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15、蒼海と紫安

 郭貴妃が星河宮を訪れた三日後のこと。侍女の紫安(ズーアン)に扮した凌星が、夕食を運んできた。

 茄泥(チエニイ)という、茄子をとろとろに蒸して潰し、練った白ごまをのせたもの。蒸した魚に葱と生姜の細切りをのせて、熱い油をじゃっとかけたもの。そして青菜の入った澄んだ(タン)だ。


「おなす、おなす」

「なにが『おなす』だ。おい、柃華。皇女のしつけはどうなっているんだ」


 凌星が持つ盆をのぞきこもうと、蒼海が背伸びをする。


(人のことを呼び捨てにするあなたに、言われたくないなぁ)


 凌星が、卓に皿を並べていく。王都である臨洛(りんらく)の名産である白い皿に、青い絵付けを施したものだ。

 とはいえ、凌星が料理を厨房から持ってきたわけではない。他の侍女が柃華の室の前まで運んできた盆を、凌星が受け取るだけのことだ。


「のびのびと育てるのが、わたしの子育ての方針ですので」

「のびのびすぎるだろ」


 どうやら凌星は、よほど窮屈に育ったようだ。

 たしか凌星殿下の母親は、皇太子嬪こうたいしひんのひとりであったはずだ。后妃ではなく、その下の品階だ。凌星は陛下が即位なさるよりも前に生まれている。だから、男子であり初めての子であるのに、皇太子ではない。


「ズーアン。ツァンハイね、おなすたべたい」

「はいはい。皇女殿下、少々お待ちください」


 凌星は三人分の皿を卓に並べた。そう、自分の分もだ。

 蒼海皇女もようやく、女性の姿をしている時は「リンシー」ではなく「ズーアン」と呼ぶことに慣れてきたようだ。


「試毒は済ませてある。この茄泥(チエニイ)は、練った白ごまを混ぜて食べるとおいしいんだ」と言いながら、凌星が匙で茄子とごまを混ぜてくれる。意外と面倒見がいい。


「厨房の女官に話して、大蒜(にんにく)は抜いてもらっている。蒼海皇女にはきついだろうし。大蒜のにおいのする妃嬪というのもどうかと思うのでな」

「お気遣い痛みいります。でも、わたしの元に陛下はいらっしゃいませんよ」


 何気なく言った柃華の言葉に、立ったままの凌星が匙を持つ手を止めた。


「いや、皇后陛下のことがあるから。最近はさすがに渡りはないと思うが」


 蒼海に聞こえない程度の小さな声なので、凌星は上体を屈めて柃華の耳もとに口を寄せた。

 ふわっと匂ったのは、涼しい香り。これは薫陸香(くんろくこう)だ。


(この香り、覚えているわ)


 柃華は座ったまま、隣に立つ凌星の顔を見上げた。とても懐かしくて、胸が締めつけられるような匂いだ。


「どうかしたのか?」と凌星が訝し気に問いかける。


「いえ、なんでもありません。あ、えっと、陛下の渡りのことでしたら、わたしが入宮して以来、一度もありませんので。大蒜くさくとも、問題はありませんよ」

「……大問題だ」


 渋い薬湯でも飲んだかのように、凌星が顔をしかめた。


「柃華。そなたは後宮に来て何年だ?」

「十六歳で修媛となりましたから。今年で九年になりますね」

「九年っ!」


 あまりにも大きな凌星の声に、蒼海皇女がぶらぶらさせていた足を止めた。


「九年も陛下から放っておかれているのか? 妃嬪となれば、陛下の子を生むのが義務であり、喜びではないのか?」

「義務も喜びもないですよ。しょせんわたしは人質ですから。陶岳国の軍が南洛国の国境(くにざかい)を越えようものなら、すぐに頭は転がり落ちるでしょう」


 処刑の意味は、蒼海は理解できないだろうが。それでも子供にわからぬように、言葉を選んだ。

 大丈夫。蒼海は目の前に置かれた茄子に興味津々だ。


「陛下は陶岳国を恐れすぎだ。たしかにあの国は北方にあり、資源も少ない。陶岳の民は狩猟民族でもあるので、男子女子問わずに子供の頃から馬に乗れる。農耕国である南洛国では騎兵を育てるのに時間も金もかかる。その点、陶岳国は皆が生まれながらに騎兵の才能があると言えるが」


 凌星の説明に、柃華はおや? と片方の眉を上げた。

 確かに陶岳は急峻な山越えをしない限りは、馬での移動が多い。

 

「馬の産地で有名なのは、陶岳国の西にある黒水(こくすい)族が暮らす平原だったな。黒水から離れた南洛国では、駿馬も滅多に入ってくることがないが。その点、陶岳国には黒水からもたらされた名馬も多い」


(やけにうちの国に詳しいな、この皇子さまは)


「だが、陶岳国は圧倒的に人口が少ない。男を徴兵すれば、残された女たちではあの国の厳しい冬を越せぬだろう」


 なぜか怒りながら、凌星は蒼海の隣の席に座った。座って、匙で茄泥をすくう。そしてその匙を蒼海の口へと運んだ。

 もぐもぐ、と蒼海が咀嚼する。とろけるように蒸された茄子を、蒼海はすぐに飲みこんだ。


「おいしいねぇ。ズーアン」

「はっ。私はなにを」


 あまりにも自然に食事を与えていた凌星も、当たり前のように食べていた蒼海も。どちらも呑気だ。まぁ、呑気でいられる環境なのはいいのかもしれない。


「まぁ、いい。蒼海皇女、あとは自分で食べなさい」

「やっ。ズーアンがたべさせるの。おなす、たべたい」

「……ほんとうに躾がなっていない。私は鳥に給餌しているのではないのだぞ」


 凌星はため息をつきながら、匙で茄子をすくった。文句を言いながらも、蒼海に甘い人だ。

 やはり半分は血がつながっている義兄妹だからだろうか。継母である柃華よりも、ほんとうは凌星のほうが蒼海と近い関係にある。


「とり」と、蒼海がとつぜん目を見開いた。その瞳が紫に澄んでいる。

 まただ。柃華は目をすがめた。


「鶏だと? 食べたいのか? 今日の料理に鶏は使っていないぞ」

「ううん、ちがうの」


 凌星に問われて、蒼海は首をふった。


「おっきなとりかごで、かくれんぼするの。こわいこわいってないちゃったの」

「何を言っているんだ? ほら、茄子をもっと食べるんだろ?」


 凌星が、匙を差しだす。やっぱりこの人は義妹に甘い。

 蒼海は「とり……」と呟きながらも、また茄子を食べた。

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