18、柃華の側寫
手帕で濡れた手を拭きながら、柃華が顔を上げた。司燈のふたりには、引き続き提げ灯籠で地面を照らしてもらう。
「こちらをご覧ください。黒い土と白い土が見えるはずです」
柃華の指し示す場所を、凌星はじっと見据えた。きれいに結って簪を挿した頭を、蒼海ががしっと摑んでいる。それでも凌星は文句を言うでもなく、蒼海が落ちないように皇女の両足首を握っている。
「白土は分かるが。黒い土は?」
「黒い土は後宮の土です」
「時修媛。そなたは先ほど、臨洛の土は白いと言ったばかりではないか」
凌星の指摘は正しい。だが、それはあくまでも臨洛一帯の土壌の話だ。
「後宮にはそれぞれの殿舎に庭があります。そして御花園のような庭園も、複数あります。それらに共通するのは、木や花を植えてあるということです」
「植物には黒い土がいいのか?」
「はい。土の成り立ちが違います」
柃華は説明を続けた。
白い土は鉱物、つまり石が風化して砕けたものだ。だが黒い土の成分は違う。植物などが膨大な年月をかけて崩れ、土となっている。腐植と呼ばれる生物の遺骸の多い土は栄養が豊富だ。
ゆえに後宮では、あえて黒土を運んで土壌を改良している。でなければ、花の少ない殺風景な後宮になってしまうからだ。
「こちらの黒土は、後宮で暮らす人の足についていたものです。ご覧ください。わずかに残っています。黒土の原料が植物であることの証です。そして白土は、外から来た人の沓の裏について、運ばれてきたのです」
「だが。黒土は庭で用いるのだろう? 司苑に属する宮女なら草を抜いたり、花がらを摘むから土が付着するのも理解できるが」
柃華に質問してくるのは、凌星だけだ。
天遠は、分をわきまえて言葉を挟まないのだろうが。郭貴妃の侍女は、よく理解できないようで柃華と凌星の顔を交互に見ている。
「庭に入らずとも、土は風で回廊や通りに運ばれますよ」
「……確かに。星河宮でも毎朝、下女が回廊を箒で掃いているな」
「はい。こまめに掃除をしないと、回廊に落ちた黒土が室内にまで入りこみますから。ただし微量です。こんなにはっきりと黒土が残るほどではありません」
柃華は侍女に視線を向けた。
「それに今日、郭貴妃は話しておいででした。英和宮の庭に咲いている玫瑰花の花がらを摘もうか、と。貴妃は、庭の玫瑰花のなかにお入りになりましたね?」
「は、はいっ。たしかに」
確証をひとつ得た。次にもうひとつ。柃華は侍女に問いを続ける。
「郭貴妃に手紙が届いたと話してくれましたが。来客はありましたか? 届けを出せば、身内の女性であれば後宮に入れますよね」
「いえ。誰もいらしていません。あ、でも。今日の午後、貴妃さまは門のところで何かをお待ちのようでした」
「それなら、人が訪れたということですね」
「え、でも取次ぎもしていませんし。どなたも中にお通ししておりませんが」と、侍女は困惑した表情を浮かべる。
「だからこそ、大事な客があったということですよ。誰にも秘密にしなければならない相手です」
貴妃自らが、門まで出迎えるなど通常ならばあり得ない。なのに、それをした。ということだ。
「この白土が来客の沓の裏についていたもの。黒土は、郭貴妃のもの。白土はこちらと、数歩ほど離れた場所にも微かに残っています。付き人を伴っていますね」
「すみませんが、明かりを」と、柃華は司燈の宮女たちに指示を出した。
提げ灯籠のほの白い明かりが、地面を照らす。
柃華はもういちど、指で弾いて水を散らす。足跡が残るほどではない。だが、ふたりぶんの土は、門から中には入っていない。
そして黒土はこすったように線になっている。長さにして十寸ほど。その先はない。
柃華はしゃがんだまま、凌星を見上げた。彼が肩に乗せている蒼海をも凝視する。
「なんだ? 私に手伝ってほしいことでもあるのか?」
「ツァンハイ、おてつだいするのー」
両手をあげて、凌星の肩の上で反り返った蒼海を、背後にいた天遠があわてて支える。なかなかに連携がとれている。
「手伝いは追々お願いします。なるほど、わかりました」
柃華は立ちあがった。東の空に昇りはじめた月が、柃華を背後から照らす。
北国特有の淡い色の髪や、金の簪に月の光がこぼれて落ちる。
「郭貴妃は拉致されたと思われます。方角は北。行先は寺廟だと推測します」




