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4、重要な手紙

 まさか蒼海の発した未来の言葉が、柃華の書く(ふみ)のことだとは思わなかった。


 司楽の女官である有思月が貴重な琵琶の弦を切って、罰を受けて後宮を追われたことも。長兄である威龍が、井紅雨を利用して最悪の結果になったことも。そのために、黒水族が育成する名馬に、柃華が目を付けたことも。


 様々な要素が絡み合って、たどりついた結果のはずなのに。蒼海にはすでに見えていたのか。しかも意味など分からずに、不用意にその言葉を言うのだから――


(お母さまである皇后娘娘が、蒼海を守り抜いた気持ちが痛いほど分かるわ)


 郭貴妃の実家は、皇女を養育すれば郭家も盤石であろうと考えただけかもしれないが。郭貴妃が蒼海の義母となっていれば、自然と郭家にも未来視のことが伝わっただろう。


 南洛国の副宰相である御史大夫(ぎょしたいふ)は、郭貴妃の伯父であった。地方の高官にも郭一族は多い。

 すでに郭家は要職から外され、皇后の殺害に関与した者は処刑されている。


 もし郭一族が破滅していなかったら。もし蒼海の先見(さきみ)を知られていたら。


(蒼海は自由を奪われ、外に出ることも叶わず、未来についてだけを話すように命じられていたかもしれない)


 それはとても恐ろしいことだ。まだ幼い蒼海は、自覚もなくぽつりと未来を語る。それを人に聞かせぬように閉じこめて、誰も蒼海と関わらせない可能性もあった。郭一族ならやりかねない。


(でも、当たり前のように人を利用する威龍兄さまも同じだわ)


 銀菊露(インジウルー)涼茶(リアンチャ)を飲み終えた柃華は、再び文を置いた机の席についた。

「蒼海皇女。私と外で遊びましょう」と、凌星が蒼海に囁く。


「リンホアさまは?」

「時修媛はこれから大事な用事があるので。邪魔をしてはいけません」


 凌星が気を遣ってくれたこともあり、部屋には柃華だけが残った。


 今から自分は司楽の女官である有思月だ。柃華が知っていることを、女官が知っているとは限らない。思月は間者ではあるが、責務は時修媛の処遇に関してだけだ。

 思月の言葉で政治的なことを書いてしまえば、本人が書いたのではないとばれてしまう。


(ならば噂で流れていると、伝聞にして書けば問題はないはず)


 墨を磨りながら、柃華は心を落ち着ける。シュッシュッと軽い規則的な音がするたびに、墨の漆黒の匂いが立った。


 ――黒水族が南洛国の宣皇帝に馬を贈ったそうです。素晴らしい馬だそうで、後宮でも噂になっています。

 私が冷宮を覗いた時のことです。あの人が廃妃たちに話しているのを、小耳に挟みました。「黒水族はやはり大国との絆を深めたいのでしょうね。他の諸国とも友好関係を結びたいと考えるのは当然のことです。冷宮に押し込められたわたしでは、故郷の陶岳国に知らせる術を持たぬのでどうしようもないのですが」

 皇帝からの信頼も得られず、一度も渡りのなかった哀れなあの人は、やはりただの役立たずでした。冷宮で、悔いてばかりの日々を送っているようです。


 途中で筆を置いた柃華は、ため息をついた。


 たとえ真実であるとはいえ、いや真実だからこそ皇帝からの信頼を得ることのできなかった我が身が情けない。

 どうやら肩にかなり力が入っていたらしい。身体には今も緊張が残る。


 内容はこれで大丈夫だろう。柃華が今は冷宮にいることを繰り返し書いている。黒水族は国を興す際に、他国との連携も強めようとしていることを威龍に分からせなければならない。


 小国に必要なのは成り上がることでなく、外交だ。周辺国との均衡を保ちつつ、自国の民に目を向けねばならない。

 父は老いた。今はただ王座にいるだけだろう。そして威龍の関心は民には向いていない。


(わたしが威龍兄さまの野心を挫く。実の妹であるわたしにしか、できないことなのだから)


 柃華は続けて(ふみ)を書いた。文字がかすれ、慌てて筆に墨汁をつけたが。それがかえって、思月の焦りを表現できた。


 ――後宮では妃嬪たちが、名馬を見たいとはしゃいでおりました。可哀想なあの人は、まるで宮女のように自分で洗濯をしています。

 女官である私の姿を見かけたとき、あの人は恥ずかしそうに両手を後ろに隠しました。手が荒れているのでしょう。本当に哀れな人です。


 柃華の現状に関しては、実際に見てきたかのように緻密に書かねばならない。だが馬に関しては、詳細を書いてはいけない。妃嬪が皇帝から伝え聞いたという程度にとどめておかないと、嘘がばれてしまう。


 思月は女官なのだから、どのような馬なのかを目にする機会はない。それだけが幸いだ。

 偽の情報を、どこまで書くか。これは駆け引きだ。


 便りを書き終えた柃華は、天上を仰ぎ深呼吸した。

 どうやら筆を走らせている間は、息を吸うことも吐くことも忘れてしまっていたようだ。


 任春や凌星を呼び、墨が乾いた(ふみ)を油紙で包んで雨に濡れぬようにしてもらう。

 そして柃華は三羽の鳩の背に同じ書状を結びつけて、空へと放った。


 威龍と思月が利用していた鳩は、方向を定めるように旋回する。しばらくすると三羽とも北を目指した。

 とても重要な、嘘にまみれた便りを携えて。


 白い鳩が消え去るのを見届けてから、柃華は再び自室で机に向かう。こちらは次兄の愁飛に、偽書を威龍に送ったことを説明するためだ。


 長兄と次兄に届ける手紙を、決して間違えてはならない。そのためにそれぞれの鳩は、鳩舎も離れた別の場所に置いてある。


 細かくて、面倒で。手間のかかる作業だ。


(でも、側寫自体も同じよね。ほんの少しでも手を抜いたら、すべてダメになるのだもの)


 集中を続ける柃華を思いやってだろう。声をかけずに部屋に入って来た蒼海が、机に飴を置いてくれた。紙に包まれた奶糖(ナイタン)だ。


 気づいた柃華が飴を手にすると、蒼海はにっこりと微笑んだ。

 その笑顔だけでも疲れが和らぐ気がした。


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