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2、書状の側寫

 威龍が受け取った書状を記したのは、もちろん思月ではない。

 思月はすでに司楽の女官ではなく、後宮を追放されている。今の思月は宮城の外の皇城(こうじょう)にある獄舎の掃除係となっているからだ。


 避暑の地から後宮に戻った柃華は、急ぎ陶岳国の長兄、威龍に文を出すことにした。妹としてではなく、威龍が利用していた有思月になりすまして、だ。

 威龍から思月に届いた書状は、没収されている。思月が貴重な琵琶の弦を切るようにとの指示を、威龍から受けていた証拠であるからだ。


「思月が威龍殿下にあてた(ふみ)は入手できなかったが。尚儀局(しょうぎきょく)を訪ねたところ、思月の手になる書類を貸してもらえた」

「助かります。これで思月の筆跡を真似できます」


 星河宮の部屋で、柃華は凌星から紙の束を受けとった。むろん、凌星は侍女、紫安に扮している。化粧をしているわけでもないのに、しなやかな指使いや立ち方で、どう見ても女性でしかない。

 これからは柃華が思月になりすまして、威龍に便りを届ける。偽の報告書だ。


 柃華は机についたが、まだ筆はとらない。準備もなく書きはじめては、思月が書いたものではないと威龍に見破られてしまう。


(威龍兄さまが思月に送った書はどこにもないわ。きっと証拠隠滅のために、書状が届くたびに燃やしていたのね)


 だとすると厄介だ。そもそも思月が用いた言語は陶岳のものなのか、南洛国のものなのか判断がつかない。


 柃華は瞼を閉じた。威龍は、女性を利用して後宮内から南洛国を支配しようと考えている。宣皇帝を骨抜きにするべく、紅雨に閨での性技を叩きこもうとしたが失敗した。


 思月はもう威龍に手紙を出すことができない。短気な性格の威龍であるから、もう思月には期待していない可能性がある。

 ならば有益な情報を送らねば、威龍の気を引けない。


(家族の性格を(かんが)みて、側寫するなんて。本意ではないけれど)


 深いため息を柃華はついた。

 そんな義母を心配してか、蒼海が机に花を置いてくれた。捩花(ねじばな)だ。司苑の宮女が丹精込めた花ではない。雑草として生えていたのだろう。


「くるくるすると、たのしいよ?」


 遠慮がちに声をかけてきた蒼海が、捩花を手に取る。細い緑の茎に、螺旋状に小さな桃色の花が連なっている。


「ほらね、くるくるだよ?」と、蒼海が捩花をまわしてくれる。ほっと肩の力が抜けるのを、柃華は感じた。


「花も可愛いですが。蒼海も、今日も可愛いですね」


「へへっ」と、褒められた蒼海が笑顔をこぼす。愛しい娘に優しくされると、頑張らなくてはならない。

 けれど――柃華の脳裏を影のような考えがよぎった。


(わたしは蒼海を立派な公主に育てるように、陛下に命じられたわ。公主は、三公たち大臣に認められてこそ。それは納得できるけれど)


 結局のところ公主は、他国に嫁いで国同士の結びつきを強くすることが求められる。

 政治的な伴侶となれば、宣皇帝と柃華もある意味あてはまる。柃華は皇后や妃ではない。むしろ妾といったほうが相応しいが、それでも宣皇帝は柃華と仲睦まじくしようという気持ちは微塵もない。


 蒼海が立派な公主になればなるほど、彼女の未来は窮屈なのではないか?


(いえ、今はそれを考える時ではないわ。まずは目下の懸案を片づけなければ)


 柃華は瞼を閉じた。思考を戻し、思月が返事で書いたであろう内容を推測するためだ。

 確か、威龍からの最後の(ふみ)は「柃華に妊娠の兆しはあるか? 紅雨を宣皇帝に献上するために、娼婦の技を仕込む」という内容だった。

 威龍からの文は陶岳の文字で書いてあった。となれば、思月も同じく陶岳語で返したはずだ。


 だが、思月は陶岳出身であることを隠していた。もし公表しているなら、柃華と思月が同郷であることを、思月と共にいた女官が話題にしていただろう。


 これはまさに側寫だ。現場に行き、残された品を調べるわけではないが。思月の考えや行動をなぞって、彼女が書いたであろう返事を作りあげる。


(思月は、わたしのことを時修媛と呼んでいた。けれど、威龍兄さまに対してその呼称は使わない。では「柃華さま」? それとも「柃華殿下」?)


 もし間違った呼称を使えば。威龍は違和感を覚えるに違いない。

 それに文字もだ。思月の陶岳文字は見つかりようがない。筆運びのくせは、南洛国の文字から推察するしかない。


(威龍兄さまは、わたしの幸福など望んではいなかった。兄さまと頻繁に連絡を取っていた思月は、きっと兄さまの思考に引きずられるはず)


 嬪でありながら宣皇帝の気も引けず、子を生すことも叶わない。挙句の果てには、皇后の遺児を養育している。そんな柃華を誹謗する言葉を、威龍は何度も書いていただろう。それは容易に思いつく。


(だとすると、思月はわたしの名前など記したくなかったに違いない。敬称をつけるのも厭わしかった可能性がある。ためらいなく貴重な琵琶の弦を断ち切り、わたしに罪をなすりつけることができるのだから)


 あまりにも柃華の集中が深いからだろう。部屋にいる蒼海も凌星も無言だ。少しでも言葉を発すれば、柃華の思考が散ってしまうと分かっているのだろう。


 柃華は瞼を開いた。綿繭(わたまゆ)を張った(まど)を通して、光が射しこんでいる。ちょうど回廊を蝶が飛んでいた。

 小さな蝶の影がぼやけて見えた。


 そうだ。思月は同僚である小蝶(シャオディエ)のことを「この人」と言っていた。

 柃華も思考の中では、陶岳の話し言葉の名残で「この人」や「あの人」を用いることがある。

 凌星と出会ったばかりの頃は「彼」ではなく「この人」と、脳内で考えていた。


「分かりました」


 窗の向こうを行く蝶の影が消えるまで、柃華は一点を見据えていた。

 思月が(ふみ)で使用した、柃華を示す言葉は「あの人」だ。間違いない。

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