


「時修媛。いや、そなたは今から時柃華である。臨洛(りんらく)から離れた山の中に尼寺がある。その庵で暮らすがいい」

「父上っ。それはあまりにも無体ではありませんかっ」


 凌星が声を荒げた。


「時修媛は蒼海皇女をお守りしたのです。他のどの妃嬪に、身を挺して皇女をかばうことができるのです。母親である皇后娘娘と、時修媛にしかできぬことです」


 侍女の姿をしているとはいえ、皇帝の側近たちは彼が凌星殿下であることを知っている。

 これまで父親にきつい調子で反論したことがないのだろう。側近たちは瞠目している。


「凌星。お前と白天遠(パイティエンユエン)がいたからこそ、蒼海は守られた。違うか?」


 宣皇帝の声は大きくはないのに。他に言葉を発する者がいないから、やけに響いた。

 長い髪を剃り落とし、訪れる者もいない深山の庵で祈りと共に日々を過ごす。自ら望んで出家するならばともかく。南洛国の宗教を信仰するわけでもない柃華の暮らしは、幽閉同然となる。


 凌星はぎりっと奥歯を噛みしめた。柃華は、蒼海の手を強く握る。


 もうこれは決定事項だ。覆すことは叶わない。

 それでも思月が最期まで、威龍の名を出さなかったから。柃華は冷宮送りにはならなずに済んだ。思月は柃華を思いやったわけではない。どこまでも、あのクズな兄を慕うが故だ。


「蒼海。お前は今後は女官に教育を施してもらう。世話は皇后に仕えておった侍女に任せる。他の妃嬪には子がいるし、誰もお前の世話をしたがらないのでな」


 自分の発する言葉が、どれほどの毒と尖りを孕んでいるのか、陛下は気づいていない。柃華の手を握る蒼海の指に力がこもる。薄く小さい爪が、柃華のてのひらに食い込むほどに。

 見れば、蒼海は唇を噛みしめていた。


 許せない。柃華の腹の底からふつふつと怒りが湧きあがる。

 本当なら、この場で陛下に食って掛かりたい。だが、それをするとさらに事態が悪くなる。


 陶岳国の威龍は、軍を整える力もないのに野心家で。どこまでも愚かだと思っていた。だが、南洛国の宣皇帝も決して人として優れているわけではない。


(国を治め、民を守る立場は理解できるわ。それでも我が子を絶望に陥れる言葉を平然と吐ける人間に、本当に民の苦しみが分かるの?)


 威龍は次の王でありながら、民の方を向いていない。いずれ自分がつく王座にばかり見つめている。

 宣皇帝は、確かに皇帝として民に目が向いているだろう。だが、南洛国は肥沃な土地であり、長らく戦が起こっていない。民が困窮に陥ったことがないからこそ、宣皇帝は暗愚と罵られることはない。


 どうすればいい? 何をすれば、どう訴えれば陛下の心を動かせる?


 宣皇帝の心を推し量り、側寫をするには、柃華は皇帝のことを知らなかった。曲がりなりにも妾の一人であるというのに。


 その時、蒼海が一歩を踏みだした。キッと宣皇帝を睨みつける黒い瞳は、涙で潤んでいる。


「リンホアさまとツァンハイをはなしたら、ぜんぶだめになっちゃうの」


 突然の蒼海の発言に、宣皇帝の表情が固まった。それを先見と悟ったのだろう。すぐに人払いをし、側近を出て行かせる。


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