10、全くもって態度が悪い
柃華に男性の侍女ができてしまった、後宮だというのに。しかもただの男性ではない、皇子だ。
凌星殿下は、柃華が暮らす星河宮に一部屋を与えられた。
翌日から、凌星の侍女としての仕事が始まった。
「任春。殿下はあなたの下で働くのだから、指導してあげてね」
「無茶をおっしゃらないでください。わたしが殿下に用事を言いつけるわけにはいきませんよ」
柃華の言葉に、侍女頭の任春は悲鳴に似た声を上げる。
星河宮は、庭の中央に池がある。舟を浮かべて遊ぶほどの大きさではないが、夏の今はうすべにの蓮の花が見事に咲きほこっている。
柃華の室からも、気高い蓮の花がよく見える。蒼海も窗からの眺めを気に入って、柃華の室にいることが多い。
「殿下と呼ぶのはやめてもらおうか。白紫安だ」
侍女に扮した凌星は、長椅子である榻に横たわって優雅にお茶を飲んでいる。
女主人を前にして、この自由奔放ぶり。今この部屋に他の侍女や女官が入ってきたら、騒ぎになってしまう。とんだ問題侍女だ。
「この茶……懐かしいな」
お茶の味が気になったのか、凌星は体を起こした。碗のなかをまじまじと見つめ「油が浮いている」と呟いた。
「これね、ヘイチャ。ナイヨウをいれてのむんだよ」
「ヘイチャ。黒茶のことか。そうか。この油は奶油だな。牛乳の脂肪分だ」
「ツァンハイね、ちょっとずつならのめるよ」
星河宮で暮らすことに慣れた蒼海皇女が、凌星に教えてあげている。
今日も蒼海は卓の席について、足をぶらぶらさせている。
黒茶は茶葉を積みあげ、水を撒いて発酵させるお茶だ。湿った茶葉は内部で熱を生み、体によい菌を増やす。
「ぐつぐつと煮出すので渋いでしょう? 南洛国のお茶は沸騰させずに抽出するだけなので、あっさりしていますね。これは北の陶岳国でよく飲まれているんです」
「奶油は寒冷地で栄養を取るためか」
奶油をいれた黒茶は、クセが強い。場合によっては岩塩を入れることもあるので、お茶というよりも湯に近い味がする。
しかも陶岳国では牛乳の脂肪分ではなく、山羊乳を使うのでもっとクセが強い。
飲み慣れていないと、たいていの人が苦手に感じるのだが。凌星はすぐに飲み終えてしまった。
「さきほど、黒茶を懐かしいとおっしゃいましたね。陶岳国にいらしたことがあるんですか?」
「なぜそう思う?」
凌星は任春におかわりを頼もうとして、結局自分で茶を淹れるために立ちあがった。
新入りの侍女が、古参の侍女頭にお茶を注いでもらうのはおかしいと気づいたようだ。
むしろ侍女が長椅子に横たわっていることに違和感を覚えてほしい。
「位の低い女官を娶ることを許されず、凌星殿下は王宮を出ておいきになったと噂で聞いたことがあります」
さすがに宦官に無理心中を迫られて逃げたとは、柃華は口にできない。
「なるほど。そういう話になっていたのか。だから私が王宮に戻った折に、好奇の目で見る者が多かったのだな」
「違うのですか?」
「なんで信じるんですかね、我がご主人さまは」
柃華のことなどこれっぽっちも主と思っていないだろうに。凌星は肩をすくめた。
しかも凌星の横たわる榻のそばには、側仕えの宦官が立っている。とても物静かで、軽薄そうな凌星殿下とは大違いだ。
宦官の名は、白天遠と紹介された。帯に着けた佩玉からも、宦官ながらに高い身分であることが分かる。
「凌星さまの偽名である白紫安は、側仕えの白天遠さまの姓をお借りになったのですね」
「悪いか?」
榻の上で上体を起こした凌星は、左足を右の膝に載せて足を組んだ。こんな不謹慎でえらそうな態度を取る侍女は、どこの国を探してもきっといない。
偽名も適当ならば、侍女に扮しても適当。
ただ、凌星は妃嬪にもまさる美しさだ。翡翠や瑪瑙で飾り立てるでもなく、化粧をしているわけでもない。なのに、星河宮で働く侍女や宮女たちは、凌星とすれ違うと何度もふり返ってうっとりしている。
たぶん、たいそう背の高い美女だと思われている。
「立場上、わたししか指摘できぬことなので、言わせていただきますが」
「なんだ? 遠慮せず申してみろ」
ほんとうに侍女に扮している自覚はあるのかな、この皇子は。
柃華は任春と顔を見合わせた。
「せめて侍女らしくふるまわれた方がいいと存じます。宮女は口が軽いですからね。食堂で『星河宮に新しく来た侍女ってすごいのよぉ。時修媛の前で、だらけているのぉ。美人だけど図太いわよねぇ』と噂になりますよ」
柃華は、架空の宮女の物真似をした。侍女や女官は誇りを持っているので、仕事中の雑談は少ない。
だが女官に管理されている宮女は、雑用を担当していることもあり、おしゃべりが多い。自然とその内容も、噂話になっていく。
「仕方ない。さぁ、時修媛。私に命じろ。この白紫安は、わざわざそなたに何をしてやればいいのだ?」
「侍女は命じられる前に、周囲の状況から察して動くことも多いですが」
「無理を言うな。そなたの心の内など、読めるはずがない」
「では、凌星さまは侍女の適性はございませんね」
棘のある言葉の応酬が続く。ケンカにならないのが不思議なほどだ。
蒼海皇女は、目を丸くして凌星と柃華を交互に眺めている。こんな気の強い態度を取る柃華の姿を、蒼海は見たことがないのだろう。
そのとき。凌星が蒼海の緞帯に目を向けた。
そう、縦結びになった緞帯だ。
「む? 皇女の髪が乱れているではないか」
これは一大事とばかりに、凌星が立ちあがった。




