2、穏やかな表情
柃華と蒼海。そして供として侍女の紫安に扮した凌星、天遠は星河宮を出た。皇帝陛下に、蒼海の養育状況をお見せするためだ。
爽やかな夏空のもと、芙蓉が見事に咲きほこっている。中には酔芙蓉もあるので午後の今、白い花弁がうっすらと桃色に変化している。夕暮れ時にはもっと濃く染まっていくことだろう。
「今日の謁見は便殿にある浮碧亭で行うそうだ」
説明をしながら、凌星が道案内してくれる。
便殿とは皇帝が休息をするための殿。その庭に立てられているのが浮碧亭だ。
「凌……紫安についてきてもらって、よかったわ。わたしは陛下にお目通りすることが少ないから、浮碧亭といわれても訪れたことがないし」
「ツァンハイ、あるくのつかれちゃった。ティエンユエンが、かたくびしてくれたらあるけるよ」
柃華の手を握りながら、蒼海はちらっと天遠を見上げる。蒼海の髪に結んだ藤色の緞帯が、夏風に揺れた。そして緞帯は今日も縦結びだ。
任春が「今日は私が結んで差しあげましょうね」と何度言っても、蒼海は首を横に振った。柃華にしてもらうのを喜んでくれるのは嬉しいのだが。やはり練習を重ねても、緞帯はきれいに結べない。
「蒼海。肩に乗せてもらって運ばれるのを、歩くとは言わないと思いますよ」
「柃華さまのおっしゃる通りですね」
天遠にやんわりと拒否されて、蒼海は「じゃあ、かえりね。かえるときは、かたくびしてくれたら、ツァンハイおりこうさんできるよ」と交渉を始めた。なかなかにしたたかだ。
本当は星河宮を出る前に遊んでいたように、蒼海と手をつないで軽やかに跳んであげさせたい。
だがここは宮の外。人の目が多すぎる。
「柃華さま。これは聞き流してくださってよろしいのですが」
近づいてきた天遠が、囁くように声をかけてくる。
「凌星さまは星河宮にいらしてから、ずいぶんと表情が穏やかになりました」
「そうなの?」
天遠の声が小さいから、柃華もつられて声を低くする。少し前を行く凌星には、声は届いていないようだ。
「私は長らく、険しい顔つきの凌星さましか存じませんから。意外ではありますが、とても嬉しいのです」
初対面の頃の凌星は高圧的な態度を取っていた。あれは単に性格が悪いのだと思っていたのだが。実際は違ったようだ。
ふいに、きゃあきゃあとはしゃぐ声が聞こえた。何事かと立ちどまった柃華が目にしたのは、五人ほど集まった宮女だ。それぞれが抱えた籠の中に、草が入っている。雑草を取った後なのだろう。
「ほら、時修媛さまよ。あまり外にお出にならないのに。珍しいわね」
「あの人は誰? 時修媛さまとご一緒の侍女の。背がひときわ高くて凛々しいわ」
「いいもの見せてもらったわー」
麗しの侍女って紫安のことだよね。柃華は前を行く凌星の背中を見据えた。
女官と違い、宮女たちは立ち話の声が大きい。それに先日、柃華は周囲から蛮族と嫌われているわけではないと、凌星から教えてもらった。
(なんというか。いい意味でも注目されると、背中がもぞもぞするんだけど)
「笑みを浮かべて、手でもふってやったらどうだ?」
凌星に提案されて、柃華は首を振る。そんな軽薄なこと、できやしない。
「ほら、こうするんだ」
立ちどまった凌星は、宮女に向かってひらひらと手を振った。涼しげな目許に、唇には優しそうな笑みを浮かべている。到底男性とは思えないほどの妖艶な笑みだ。
「お姉さまがふたりだわっ」
どよめきが起こった。いや、確かに宮女たちよりも柃華と紫安の方が年上だから、間違いではないのだけれど。何やら含みのある「お姉さま」だ。
「あの子たち、よく分かってますよね。柃華さまと紫安さまが並ぶと、耽美なんですよ」
「任春。何を言ってるのか理解できないわ。耽美って何?」
「柃華さまはご存じでなくともよろしいのです。お知りになれば、意識してぎくしゃくするでしょうから」
えぇ? どういう意味? と思ったが。きっと任春は説明してくれないだろう。
注目されるのに慣れている凌星は、なおも宮女たちに愛想をふりまいている。しかも、蒼海までが、凌星を真似て手をふる。
そしてふり返って、柃華に笑顔を見せるのだ。「これでいい?」と確認するために。
(なんて愛おしいの)
柃華は胸が詰まった。
母である皇后陛下が亡くなって、蒼海は深く傷ついていたのに。こうして表に出て、笑顔を見せてくれる。元気なふりをしているのではなく、本当に健やかでいてくれる。
嬉しくて、嬉しすぎて。柃華の瞳に映る蒼海の姿が滲んでしまう。
(そうよ。わたしは決めたじゃない。蒼海さまを立派な公主にお育てするって)
柃華は決意を新たにした。




