6.ラスとの再会
橋のたもとにある階段を、すさまじい速度で下ってくる人物がいる。この場には不釣り合いな黒い燕尾服を身にまとったその男は、フロリアナの前まで駆けてくると崩れ落ちるように膝をついた。
「お嬢さま、フロリアナさま……! お捜し申し上げました。ご無事ですか」
「あら、ラス。わたくしのことを捜してくれたの?」
「あたりまえです。私がどれだけ心配したか、お分かりですか。もう、生きた心地がしませんでした」
ラスの目は血走っている。フロリアナは、彼を落ち着かせようと、にっこり笑いかけた。
「それは申し訳ないことをしましたわね」
「それで、お怪我はありませんか。体調は? 食事は召し上がっておられますか」
「もう、ラスったら。わたくしはここにいる皆さんのおかげで絶好調ですわ。ラスのほうこそ、大丈夫ですの?」
ラスはひどいありさまだった。いつも美しく整えられている髪はほつれ、燕尾服はよれよれである。頬はちょっぴりこけているようだ。
「私のことはいいのです。それより、公爵家のことですが……」
「おいフロル、どうしたんだ?」
フロリアナとラスの会話に割り込んだのは、ゲンである。
「ゲンさん、騒がしくしてごめんなさい。こちらはわたくしの執事だったラスですわ。少しだけここで話をしてもいいですか?」
「そりゃあ、もちろん構わないよ。知り合いに会えたんならよかったな」
気を利かせてくれたのだろう、遠ざかっていくゲンを見て、フロリアナはラスを立たせた。
「ここではなんですから、わたくしの家に行きましょう。ラス、あなたはちょっと休んだほうがいいですわ」
フロルハウスに案内すると、ラスはその場に立ち尽くした。背伸びして彼の表情を覗き込めば、彼は白目をむいている。
「おっ、お嬢さま、これはいったい……」
「ここはフロルハウスですわ。うふふ、わたくしの新しいお家ですの。ラス、あなたほとんど寝ていないんでしょう? 少し横になってちょうだい。新築ですのよ」
「お気遣い、ありがとうございます。ですが、まずはお話を。公爵家のことですが……」
「ああ、そうでしたわね」
二人して砂利に座り込む。ラスの表情は、深刻そうにこわばっている。
「申し上げにくいのですが、やはりセレン公爵家は没落したようです……。昨日、私が駆け付けたときには既に誰もおらず、屋敷には、くっ……。売家の、看板が……」
歯ぎしりするように言葉を絞り出したラスに、フロリアナはあらまあ、と緩く首を振った。
「やっぱりそうでしたの……。まあ、しょうがないですわね」
「お嬢さま……?」
「とりあえず仕えてくれていた人たちを路頭に迷わせることはなかったようだから、そこはよかったですわ」
フロリアナは微笑んだ。使用人たちが生活に困らないのなら、それがいちばんである。
ところがラスは、大きくかぶりを振った。
「よかったって、お嬢さまはどうなるのです! 寮での仕打ちも聞きましたよ。国に並びない高貴な御身が、行くところがないなんて……」
「なにを言っていますの。わたくしにはフロルハウスがありますわ。それより、ラスのことです。あなたとは、ずっと一緒だったから寂しくなるけれど、わたくしが紹介状を書きますわ。働きたいところがあったら、どこでも言ってちょうだい。退職金だけは学院が始まるまで待ってもらえるかしら。宝石やドレスを売って用意しますから」
「お嬢さま、なにを仰って……。私をお傍においてはくださらないのですか……?」
茫然とした様子のラスから視線を逸らす。彼に縋りつきたい気持ちを必死に隠して、平静を装った。
「だって、ラス。わたくしには、あなたに差し出せるものがなにもありませんのよ。ラスのお給料を払えない以上、もう一緒にはいられませんわ。あなたはとても有能な執事でした。どこに行っても必ず成功するわ。……今まで、ありがとうございました」
ラスはフロリアナの絶対的な味方だった。彼との別れは身を切られるように辛いが、その気持ちだけで引き留めていいはずがない。
それに、フロリアナは強い女になって自立すると誓ったのだ。いつまでもラスに依存するわけにはいかなかった。
「お嬢さま、そんな……。そんなことを仰らないでください。私はお嬢さまに生涯の忠誠を誓ったのです。給金など必要ありません。どうか、これからも私をお傍においてください」
「ラス……。どうしても、わたくしと一緒にいるというの?」
「はい。なにがあろうと、お傍を離れません。私はこれからも、お嬢さまだけの執事です」
「そう……。分かりましたわ」
かくなる上は、フロリアナ自身がラスを養うしかない。覚悟を決めてぎゅっと拳を握ると、フロリアナは真摯にラスを見つめた。
「ラス。それでは、これからはわたくしが直接、あなたを雇いますわ。ちゃんとお給料も払います。あなたの気持ち、とっても嬉しいですわ。ありがとう」
「お給料……? なにを仰っているのかよく分かりませんが、お嬢さまとともにいられるならこれ以上の幸せはありません。心配なさらないでください。お金など、私が稼いでご覧にいれますから」
なんだか話がかみ合わないなあと思いつつも、フロリアナは首を縦に振った。
「ゲンさん、ラスもここに住まわせていただけませんか」
ラスとのやり取りをなぞってゲンに伝えると、彼は鷹揚に頷いた。
「ここは来るもの拒まずだからな。俺に許可を取る必要はないよ。それにしても、こんなに早く新入りがやって来るとはなあ」
なんの話だろう。フロリアナが不思議に思っていると、ゲンは茶目っ気たっぷりに話す。
「今日、木材をしこたま仕入れただろう。これなら、そいつの小屋も作ってやれるよ。まあ、小屋の場所は男の区域の端っこだがな」
「まあ……! ラス、よかったですわね」
ラスはなぜか顔を引きつらせていたが、やがて、お世話になります、とゲンに深く頭を下げた。
その夜、不眠不休で自分を探し続けたというラスを早々に休ませると、フロリアナは深刻な面持ちでたき火に集まっている面々を見回した。
「皆さんに、折り入って相談したいことがございますの――」




