23、戻ってきた犯人
「郭貴妃の妹が、ここへ戻ってくるとわたしが判断したのは、貴妃に水や食料を与えるためです」
柃華の側寫によれば、妹は杜撰な性格をしている。
姉が足を引きずった時に、黒土が残っていることに気づかなかった。
もし黒土を目にしたとしても、果たして掃いただろうか。
箒が手に入らずとも、その辺りの葉をむしって土を払えばいい。使い終わった葉は、草の中に捨てておけば目立つこともない。
なのに、しなかった。考えもつかなかったのだろう。
それに妹は、柃華がお茶の話をした時に迂闊に話に乗ってきた。二人が何を話したか、共通の話題が何であるのかを知りもしないのに。
双子だから、姉のことは何でも分かると思い上がっているのだろうか――。
姉を殺すほどの残虐性は持ちあわせていないが、貴妃に成り代わろうとする豪胆さは妹にはある。
ならば、この場に隠している姉が衰弱せぬように気を配るだろう。
「妹はとにかく、郭貴妃を英和宮から遠いところに隔離したかったのだと思います。そしてすぐに、郭貴妃を後宮から出す予定なのでしょう。自分のふりをさせて、郭家の侍女と共に」
後宮で暮らす姉を訪問した妹が、自らの足で歩いて後宮の門を出ていく。何の問題もない、当然のことだ。
「姉に成り代わってどうするんだ。妹は自分の人生を捨てることになるんだぞ」
「そうですね。相当の覚悟が要ります」
「しかも陛下を騙すことになる。重罪だ」
「……おっしゃる通りです。わたしなら無理です」
それでも妹は、入れ替わりを成し遂げなければならなかったのだろう。
柃華は腕を組んで、凌星を見上げた。
「郭貴妃が、皇后娘娘の忘れ形見である蒼海皇女を立派に公主に育て上げれば、郭家の評判が上がります。陛下は郭貴妃を立后なさるでしょう」
「たしかに。星河宮を訪れた郭貴妃が、そう話していた」
涼茶を給仕した時のことを、凌星は思い出したようだ。郭家の意思を無視した貴妃と、言いつけに背けない生真面目な妹。
加害者である妹もまた、父親や親族に命じられた被害者なのだろう。
「待ちましょう。すぐに郭貴妃が見つかりますよ」
三人は廟の外に出た。木々の枝に止まった小鳥がさえずっている。会話をするように鳴いては答え、軽やかな声が重なる。
(そういえば。蒼海が、鳥かごがどうとか話していたけど)
――おっきなとりかごで、かくれんぼするの。こわいこわいってないちゃったの。
あれは何のことだったのだろう。お堂を出て身を隠しながら、柃華は思案した。
まだ朝霧は晴れない。
「鳥かご……大きい鳥かご」
蒼海の母親が暮らしていた玲玉宮では、鳥を飼っていた。四歳の子どもから見れば大きいのだろうが、よくある鳥かごだ。
しかも鳥かごでかくれんぼ? 中に人が入るということ? そんな巨大な鳥かごは見たことがない。
思案を巡らせた柃華は、はっとした。閃いた。
(そうだ。飼っている鳥を見るためにも、通気性のためにも。鳥かごは中が透けて見えるようになっている。その形状を蒼海は「鳥かご」と言ったのなら)
だが確証には至らない。凌星たちにもばれぬように、柃華はそっと外の灯籠に近づいた。
蝋燭や蝋燭立てを覆う麻布をじっと見据える。そして、柃華は囁いた。
「動かず、声も立てず。どのような反応もなさらぬように」と。
太陽が高くなってきた。空気が熱を持ちはじめる。
だが、廟の影の中に入ると湿った冷ややかさを感じる。
(蒼海は駄々をこねていないかしら。ちゃんと朝食をとっているかしら)
陶器人形は置いてきたし、侍女頭の任春に書き置きもしたけれど。もし蒼海が寂しくて泣いていたらと考えると、柃華の胸は痛んだ。
ほんとうは今すぐにでも星河宮に走って戻って、蒼海をあやしてあげたいのに。
「どうした。ぼうっとして」
「いえ、蒼海がどうしているかと……」
柃華が言いかけた時。凌星がなぜか微笑んだ。
「君はもう蒼海皇女の母親なんだな。まるで君の世界が、蒼海皇女を中心にまわっているようだ」
褒められているのか、茶化されているのか分からない。分からないが、凌星の指摘は正しい。
その時だった。パキッと小枝の折れる音が聞こえた。足音はひとつ。柃華は息をひそめた。
現れたのは郭貴妃に瓜二つの妹だ。名は知らない。
妹は簡素な普段着で、布の包みを抱えている。
「貴妃であれば、宮の外をひとりで歩くことなどあり得ない」
「声を落としてください。凌星さま」
天遠が囁くように注意した。
ただでさえ人気のない寺廟だ。しかもまだ朝早いので、声がよく通る。
だが、凌星の言うとおりだ。貴妃は侍女を伴わずに歩くことはない。けれど、貴族の娘であればどうだ? 家に侍女はいても、常に行動を共にするわけではない。
どんなに貴妃である姉を装っても、こうした習慣の違いで綻びが現れる。
「姉さん。姉さん、わたくしよ。世真よ」
世真と名乗った郭貴妃の妹は、迷うことなくまっすぐに灯籠へと向かった。
やはり、と柃華は息を呑む。あの灯籠の中、布に包まれて郭貴妃がいるのだ。
「大丈夫? 夜露には当たっていないわよね。夜の間に雨も降らなかったから、平気よね」
灯籠は、蝋燭を出し入れするために扉が開くようになっている。
「姉さん。朝食を持ってきたの。油条だけで申し訳ないけど。水もあるわ」
世真は灯籠のなかの麻布に語り掛けた。
返事はない。徐々に世真の声は大きくなる。まだ反応はない。
世真は空いた右手で布を摑んだ。バッと勢いよく風をはらんで、麻布が剥ぎとられる。
細長い格子の向こうに郭貴妃がいた。折り曲げた膝。手首と足首を細い布で縛られている。口に猿轡を噛まされて。
髪は乱れ、ぐったりとした郭貴妃は青白い顔をしていた。
「姉さんっ。しっかりして」
世真の手から包みが落ちる。中には水を入れた瓢箪も入っていたのだろう。包みから水が洩れて、敷石の地面にしみこんでいく。




