21、涼茶とお茶
後宮の寺廟は、四夫人たちの宮の北にある。この南洛国の最初の皇后を祀っている寺だ。
東の空から朝陽が昇りはじめ、通りに敷かれた白石が光を宿す。
宮女や女官が、同じ方向に歩いていく。宿舎を出て、食堂に向かうのだろう。
人の流れに乗っていると、時おり「柃華さまよ」「どちらにいらっしゃるのかしら」と囁く声が聞こえた。波のように穏やかに、その声は届く。
「時修媛。そなた、人気者なのだな……その、女性に」
女官や宮女たちの中で、凌星と天遠だけがやけに背が高くて目立っている。
「人気者ではありませんよ。わたしが他国の人間だからでしょう。珍獣みたいなものですね」
「いや、そうではあるまい」
そうなんですよ、と言いかけて。柃華はやめた。
高い位置から柃華を見据える目が、寂しそうだったからだ。
皇帝は、柃華を大事にすることもなければ虐げることもない。しいて言えば放置だ。
だから柃華は、結果的にどの妃嬪の敵にならない。格下であるとか、そういう問題ではない。そもそも陛下の寵愛を得て、子を生すという戦いに参加していないのだから。
「これから行くのは寺廟ですが。いっそのこと、わたしを尼寺へ送ってほしいですね」
なにも虚勢を張っているわけではない。
元は王女とはいえ、柃華は慎ましい暮らしを送ってきた。陶岳自体が豊かな国ではないからだ。
化粧をして装うか、飾り気など何もないかの差で、後宮にあっても清らかな柃華の暮らしは尼寺と大差ない。いや、尼寺なら人質ではないので気が楽だろう。
「そんな悲しいことを言うな」
「悲しいですか?」
凌星の言葉は、柃華には意外だった。彼はただの見張りだ。わざわざ侍女のふりをしてまで、後宮に入りこんでいる。柃華の存在自体、迷惑と思っているだろうに。
「君がいなくなれば、蒼海皇女が孤独になる」
「はい……確かに」
出会ってから、初めて凌星に「君」と呼ばれた。「そなた」ではなく。
凌星は、こほんと咳払いをする。
「それに、天遠も寂しがる」
「は?」と素っ頓狂な声を上げたのは、背後を歩く天遠だ。
「天遠が寂しがるんだ」
反論は認めない、と念を押すように凌星はくり返した。
後宮の端にある寺廟は、しんと静まり返っていた。ふつうの寺のように僧侶がいるわけではない。管理する女官はいるが、廟に常駐していない。たまに下女が掃除に来る程度だ。
木々の色を溶かしたように、朝霧は緑に染まっていた。
灰色の瓦にくすんだ色の柱。常緑の木々はあるが、花が植えてあるわけでもない。南洛国最初の国母を祀るには、あまりにも地味だ。
致し方あるまい。南洛国も元は小国であったのだから。当時の寺廟を新たに建て直す資金はなかったのだろう。
「郭貴妃は、英和宮に戻って来たというのに。君はここに貴妃がいると言うのだな」
掃除も行き届いていない廟を、凌星は見上げた。屋根にはあろうことか草が生えている。
「はい。昨夜わたしたちが会ったのは、偽者だと思います」
柃華の言葉に、やはり凌星は納得できないようだ。腕を組んで、眉をひそめた。
「郭貴妃と顔が同じだったのは、妹だからでしょう。素顔が完全に同一ではなくとも、化粧で似せることは可能です。背丈にわずかな違いがあっても、髪を結う高さでごまかすことはできます」
「証拠というには乏しくないか?」
こくりと柃華はうなずいた。
「美弓殿下がいらっしゃれば実の母と叔母、ふたりの微妙な差に気づいたことでしょう。残念ながら、門まで皇子が出ていらっしゃることはありませんでした。ですから、確認をさせていただきました」
柃華は廟の前で、地面に膝をついた。深々と礼をしてから立ちあがり、裙についた土を払う。凌星や天遠も同じようにひざまずいた。
「では、真相をお伝えします」
背筋を伸ばして立つ柃華の声が、凛と響いた。
まだ故郷にいた頃と同じだ。側寫術を用いて柃華が事件の事実や真実を語りはじめると、誰もが彼女から目を離せなくなる。凌星と天遠も瞬きを忘れたかのように、柃華を注視している。
「わたしは『おもてなしに熱いお茶をお出しした』と話しました。そして郭貴妃はそれを認めました」
凌星が、はっとした表情を浮かべた。
そう。凌星が郭貴妃に出したのは涼茶だ。体の熱をとる飲み物なので、冷たいわけではないが熱くはない。常温だ。
ほんとうの郭貴妃であれば、涼茶のことを覚えているはずだ。お茶とは明らかに水色の違う、鮮やかな赤なのだから。
しかも凌星が棗と山査子、洛神花の涼茶であると説明し、郭貴妃もそれを聞いていた。
「郭貴妃の妹でしたら、後宮を訪問することは難しくありません。事前に手紙で貴妃に知らせておけばいいのですから。しかも、わたしたちが出会った妹は、あわてて郭貴妃の衣と取り換えたのでしょう。衣が着崩れていました」
「差し支えなければお教えください。時修媛。どうしてこの寺廟にまことの郭貴妃がいらっしゃるとお考えになったのですか」
直接、天遠が柃華に尋ねてきた。
凌星は、涼茶を出したときのことを頭の中で反芻しているに違いない。天遠は、主に代わって必要なことを質問したのだろう。控えめで、有能な部下だ。




