エピソード3-①
―エピソード3「あなたの血、清めます」―
日出づる国、日本。無辜の安穏の守り人たるチームゼットに暇という文字は無縁である。その日、チームゼットきっての銃士である権守語子二尉がルーズスタイルで繁華街に繰り出したのも、決して私用ではなかった。
四日前、チームゼットの面々に、衣笠光隊長が説明を行った。
「この数ヶ月、各界の富豪が原因不明の失血死を遂げている。犠牲者は全員、マシャエル氏のセミナーのヘビーユーザーであることが判った」
衣笠がコンピューターを操作すると、会議室のモニターにテレビ番組の一部が映った。ゲストとして招かれたその中性的な美青年は、特等席に座り、まるで教祖のような扱いを受けていた。
大衆文化に疎い唐井松は、同僚であり恋人でもある山田健美に訊いた。
「マシャエルって?健美、知ってる?」
「当たり前島のウエハースだよ。マシャエルと言えば、テレビや雑誌に引っ張り凧のカリスマ健康講師。医師免許と栄養士資格を持ち、先端医療から民間療法まで何でもござれのエキスパートだ」
衣笠は説明を続けた。
「もし富豪たちの死が偶然でないとするなら、傷も負わせず失血死に追い込むなど、人間業ではありえない。我々は秘密裏に、マシャエル氏の健康セミナーのチケットを入手した」
衣笠は取り出したチケットを権守に渡した。
「権守二尉。一般人の振りをして、セミナーに潜入してもらいたい。マシャエルの正体を調査し、もし彼が人にあだ為す怪人なら、速やかに逮捕するのだ」
「了解!」
こうして彼女は特命を帯びたのである。
青空を背に聳え立つ巨大な市民ホールが見えてきた。今から三時間後、ここでマシャエルのセミナーが開催されるのだ。鬼が出るか、蛇が出るか。彼女は気を引き締めた。
そのとき、幼い女の子の鳴き声が聞こえた。迷子のようだ。権守は子供に駆け寄った。
「お母さんとはぐれたの?君、名前は?」
「知らない人に名前を教えちゃいけないって」
「それじゃお母さんの探しようがないじゃない」
権守は困り果ててしまった。そこに、男にしては高い声がかけられた。
「寂しさ、不安、恐れ。負の感情は神経に負荷をかけます」
それは、サングラスをかけた美青年であった。服も白ければ、髪まで白い。彼はしゃがむと、女の子の頭に優しく手を置き、しばらくじっとした。
「源梨花さん。すぐにお母さんと会えますよ」
「ほんと?なんで私の名前を?」
美青年は微笑んだ。
「僕にはわかるのですよ」
そこに、梨花の母親が駆けつけた。
「梨花!」
「ママ!」
母親は梨花を抱きしめた。そして、権守と美青年に頭を下げ、去っていった。
権守には、彼の顔に見覚えがあった。
「あの・・・もしかして、マシャエルさん?」
「あなたは、僕のセミナーの受講生・・・それも、初めての方ですね」
「は、はい」
言い当てられて、権守は驚いた。
「人を健康にすることが、僕の喜び。ご期待ください。あなたの血、清めます」
青年は超然たる微笑みを権守にくれると、踵を返して、マネージャーの待つ車の方に歩いていった。
受付開始時間になると、権守はホールに入った。
「こんにちは。こちらパンフレットです」
入口で無愛想な男性スタッフに手渡されたパンフレットには『後仁孝五年 第5回マシャエルセミナー』と書かれていた。彼女は何気なく男性スタッフの顔を見た。そして、驚きの声を上げた。
「ゼンゼ!」
そのスタッフは、こともあろうにゼンゼであったのだ。
「なんであんたがここにいるの!」
「生活費を賄うための職務、加えて精神修養の一環だ」
権守はパンフレットを受け取りながら、バッグからゼットガンのグリップをちらつかせた。
「何を考えてるのか知らないけど、常に急所をゼットガンが狙ってると思いなさい」
ホール内には何千人ものファンが集まっていた。やがて照明が落ちると、袖から白いマントを着たマシャエルが現れた。
「マシャエル様だ!」
「俺達の天使だ!」
「マシャエル様ー!」
ファンたちの歓声を、マシャエルはたなごころ一つでぴたりと止めた。大ホールに、彼の澄んだ声が響き渡った。
「僕の健康セミナーにようこそ。いつも来てくれているみんなも、初めての人も、僕と一緒に、健康のことを楽しく学ぼう」
マシャエルの講義は明快で、かつ興味をそそるものだった。内容は日々の運動や快眠の方法など多岐に渡ったが、特に血液を改善する食生活について多くの時間が割かれた。ともあれ、ファンから血液を吸い取っている様子などは無く、取り立てて不審なものではなかった。
客席の後ろを見ると、スタッフたちも立ったまま講義を真剣に聴いていた。その中に、ゼンゼの姿はなかった。権守の胸に疑惑が凝り固まった。もしや、人々の血を抜き取っているのはマシャエルでなく、ゼンゼなのではないか?
やがてセミナーは恙無く終わり、別室で個人施術会が始まった。事前調査でそのことは判らなかった。権守は飛び入りで参加しようとしたが、女性スタッフに止められてしまった。
「申し訳ありませんが、個人施術会はゴールド会員様限定でして」
「では、今ここで入会手続きできますか」
「ご入会には審査がありまして、誠に残念ですが、今回のご参加はできません。ご了承ください。入会はマシャエル様の公式サイトから申請いただけます」
折しも、豪奢な洋服に身を包んだ中年男がどかどかと歩いてきて、権守に大声で言った。
「おらおら!こっからはゴールド会員様限定だ。貧乏人はすっこんでな!」
男は金色のチケットを見せびらかしながら奥へと進んだ。
権守は一旦引き下がり、人目の無い所で通気口を取り外して天井裏に忍び込んだ。
迷路なす天井裏を、権守は予め頭に叩き込んである見取り図に従って迷いなく進んだ。小ホールに当たる場所にたどり着くと、彼女は通気口から下を覗き込んだ。窓の無い、一面反射板に囲まれた円形ホールの中央にベッドがあり、そこに先程の中年男が座り、彼の前にマシャエルが立っていた。
「お教えした食事療法をされていませんね。なぜです?」
「それがどうした。こっちは客だ。あんたは黙って血を清めてくれればいいんだ」
男の悪態に眉一つ動かさず、マシャエルは彼をベッドに寝かせると、そっと手を翳した。彼の手から光が照射され、男はすぐに意識を失った。
天井裏から驚きをもって見守る権守の肩を、突如として叩く者があった。驚いて振り向くと、ゼンゼの顔があった。権守は声を出さずに言った。
『ナニシニキタノ』
ゼンゼもまた唇と舌の動きだけで話した。
『ソンナコトヨリシタヲミタマエ』
見ると、男の額から血液が一滴、また一滴と空中に浮かび出で、マシャエルの指先に集まっていた。マシャエルはそこにしめやかに薔薇色の唇を近付けた。滑り出た真紅の舌で、ぴちゃり、ぴちゃりと血液を啜った。
二人は通気口を蹴破って床に降り立った。
「そこまでよ!」
権守はゼットガンを構え、ゼンゼは大剣ゼンゼフェルを抜いた。
「おや、招かれざるお客さんだね。チームゼットの権守語子隊員、そして君は・・・」
「私の名はゼンゼ。ゼゼールの騎士だ。お前は何者だ」
ゼンゼは剣を向けたまま問うた。
「僕は『管理者』より人間界の守護と監視のために生み出された余剰次元生命体。君たちに理解可能な概念に置き換えれば『天使』だ」
その言葉は、浮世を離れたマシャエルの微笑に絶妙に合致していた。
「その天使とやらが、なぜ人間から血を奪うの」
「人間の血には、一種の麻薬のような作用があってね。一度飲んだら、もうやめられなくなるのさ」
マシャエルは中年男の血を一滴啜った。マシャエルの体は小刻みに震え、その端正な顔は快楽に崩れた。額から横面にかけて、真紅の模様が浮かび上がった。
「はあん・・・もう最高・・・」
権守は厳然と警告した。
「一度だけ警告するわ。血を奪うことをやめなさい」
マシャエルは恍惚とした表情のまま言った。
「やめるなんて無理」
その言葉を皮切りに、権守はエネルギー弾を発射し、ゼンゼは斬り掛かった。マシャエルはゼンゼの剣を躱し、白い何かで権守のエネルギー弾を禦いだ。それは、彼の背中から生えた四枚の翼であった。権守はなおもエネルギー弾を連射したが、マシャエルは二人を翻弄するように優雅に飛び回り、決して射抜かれることはなかった。ゼンゼの繰り出す斬撃もまた、ひらりひらりと躱され、ついにはマシャエルの左手の人差し指と中指で掴まれてしまった。
「ふふふ。子羊の歯に天使の体は噛み切れないよ」
「ならば竜の牙ならどうだ」
ゼンゼは剣の拵えの中央の宝珠を回転させた。ゼンゼの精神力が強烈な電撃となり、マシャエルの体に流れ込んだ。
翼が焼け焦げた堕天使は息も絶え絶えに言った。
「ば、馬鹿な。人間に、こんな力が・・・」
「命を弄ぶ者は、例え神でも斬る」
マシャエルの喉笛に、ゼンゼは切っ先を突きつけた。
そこに権守の声が割って入った。
「待って!」
権守はゼットガンを収め、マシャエルに語りかけた。
「あなた、本当に人を殺したかったの?」
「何だって?」
「今朝、迷子を安心させたのは、あなたの優しさでしょう。違う?」
「僕は人間を守護するために生み出されたのだから、当然だ」
「人間の血を吸わなくて済む方法はないの?」
「一つだけ。『光の朝廷』にある『無垢の水』を飲めば、僕達の精神は初期化される。でも、僕は光の朝廷を追放された身だ。水をもらうことはできない」
「誠心誠意頼んでみたらどうかしら」
マシャエルはうつむいた。
「なぜ助けようとする。僕は人殺しだぞ」
「あなたの心に優しさがあるなら、私はそれに期待したい」
マシャエルの頬を涙が伝った。
「かつての仲間に頼んでみる。水が手に入るまで、僕は人の血を飲むことを我慢する」
権守は笑顔を見せた。ゼンゼは依然険しい面持ちのまま、白刃を収めた。
やがて帰投した権守は、隊長室にて衣笠に顛末を説明した。
「ご苦労。引き続き任務を命じる。マシャエルを逮捕せよ。抵抗した場合は、速やかに排除してもらいたい」
「その必要は無いと考えます。彼は過ちを繰り返さないでしょう」
「マシャエルは既に人の命を奪っている。野放しにすることはできない」
「彼は対策を講じると約束してくれました」
「相手は未知の存在だ。我々人間の感情を安易に当てはめてはいけない」
「もしマシャエルが裏切ったら、私が何としても倒します」
「犠牲者が出てからでは遅いっ!」
衣笠は俄に大喝した。彼は権守にまっすぐ向き合うと、厳しく、静かに諭した。
「君をチームゼットにスカウトしたとき、君が私に言った言葉を覚えているな?あの言葉を、私は今も信じている」
「了解」
権守は心ならずも承服し、隊長室を辞した。
彼女の苦衷を知らない唐井と山田は、事務室で作業に追われながら言葉を交わしていた。
「何で俺達には出撃命令出なかったんだろう」
「隠密行動の訓練受けてるのは語ちゃんだけだからねえ。僕らが行ったところで、ふん捕まえられてあの世行きがオチだよ」
「権守先輩って、ここに来る前はどこで何してたの」
「陸自の情報部、それもダブルオーだったんだって」
「ダブルオー要員!でも、スパイが何だって怪獣対策室に?」
「隊長が引き抜いたんだ。一体どんな口説き方をしたんだか」
権守はマシャエルの自宅を兼ねた事務所を訪れた。出迎えたのはマネージャーであった。権守はゼットフォンを見せた。
「チームゼットの者です。マシャエルさんにお話があります」
マネージャーは驚きをもって答えた。
「マシャエル様はこちらにお住まいではありません。打ち合わせのときにだけ、こちらにいらっしゃいます」
「それでは、どちらに」
「私も存じ上げません」
「それでは、彼の連絡先をお教えいただけますか」
「実は、連絡先も明かされていないのです。次にお会いするのは、来週ミナトドームで開かれる『初夏の大セミナー』のときでして」
手詰まりになったが、そのことに、彼女は内心安堵していた。
鬱蒼たる森の中の木造の小屋――人間界におけるマシャエルの隠れ家――にて、マシャエルは一人、震える手でグラスにワインをつぎ、一気に飲んだ。口角よりこぼれたワインが、純白の服を赤く汚した。
彼はいらだちに任せて、グラスを握りつぶした。切れた指から血が流れた。彼は狂ったように自分の手にかぶりつき、血をねぶった。だが、快楽は得られなかった。人間の血を求めてうずく体を必死に抑える彼の呻吟を聞く者は一人として無かった。
権守は、川面に映える陽光に片の目をしばし盲いつつ、漫然と歩いていた。その心はここにあらず、マシャエルの真心と衣笠の期待の間で揺蕩うばかりで、堤防に腰を下ろして彼女を見つめる人の誰なるかにも気付かなかった。
「隊長に何と言われたか、当てようか」
かく言葉を掛けられて初めて、彼女は彼がゼンゼであることに気付いた。彼は続けて言った。
「『マシャエルを倒せ』。違うか?」
「どうしてそれを・・・」
「誰が長でも同じことを言うだろう」
返す言葉を失った彼女に、ゼンゼは歩み寄った。
「君の取るべき選択肢は二つ。マシャエルを倒すか、マシャエルの真心に賭けるかだ」
「二つじゃないわ。一つよ。私には私の役割がある。隊長が与えてくれた役割が」
権守の視線は、対岸の彼方なる街並みに投げられた。
「あんたなんかには分からないでしょ」
「ああ、分からない。だから知りたい。共に戦う者として」
権守は遠くを見やったまま、独り言のように語った。
自衛官時代の権守の上官、獅子ヶ谷太造は卑俗な男であった。彼は常に己の名声獲得を第一に考え、部下はその道具とした。任務が終わるたび、部下は獅子ケ谷の酒の相手をせねばならず、特に女性職員は彼に体を触られるなどの痴漢行為を受けることも少なくなかった。耐えかねた権守は辞表を提出しようとしたが、獅子ヶ谷はそれを破り捨ててしまった。後日、改めて上層部に辞表を提出しようとしていた矢先、廊下ですれ違いざまに彼女に声を掛けた男があった。
「権守二尉。貴官はなぜ自衛官を志した」
力強くも温かいその言葉が、日常の塵埃に没していた彼女の初心を掘り起こした。
「力を持たない人々が、これからも力を振るわずに安心して生きていけるように、彼らに代わって力を振るいたい。そう思った。でも、ここにその理想は無かった・・・」
背を向けたままだった男は、このときようやく権守に向き直った。
「私達と共に戦わないか。と言っても、まだ私一人なんだがね」
「あなたは?」
「怪獣対策室の衣笠光三佐だ。来年度から新部隊の隊長に就任予定だ。私達に必要なのは、民を守る意志を持つ戦士だ」
彼女はそのとき直感した。彼こそ、自らの驥足を伸ばさしめてくれる大器であると。
しこうして、その直感が裏切られた試しは、一度とてなかった。
チームゼット入隊の顛末を語った権守は、自責に似た決意を込めて言った。
「私は衣笠光隊長を裏切れない。隊長の期待を」
「そうか」
ゼンゼは踵を返し、去り際に言った。
「自分の心に嘘は吐きたまうな」
ゼンゼは歩きだした。歩きながら、ぼそりと言った。
「かつての私のようにならないために・・・」