3、蜜棗と銀菊露
心ならずも、威龍と柃華の往復書簡は続いた。さも、司楽の女官であった思月が手紙を書いたかのように、長兄を騙しながら。
できることなら柃華本人として、日々の暮らしを綴った文を届けたい。だが、叶わぬ夢だ。
威龍が望んでいるのは、柃華の失脚なのだから。そして柃華はすでに修媛を廃されたと、偽の情報を威龍に伝えている。
ここからは慎重に動かねばならない。
(威龍兄さまに送る書状も文章が長くなれば、それだけ偽物であるとばれる危険が高くなるわ。わたしが思月と親しければ、もっと文体も内容も似せることができるのだけど)
けれど、それは無理な話だ。
井紅雨は投獄され、柃華の代わりに南洛国に輿入れさせる娘はまだ見つかっていない。それは愁飛と交わした文で分かっている。
柃華は、次兄の愁飛から届いた書を開いた。
――黒水族が、我が国に近づいてきています。以前より黒水の頭領は和睦を申し入れていました。南方や東方の国からの物資は、陶岳国の山を越えねば黒水には届きません。
黒水は建国後に力を蓄えるためにも、交通の要所を陶岳に押さえられたくないのでしょう。
きな臭くなってきた。柃華は天井を仰いで、ため息をこぼす。
「疲れているようだな。時修媛」
「お疲れのようですね。柃華さま」
「おちゅかれ、すね。リンホアさま」
声が重なり、室内に一気に人が増えた。まずは侍女の紫安に扮した凌星、侍女頭の任春。そして蒼海だ。天遠は何も言わずに、後ろに控えている。
凌星は碗の載った盆を手にしている。蒼海は菓子の入った器を。任春が手ぶらなのは、きっとふたりに茶と菓子を奪われてしまったのだろう。
「あのね。ツァンハイ、みつなつめ、もってきたんだよ」
糖蜜に浸けた干した棗を、蒼海が差しだした。茶色く、しっとりとした光沢がある。見るからにおいしそうだ。
「私は涼茶を持ってきた。今日のは銀菊露だ。目にいいぞ。時修媛、こちらで少し休め」
凌星は、部屋の中ほどにある卓に碗を並べた。銀菊露は金銀花と菊の花のお茶で、甘みがある。目と肝臓に効果があるので、ここのところ書状に向かい合ってばかりいる柃華を気遣ってのことだろう。
「はい、柃華さま。こちらにお座りください」
任春が卓の椅子を引いて、柃華を促した。柃華は立ちあがり、書状を片づけて机から卓へと移る。
「あのね、リンホアさま。みつなつめね、てがべちょべちょになるからね。きをつけるんだよ」
すでに蒼海は、蜜棗をつまみ食いしたのだろう。任春が苦い笑顔を浮かべた。
蒼海に勧められた蜜棗を、柃華は口に入れた。少し硬い皮を齧ると、しっとりとした蜜が滲みだしてきた。
「どうやらわたしは疲れていたみたいです」
凌星が手渡してくれた銀菊露を飲む。蜜棗の甘さと、ほろ苦いお茶がよく合う。
「ひとりで抱えこむことはないのだぞ。威龍殿下相手には、女官のふりをして書状を送り。愁飛殿下とも今後のことを模索しなければならない。それは簡単なことではない」
凌星が、もう一つ食べるようにと柃華に蜜棗を勧めてくれる。
「そうですね。自国のことですから、やはりわたしが頑張らねばと思ってしまって。黒水族も威龍兄さまに近づいているようですし」
「ああ、黒水と言えば駿馬の産地だな。最近、建国の兆しがあるようだな。黒水は周辺国に国家と認めてもらうために、貢物を献上しているようだ」
蜜棗をかじった凌星は「甘いな」と顔をしかめた。
凌星本人は何気なく話しただろうが。柃華は、やはり南洛国は大国であることを実感した。
おそらく威龍は黒水族が、他の国とも友好関係を結ぼうとしていることを知らないだろう。黒水族のいる平原は、陶岳国に近いのに。遥かに離れた南洛国の方が、情報が速いのだ。
(陶岳国の情報の遅さを、何とか使えないかしら)
威龍の野心を挫くには、目障りな存在は南洛国だけでなく他にもあると思い知らせなければならない。黒水が陶岳国にすり寄っているのは、何も真心からではないのだ。
「馬です」
柃華は言葉を発した。
この言葉、知っている。確かに覚えている。
柃華は瞠目した。凌星も、部屋に控えている天遠もだ。蒼海と任春だけが、きょとんとしている。
「これ、蒼海の言葉ですよね」
「あ、ああ。そうだ。まさか……皇女の先見だったとは」
凌星は口もとを手で押さえた。
以前、蓮の花ざかりの四阿で蒼海は突然「うまです」と言葉を発した。任春もその場にいたのだが、覚えてはいないようで「何ですか?」と柃華に問うてきた。
朝食の献立から人助け、さらには国家間についてまで。蒼海本人は理解していないだろうが、彼女の先見はあまりにも幅が広い。




