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7.バイトその一 宝石店

 翌朝、湯を浴びたフロリアナは純白のドレスに身を包んだ。寮から持ち出したトランクは衣装用だったらしく、ドレスがたくさん詰め込まれていたのだ。昨夜はフロルハウスでこのトランクを枕にぐうぐうと眠りこけ、すこぶる体調がいい。


 フロリアナはラスの分も魚を釣って朝食を済ませると、勢いよく立ち上がった。


「よし! 今日も張り切ってまいりますわ!」


「お嬢さま、どこかにお出かけになるのですか?」


 昨日とは打って変わって長髪をきっちりと後ろで結んだラスは、不思議なことに燕尾服をしわひとつなく着こなすとフロリアナの元にやってきた。


「ラス。今日はこれから大事な用があるのですわ。それではゲンさん、皆さん、行ってまいります」


 家なし仲間に見送られて、フロリアナはべレク橋を渡った。一歩後ろからラスが付いてくる。


「そういえば、ラスは屋敷から戻ったあと寮に入れましたの?」


「いいえ。学院の門前で寮長に追い返されました。お嬢さまを退去させたと聞いたときは、怒りで目の前が真っ赤になりましたよ」


「大げさですわねえ」


 笑いながら、フロリアナは考える。寮に入れなかったということは、ラスも着の身着のままというわけだ。これは頑張ってお金を稼がなくてはならないだろう。


 目当ての店は、下町の商店街にあった。店の近くには、昨日世話になった酒屋もある。


「ごめんくださいませ」


 小さな店の扉を開けると、からんからんというベルの音とともに、可愛らしいアクセサリの並ぶ店内の様子が目に飛び込んできた。ここは下町の宝石店である。


「いらっしゃいませ。お、お客さま、なにかお探しで……?」


「ええ。アルバイト先を探しているのです。このお店で働けないかしら?」


「ヒィ! この店の格では、お客さまのお求めになるようなものは……、って、アルバイトですか?」


「はい。わたくし、宝石には少々詳しいんですのよ。きっとお役に立てると思いますわ!」


 フロリアナは胸に手を当て、自信満々に言い放つ。


 昨晩、ゲンたちに相談したのは、どうやったら手っ取り早くお金を稼げるかということだった。

 フロリアナひとりだったら瓶を回収しながらのんびり暮らしてもよかったのだが、ラスの給金を稼ぐとなれば話は別だ。


 そこで家なし仲間に教えられたのが、アルバイトをするというものだったのだ。

 宝石店ならば肉体労働も少ないし、おすすめだと話したのは、フロルハウスの隣に住む女だった。


「お嬢さま! アルバイトをなさるなどとは、聞いておりませんよ」


「ラスはお店の迷惑になるから、外に出てちょうだい。さあ店主さま、よろしくお願い申し上げます

 店主は不審そうな目をフロリアナに向けながらも、頷いた。


「まあ、あんたほど見目のいい娘は他にいないだろう。店の宣伝になりそうだからな」


 こうしてフロリアナの、生まれてはじめてのアルバイトが始まった。


 店の中には既に二人の客がいて、フロリアナが働きはじめてからすぐに、もうひとり来客があった。

 店の規模に比して、客入りは上々のようだ。素朴な店の外観に、手ごろな値段設定も相まって、入店しやすいのだろう。


「いらっしゃい。今なら最高品質の宝石がこのお値段。安いよ!」


 店主が声を張り上げるのを見て、フロリアナも真似をしてみた。


「ようこそおいでくださいました。ゆっくりご覧になって」


 客は一瞬驚いたようにフロリアナを見たが、すぐに商品に目を落とした。アクセサリを手にとって、皆熱心に商品を選んでいるようだ。


「これください! あたしの貯金で最高品質の宝石を買えるなんて、夢みたい」


 ひとりの女性客がフロリアナに手渡したのは、シトリンと銘打たれた石の嵌まったペンダントだった。 

 シトリンは黄色く透き通った石で、金運が上昇するといわれる、縁起のいい宝石である。


 しかし、フロリアナはその石を見て思わず呟いた。


「あら……? この石は加熱処理されていますわね。元はシトリンではなく、アメジストですわよ」


「ちょっと待った!」


 店主は大声を上げると、狭い店内を走ってやってきた。


「いや、お客さま。この娘は新入りでして、宝石の知識なんてないんですよあはは」


「お待ちになって、これは……」


「小娘は黙ってろ!」


 店主に一喝されて、フロリアナは口を閉じる。女性客はうろんな目を店主に向けた。


「なんだか怪しいわね。他の店にするわ」


 そうして店を出て行った女性客を、フロリアナはお辞儀して丁寧に見送った。本物のシトリンは希少性が高く、アメジストよりずっと高価である。ちゃんとした店でよいものを買ったほうがいいに決まっている。


 店主はフロリアナをひとにらみすると店の奥へと戻った。本当のことを言っただけなのに、どうして不機嫌になるのか、フロリアナは店主の気持ちが理解できない。


「お嬢ちゃん、これをくれ。彼女にプロポーズするんだ。給料三ヶ月分の指輪だよ」


 次の客が選んだのは、サファイアの指輪だった。


「まあ、素敵ですわ! それなら、素晴らしいものを選ばなくてはなりませんわね」


 フロリアナは窓際に寄ると、サファイアを日にかざした。石の奥に、小さな亀裂が見える。


「このサファイア、クラックが入っていますわね。特別な宝石なら、他のものを探したほうがいいのではないかしら」


「おい、こら!」


 フロリアナは再びやってきた店主に軽く突き飛ばされた。


「もう、なんですの!」


「それはこっちの台詞だよ! あんたなんで俺の商売の邪魔をするんだ」


「店主さまが、このお店の商品を最高品質だと仰るからですわ。それなら、お客さまに商品の本当の価値を教えてさしあげないと、ずるになってしまいますわよ」


 フロリアナたちが小声でやり取りしているのを気にした様子もなく、客はサファイアの指輪を棚に戻すと、ターコイズのブレスレットをフロリアナの手のひらに乗せた。


「プロポーズの指輪は今度探すとして……、彼女の誕生日にこれを贈るのはどうかな。ターコイズは幸運の石なんだろう?」


「ええ。魔除けにもなると言われていますから、プレゼントにおすすめですわ。でもこのターコイズ……。練り物ですわね」


「練り物ってなんだい?」


 フロリアナは、ターコイズの表面を指先で撫でる。


「ターコイズは本物と偽物の鑑別が難しい石ですの。本物のターコイズを加工したときにできた粉末を練って、宝石の形にしたものを、天然のターコイズだと偽る業者がいるのですわ。これはまさしく! 練り物ですわね」


「お嬢さん、ありがとう。大切なプレゼントにひどいものをつかまされるところだったよ!」


 上機嫌で店をあとにする客を見送って、フロリアナはその場で小さく跳びはねた。


「ありがとう、って言われましたわ……!」


 生まれてはじめて仕事で感謝されて、フロリアナは確信を持った。


 ――わたくし、アルバイトの才能があるのだわ。


「うふふ」


 にやにやしていると、背後から店主の底冷えするような声が浴びせられた。


「ちょっとこっちに来い」


 振り返ると、店主がフロリアナを射抜くように見つめている。どうしたのかしらと不思議に思いつつ店の奥に行くと、店主が硬貨をフロリアナに突きつけた。


「これはなんですの?」


「お前はクビだ。これをくれてやるから、さっさと出ていけ!」


「まあ、クビなのにお金をくださるの? 店主さんったらとってもお優しいのね。ありがとうございます。それでは、ごきげんよう」


 フロリアナは足取りも軽く店を出た。からんからん、とドアに取り付けられたベルの音が、自分を祝福する鐘の音のように聞こえる。


「生まれてはじめて、自分で稼いだお金ですわ……!」


 フロリアナは道の真ん中で、しげしげとその硬貨を見つめた。金貨、銀貨なら見たことがあるが、これはそのどちらでもない。大きさがとても控えめで、可愛らしかった。


 硬貨をためつすがめつしていると、どこにいたのか、するりとラスが姿を現した。


「お嬢さま、どうされましたか」


「ラス。夕方に迎えに来てくれれば、それでいいんですのよ。これではあなたが休めないではありませんの」


「心配で心配で……。とてもお嬢さまから離れるなどできません。それで、アルバイトはいかがですか?」


 ああそれなら、とフロリアナは破顔した。


「たった今、クビになりましてよ。店主さんはとってもいい方でしたわ。宝石を見分ける目をお持ちでないのが残念ですわね」


「お嬢さま、クビになってなぜ嬉しそうなのですか……」


「だって、これをもらいましたのよ!」


 フロリアナは、硬貨を高々と掲げた。しかしラスが浮かべたのは、なんともいえない表情だった。


「小銅貨ですか……。一時間働いて小銅貨一枚。王都の最低時給は銅貨一枚だから、全く足りていないが……、なにももらえないよりはましか……」


「なにをぶつぶつ言っていますの。ねえ、ラス。それはお金なのよね? それでなにが買えるんですの?」


「お嬢さま、お気を確かに持ってください。小銅貨では、飴玉五個がせいぜいです」


「飴が五つも……? アルバイトってなんて楽しいのかしら。ラス、次のバイト先を探しますわよ!」




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