13、酸梅湯
貴重な琵琶の弦を切ったこと。その罪を時修媛にかぶせようとしたこと。その罪で、思月は杖刑となった。投獄から十日経った頃だ。
杖刑は、木製の硬い棒で腰や臀部を打たれる。罪が軽ければ六十回、重くなるほど回数は増えていく。
「司楽の杖刑を見てきたけど。ひどかったわ」
思月の拷問は公開されていた。それを見たひとりの侍女が、同僚に話して聞かせているようだ。星河宮の回廊で、にぎやかな声がする。
夕食までにはまだ時間があるので、侍女も手が空いているのだろう。
「衣が破れて、血に染まっていたわ。あれでは回復してもまともに歩けないんじゃないかしら」
話を聞いていたふたりの侍女は、短い悲鳴を上げた。
「ちゃんと手当てをしないと、高熱を出して病気になるんじゃないの?」
「なんでその司楽は、時修媛を陥れようとしたの? 拷問されるって分かりきっているのに。理解できないわ」
窗に映る人影は三つ。扉を閉めていても、窗は綿繭という絹の糸くずを引き延ばして作った繭紙でできているので。外の声が部屋の中まで聞こえてくる。
「じょおけいってなぁに?」
椅子に座って、足をぶらぶらさせながら蒼海が問いかけてくる。柃華は「うーん」と唇を引き結んだ。
蒼海は、柃華からもらった陶器人形で遊んでいる。翠の小鳥が手に止まった、女官の人形だ。たおやかな手に、翠の小鳥が止まっている。
泥人形と呼ばれる粘土でつくったものよりも、表面に透明感があり、作りも繊細だ。
陶器の人形ならば、触れると冷たいので夏にはちょうどいい。
「むずかしいの?」
難しいですよ。子供に説明するようなことではありませんからね。と、言いたいのをぐっとこらえる。
「じゃあね。ごぉもんってなぁに?」
蒼海の無邪気な質問に、柃華は頭を抱えたくなった。教えていいことと悪いことの線引きが難しい。ただの勉強ならいいが。生きていく上では、机上で学ぶこと以外が多すぎる。
「悪いことをすると、罰で痛いことをされるんです」
「いたいって。つねられるの?」
蒼海の表情がこわばる。
「それも痛いですね。でも、つねられるくらいで終わるならいいんですが」
「じゃあ。ここをぶつけるくらい?」
お行儀悪く足を伸ばして、蒼海は自分のすねを指さした。
柃華はもちろん杖刑の真の痛さも恐ろしさも分からない。だが、下手をすれば二度と歩けなくなることも、感染症で命を失うことになるかもしれないという事実だけは知っている。
そこまでして思月は威龍を庇うのか。充分な見返りがあるとも思えないのに。
「柃華さま、蒼海さま。お茶をお持ちしました」
任春が茶器の載った盆を手に、部屋に入って来た。侍女頭が回廊を通ったからだろう。それまで噂話をしていた侍女たちの声は、もう聞こえない。
「今日は酸梅湯ですよ。甘くしていますから、蒼海さまでも飲みやすいと思います」
「すっぱい?」
蒼海は椅子から身を乗り出して、机に置かれた碗を覗きこむ。
酸梅湯は、山査子と烏梅という青い未熟な梅の実を、燻製にしたもの、甘草を煮出して作る。
陶岳国に烏梅はない。いぶした匂いのする飲み物に、最初の頃は柃華も慣れずにいたが。
喉を潤し、汗のかき過ぎを防ぎ、体の熱をとる効能はありがたい。
「甘酸っぱい、ですね。まだ熱いので、気をつけてお召し上がりください」
「リアンチャなのに、あついの? へーんなの」
楽しそうに笑う蒼海を見て、柃華は気づいた。
今、任春がお茶を持ってきてくれたのは偶然ではない。蒼海に聞こえる場所で、侍女たちが噂話をしているのを見かけたのだろう。
だから急いでまだ熱い酸梅湯を持ってきてくれた。冷めるまで待つこともなく。
侍女頭が率先して仕事をこなしていれば、侍女たちも動かざるを得ない。ただ通りがかっただけでは「任春さんも杖刑のことを聞きましたか?」と、噂話に巻きこまれるだろうから。
「すごいわね。任春」
「え、何がですか?」
柃華の言葉の真意が分かっているだろうに。任春は素知らぬふりをした。
任春は、いかにも仕事ができるという雰囲気ではない。けれど陶岳国の王宮で働いている時から、他の侍女よりも気が利き、細かなところに配慮ができていた。
だから柃華は、任春を侍女頭としてつれてきたのだ。
侍女たちに注意をして不興を買うこともなく。蒼海の耳に入れたくない話を、自然に遠ざける。
(よかった。任春が、威龍お兄さまに目を付けられなくて)
まだ熱い涼茶を柃華は飲んだ。独特の燻した匂いにももう慣れた。
ふと、威龍との結びつきの強い思月は、この烏梅の燻した香りを疎んでいたのではないかと思った。なぜなら長兄の苦手そうな匂いだからだ。




