エピソード1-①
―エピソード1「来訪」―
日出づる国、日本。ここは太古より四季折々の豊かな自然に恵まれた神秘の国であり、また、怪獣、怪人、宇宙人、鬼や悪魔や異次元人といった未知の脅威に晒されてきた国でもある。間断なく迫りくる魑魅魍魎と戦うため、日本政府国防省には、世界唯一の「怪獣対策室」が設けられ、日夜市民を魔手から守ってきたのだ。
今日もまた、白昼堂々、人々の憩うカフェテラスに厄災が降り掛かった。頭の異様に大きい、生気を感じさせない金属製の球体関節人形のような三体の不気味な怪物たちが、善良な市民たちののどかな休日を破壊したのである。
「ゼッ!ゼッ!」
怪物たちは奇声を上げ、逃げ惑う市民を追い回す。そして、躓いて転んだ男の子に、怪物の鋭い鉤爪のある手が容赦なき暴力を振るおうとした。そのとき、輝くエネルギー弾が怪物の手を射た。
「ゼッ!」
怪物の大きな単眼は、右手に光線銃のグリップを握り、特別な制服をまとった長髪の女性自衛官の姿を捉えた。彼女は、同じく光線銃を握っている筋肉質な若い男性隊員に、鋭い声で言った。
「唐井君、市民の避難を」
「了解!」
唐井は男の子に駆け寄った。
「僕、歩ける?」
男の子は足をくじいていた。唐井の筋骨隆々たる腕は彼を軽々と抱き上げ、救護班の許へと送り届けた。
辺りに市民が避難しおえたことを確認すると、女性隊員はそっと片靨を拵えた。
「これで遠慮なくやれるわね」
敵意を措いてあらゆる精神活動を持たない生ける屍たちは、女性隊員におどりかかった。命を奪うためだけに存在する邪悪な鉤爪を、彼女は花弁のようにひらりとかわし、適切に急所を見極めてエネルギー弾を放って、迫りくる二体の怪物を瞬く間に仕留めた。その背後から、残る一体が飛びかかってきた。彼女は振り返ると同時に銃を構えたが、トリガーを引くより早く、怪物は爆散した。子供を避難させて戻ってきた唐井の狙撃が命中したのだ。
「先輩、大丈夫ですか」
信頼する戦友に、女性隊員は微笑みを投げかけた。
「一つ借りね」
この出来事は一日も経たぬうちに津々浦々に報道され知れ渡ることとなった。
「今日午後一時ごろ、東京都上野区で不明外来怪人三体が出没、十人が軽傷を負いました。怪人はチームゼットによって全て撃破されました。政府の発表によると、死者はいないということです」
あの頭の大きな怪物たち――公的には不明外来怪人と呼称されている――が世界中に出現したのは二年前のことである。彼らは未だ謎に包まれており、判っていることはたった三つだけである。拡散経路から東南アジア起源と見られること、その皮膚が現代の量子力学では説明できない未知の金属原子で構成されていること、そして、控えめに言っても人類の味方ではないということである。怪獣探知機の類は一切使えず、場当たり的な対処しかできない。日本は怪獣や怪人の襲来に慣れているとは言え、生物の行動原理――すなわち生存と繁殖――を無視した殺戮マシンのような彼らの振る舞いに対処すべく、特別な訓練を受けた戦士の投入が求められた。そして発足したのが、わずか四人という少人数の精鋭から成る撃破専門戦略処置士官隊 "Zapping Expert Tactical Treatment Officers"、通称「チームZETTO」なのだ。彼らの本部は、恐竜フクイラプトルの頭部を象ったメタリックグリーンの基地、その名も「ゼットフクイ」。その名に反して東京に所在するのだから浮世は不思議である。
唐井松三尉は、自らの教育係でもある女性隊員、権守語子二尉の机に温かいコーヒーを置いた。
「ありがとう」
コーヒーのマグカップを持ち上げた権守に、唐井は不安を漏らした。
「今年に入ってから多くないですか、やつら」
権守はコーヒーを一口すすって言った。
「そうね。まるで一向に被害が増えない日本に業を煮やして、大量に送り込んできたかのようだわ。奴らの背後にいる『何者か』が」
「止してくださいよ、もう」
学生時代に登山部で鍛えた体力だけが取り柄のこの純朴な若手隊員は、情けない声を出した。
権守はコーヒーカップを机に置いた。
「冗談で言ってるわけじゃないわ。知っての通り、私は神主の娘でね。こういう勘は結構当たるのよ」
「じゃ、じゃあどうすれば・・・」
「隊長に装備の強化を進言済みよ。今頃、あなたの彼女さんが頑張ってくれてるわ」
「ああ、道理で最近忙しそうだったわけです」
唐井は兵器格納庫に赴いた。
「健美、いるかい?」
「あ、松くん」
太古の大型爬虫類を思わせる勇壮な兵器の中から、愛する人の声が聞こえた。唐井は梯子を登り、彼女の許に向かった。
主翼の上に、短髪の小柄な女性隊員、山田健美があぐらをかき、配線にスマートフォン型のデバイス「ゼットフォン」を接続して、調整作業に勤しんでいた。
「先輩から聞いたよ。ゼットマシンをパワーアップしてるんだってね」
「まあね。具体的な内容は実戦投入してのお楽しみだ」
「お楽しみって言ったって、新機能を追加したら事前に訓練しなきゃだろ」
「ふっふっふ。そう思うのが畜生の浅知恵だ」
山田は得意げに毒を吐きながら、ゼットフォンをステッキモードに変形させ、「えいっ」と振るった。すると、空中に魔法陣のようなものが出現した。ステッキの先端で魔法陣を操作すると、陣の中央に、日本語の五十音表が出現した。
唐井は驚いた。
「これは・・・!」
「NLP、自然言語処理技術。俗に言う『言霊』ってとこかな。まだ開発中だけどね」
「すげえ」
「勿論、従来の機械的操作は必須だけど、今建設中の『新機能』は、言語を介してパイロットの思考を直接命令に変換して実行されるわけさ。何が飛び出すか、まあ楽しみにしといてくれ!」
山田は、いかにも仕事と趣味の区別が付いていない節がある。さりとて、飛び級して若干八歳にして最初の博士号を取得し、現在ではロボット工学、古生物学、言語学の三つの分野で博士号を持っているのだから、天才というほかない。魔法学――と揶揄される学問の中で、とりわけ非ニュートン空間論――に手を出したことで一度は学界を追われた彼女をチームゼットにスカウトした衣笠光隊長は、まさに慧眼の持ち主だ。
突如、件の衣笠隊長の声がスピーカーから鳴り響いた。
「チームゼット隊員はただちに作戦室に来てくれ」
作戦室に、唐井、権守、山田の三人が集合した。衣笠隊長は、モニターに航空レーダーの記録を映し出した。
「これを見てくれ。太平洋側の日本領空に、二つの巨大飛翔体が侵入した。どちらも推定五〇メートル以上」
画面に、今度は写真が映し出された。画質が粗く、形状までは判らないが、前方を飛行している物体は黒、後方を飛行している物体は金色だった。
「二度の警告のあと、空自が威嚇射撃を行ったところ、急激に加速してロスト。消失時の推定速度はマッハ10だそうだ」
「マッハ10?」
唐井は驚きの声を上げた。
「飛行怪獣ですか」
権守は訊いた。
「状況から推してその可能性が高い。よって、これよりレベル3で警戒態勢に入る」
「了解」
その夜。
人気の失せたビルの中を、警備員が懐中電灯を片手に巡回していた。ふと人の気配を感じ、彼は振り返った。だが、何人の姿も無い。気の迷いかと思ったが、今度ははっきりと何者かが駆け抜ける音を聞き取った。不審者に違いないと思った。
「誰かいるんですか!」
彼は音のした方へ歩いていった。突き当りを曲がった先は行き止まりだ。追い詰めたも同然である。
彼は意を決して突き当りの先を懐中電灯で照らした。だが、誰もいなかった。やはり気の迷いであったかと、彼は胸をなでおろした。
ふと、彼は残された可能性に気付いた。不審者が走っていたのが床ではなく、その逆、つまり天井だったとしたら。
彼はやおら上を見上げた。その瞬間、彼は知ることになった。追い詰めたのではなく、追い詰められていたということを。