10、不器用な理由
「そういえば、柃華。頼まれていた鳩を連れてきたのですが」
愁飛が思い出したように懐に手を入れた。まずは一羽、こじんまりとまとまった白い鳩が現れる。そして二羽、三羽。
翼をたためば小さくなるというが。想像以上だ。
狭い場所から出ることのできた鳩は、愁飛の腕にとまり翼を広げた。
「愁飛殿。これは奇術ですか? よくまぁ、懐に三羽も収まりましたね」
凌星は驚いて瞠目する。よく懐いているのか、鳩は飛び立つこともしない。
柃華が手を差しだすと、鳩は柃華の指に移った。
威龍に利用された井紅雨を、どうにかして救い出さなければならない。人を殺したとはいえ、それは乱暴をされそうになったからだ。
今後も威龍が同じように王族に連なる女性を利用しようとするなら。犠牲者はさらに増える。房事を仕込まれる女性も、それを躾ける男性も。
柃華は、威龍の性格と動向をなぞって思考した。
鳩を愁飛の手に戻し、柃華は瞼を閉じた。
(威龍兄さまなら、どうすれば動く。何をされれば冷静さを欠く? 野心を手放す?)
窗の外から渓流の音が微かに聞こえる。深く思考する柃華のために、凌星たちは無言だ。
水、水音。渓流の水は木の影になっている部分は暗く見えた。暗いは、黒に通ずる。
聴覚からの連想だろうか。柃華は閃いた。
「わかりました」
黒水族だ。威龍に近寄ってくる部族を引き合いに出せばいい。
柃華と愁飛の密談が終わった頃、蒼海が目を覚ました。ちょうど開いた窗から涼しい風が吹きこんだせいだろう。
「あれ? どこ、ここ。リンホアさま、どこ?」
飛び起きた蒼海が、きょろきょろと辺りを見まわす。今朝起きた時は、蒼海は普通だったのだが。その時は、隣に柃華が眠っていたから混乱しなかったのだろう。
「わたしならいますよ、蒼海」
「わぁ、リンホアさまだ」
蒼海は裸足のまま、床に降りる。そしてまっすぐに駆けて、柃華に抱きついた。
いつものことだが。蒼海は飛びついてくるときに速度を落とさない。そして加減を知らない。
今は柃華は椅子に座っているのだが。立っている時など、油断するとぐらついてしまう。蒼海の声と動きに驚いた鳩が、ぱたぱたと翼を動かした。
自分の膝に蒼海を座らせて、柃華は乱れた蒼海の髪を指で直してあげた。ほどけてしまった緞帯も結び直すのだが。案の定、縦結びになってしまう。
「リンホアさま、がんばらなくてもいいよ」
「いえ。今度こそはもう少しマシになると思うので」
柃華の格闘は凌星や天遠も慣れているので。口出しはせずに、本人の気が済むまで待っている。焦っているのは柃華ただひとりだ。
「実の親子のように見えますね」
愁飛が、お茶を飲みながら呟いた。
「確かに。柃華さまと蒼海さまは、いつも仲がいいんですよ」
「二人もですが。凌星殿下、あなたもです」
「は?」と、凌星が素っ頓狂な声を上げた。その拍子に指が当たったのだろう、茶杯が倒れてしまう。中が空でよかった。
「お気づきではありませんでしたか? 柃華と蒼海さまをご覧になる凌星殿下の眼差しが、とても優しくていらっしゃるんですよ」
「ワ、ワタシが? どう、して?」
凌星の言葉が、急にたどたどしくなる。だが、凌星だけではない。柃華も理解できずに瞠目する。
「凌星さまは常に柃華と蒼海さまを見守ってくださっているのですね。柃華は宣皇帝陛下の妾ではありますが。父と兄の反対がなければ、叶うことなら凌星殿下に嫁がせてあげたいと母と私は考えておりました」
初耳だ。愁飛の発言が、柃華の耳の奥で響いている。
「あの、愁飛兄さま。わたしは緞帯もまともに結べぬほどに不器用ですし。他の妃嬪のように舞も琵琶や二胡の演奏も苦手ですが」
「柃華。あなたが不器用なのは、集中力が人とは違う部分に向いているからですよ。側寫とは、常日頃からの情報収集が大事です。ですから、あなたは自分以外の人や物、状況に神経を巡らせているのです」
そうだったのか。愁飛の指摘に、柃華の頭は真っ白になってしまった。
「側寫に関しては、常に思考を働かせなければなりませんし。その分、頭も体も疲れます。幸い柃華は体力がありますが、指先など繊細な動きが疎かになるのでしょう」
知らなかった。愁飛の説明は、柃華には新鮮だった。
不器用なことには理由がある。他人が聞けば「それがどうした」と鼻で笑われるかもしれないが。柃華にとっては重要なことだ。救いの光に照らされたような心地すらする。
「よかったです。蒼海。わたしは出来損ないではなかったようです」
「できそこないじゃないよ。リンホアさまはすごいんだよ」
「そうなんですか? そう言ってくれるんですね。蒼海は優しいですね」
「やさしいからじゃないよ。ほら、リンホアさま。あめ、あげるね」
蒼海は卓上に手を伸ばし、紙に包まれた奶糖を柃華に手渡した。
「ううっ。蒼海……」
まるで水の中にいるかのように、柃華は視界が滲んで見えた。ひざに乗った蒼海が、柃華の顔を見上げてくる。黒翡翠の大きな瞳に、情けなく眉を下げた柃華の顔が映っていた。
「はい、あーんしてね」
器用に紙を剥いて、蒼海は柃華の口に飴を放りこんだ。優しい甘さが口の中に広がっていく。まるで蒼海の言葉のように。
「ツァンハイね、リンホアさまのむすんでくれた緞帯じゃなきゃ、やだもん」
愛おしくて、大事で。いつも励ましてくれる素敵な娘。柃華は、蒼海をぎゅっと強く抱きしめる。




