27.マラティヤの王女
フロリアナが案内されたのは、淡い緑を基調とした可愛らしい部屋だった。
若草色の、壁紙と絨毯。家具が白で統一されているところは、公爵家のフロリアナの部屋と変わらない。
「お嬢さま、この家具は公爵家にあったものです。お嬢さまのお部屋の家具ですよ!」
部屋の様子をひと目見て、ラスが訴えた。
「ふむ、ラスは気付いたか。フロルちゃんが新しいお家に馴染めなかったら、かわいそうだからね。公爵家を去るときに、フロルちゃんの部屋の家具だけは、運び出しておいたんだ」
ベルントはそう口にすると、まるで褒めて! と言わんばかりにフロリアナに向かってにっこりと笑った。
しかしながら、フロリアナにはそのことに感謝するような余裕はない。
「お父さま、それで、どんな顛末でこんなことになったんですの?」
フロリアナの追及に、ベルントは静かな声で話しはじめた。
「フロルちゃんは今、マラティヤの置かれている状況を知っているかな?」
「教科書的なことしか存じませんが……。先の戦争により、王国の領土となったマラティヤですが、最近になって、帝国が領土の主権を主張し始めたと聞きますわ」
「うん、その通りだよ。国王陛下は昔から、物騒なマラティヤを治められる貴族がいないことに心を痛めておられた。セレン公爵家も貴族第一位の家柄だったからね。既に広大な領地を治めていて、マラティヤのことまで手が回らなかった」
ベルントはソファーに座ると、メイドの入れた紅茶に角砂糖を二つ入れた。ちりんちりん、とティーカップとスプーンが触れ合う涼しげな音がする。
「そんなときにね、情報が入ったんだよ。王家からの要請で、仕方なく結ばざるを得なかったフロルちゃんと王太子との婚約を、あろうことか王太子側から解消しようとしているっていう話だ。しかも、王太子には既に好きな者がいるとか」
「旦那さまのお怒りはすさまじいものがございました」
リッツァーが話を引き取った。気のせいだろうか、彼の顔はわずかに青ざめているようだ。
「有り余る筆頭公爵家の力で、いっときは国家転覆を企てられたほどです。王家もさすがにおそれをなしたのでしょう、旦那さまに望みはないかと聞いたそうです」
「だからね、パパは没落を建前に、王家の側近である公爵を辞めて、独立するって国王に言ったんだ。フロルちゃんが平和に暮らせる国を作るって」
フロリアナは信じられない気持ちで、得意そうにしている父親を見た。
まさか、公爵家没落の原因が自分の婚約解消にあるなんて、思いもしなかった。
のんきに紅茶をすするベルントをちらりと見て、リッツァーが背筋を伸ばす。
「そこで旦那さまは、マラティヤの王として立つことを決意なされたのでございます。王家からも、荷が重かったマラティヤの統治を任せられるなら、独立しても構わないと歓迎されたのですよ。むしろ、よろしく頼むとお願いされたくらいです。ですから、お嬢さまが心配される必要はなにもありません」
しかし、と口を挟んだのはクローディアスだ。
「それでは、王家は得をしたのでは? 自分の息のかかった者にマラティヤの統治を押し付けることができたのだから。なんといっても、セレン家と王家は親戚だ」
「そういう見方もできる。でもね、フロルちゃん」
ベルントは悪戯っぽくウインクをした。
「実はセレン家には、マラティヤ王族の血が流れているんだよ。マラティヤの王家は断絶して久しいけれど、はるか昔にマラティヤの王女が、セレン家に嫁いだことがあったんだ。王女は夫に懇願した。セレン家がマラティヤ王家に成り代わっても構わない。だから、どうかマラティヤを助けてほしいと」
「王族の血が、わたくしにも……?」
「そうだよ。フロルちゃんは特別な子だ。マラティヤと、リコリダ王国。君には二つの王家の血が流れているのだから。セレン家はマラティヤ王国が滅亡する際、なにもできなかった。新たな戦争の火種になるからね。でも、ときを超えて今、セレン家とマラティヤは再びひとつになったんだよ」
ベルントは長い話を終えると、おもむろに立ち上がった。
部屋の扉を開けると、フロリアナをそっと外に促す。廊下には、懐かしい顔ぶれが並んでいた。
外務、内務、財務、騎士団を管轄する家臣たち。侍従長に、侍女頭。執事長のリッツァーも列に加わった。
王国の中にありながら、かつて小王国とまで呼ばれた、セレン公爵家の家臣たちである。
「ああ……。皆、ここにいたのね……」
フロリアナは呟いた。感極まって、思わず声が震える。
ベルントからの手紙には、使用人には暇を出したと書いてあったから、フロリアナは彼らのことを諦めていた。もう、会うことはできないのだと。
――また、皆に会えるなんて。
地位や屋敷などではなく、フロリアナにとっては、セレン家の皆がいるところがふるさとなのである。
フロリアナは、確かにふるさとに帰ってきたのだ。
「だからフロルちゃん、マラティヤの王女になってくれるかな?」
ベルントがきらきらした瞳でフロリアナに尋ねた。
「それはもちろん、お断りしますわ!」
フロリアナは、勢いよく答える。
せめて学院を卒業するまでは、ただのフロリアナでいたい。平民になってから、フロリアナはたくさんのことを学んだのだ。フロリアナがそう伝えると、ベルントは困ったように笑った。
「もしかして、アルバイトとやらも続けるつもりかい?」
「あたりまえです。ラスは、わたくしの執事ですもの。臣下のお給料は、主人が出すのですわ! ……足りない分は、お父さまが出してくださいませ」
フロリアナは小声で付け足した。フロリアナとて、紅茶の缶に貯めた銅貨では、少なすぎるのではないか、と薄々は感じていたのだ。
「フロルちゃん、パパは決めたよ。将来はフロルちゃんの夫に、マラティヤの統治を任せてやってもいいと思っていたけれど、やっぱりだめだ。パパの次は、フロルちゃんが女王になるんだ」
「王女も嫌だと言っておりますのに、お父さまはなにを仰っているんですの?」
「いいや。君は、まさしく王の器だよ」
「そんなことは、わたくしたちだけで決めたって、仕方のないことですわ。民はわたくしたちのことを、歓迎してくれているのでしょうか」
すると、リッツァーが進み出てフロリアナに語りかけた。
「お嬢さま、ときの王女がセレン家に降嫁したことは、民の間でよく知られているそうです。豊かな公爵家が財をなげうってまで統治に乗り出したこともあって、いまのところ、セレン家の評判は上々なようですよ。これで、帝国も手を出すことを諦めるでしょう」
「それならいいですが……。それはそうと、お父さま。わたくし、ちょっと休んだら学院に戻りますわ」
ベルントが目をむいて身を乗り出した。
「そんな! フロルちゃん、せっかく休暇届けを出したんだから、一か月くらい……」
「だめです。授業に遅れますわ。ラス、殿下、どうでしょうか。せっかく一緒に来て頂いたのに申し訳ないのですが、貴族学院に帰ってもよろしいですか?」
「お嬢さまの仰せのままに」
「そうだね。貴重な学院生活、少しでも君と共に過ごしたい。早く帰ろう」
ラス、クローディアスと頷き合っていると、ベルントが追い縋るように言い募った。
「フロルちゃん、必要なものがあったらなんでも言いなさい。学院に送るから。もうお金の心配もしなくていいんだよ」
「でも、そのお金は国民のものではありませんの?」
「完全な個人資産だよ。没落などとは言ったが、領地や屋敷を売った分、お金は有り余るほどあるんだ。学院がフロルちゃんを屋根裏部屋に押し込んだようだが、すぐに戻してもらいなさい」
「あら。わたくし、いまのお部屋を気に入っているんですの。このままでよろしくてよ」
そこに、ラスの声が割って入った。
「口を差し挟むことをお許しください。なぜ我らの一粒の宝石であるお嬢さまに、一連のことを教えてさしあげなかったのですか? お嬢さまは度重なる心労に加え、学院やクラスメイトから心ない仕打ちを受けることになりました」
「ごめんね、フロルちゃん……。セレン家が独立したことはぎりぎりまで、誰にも悟られるわけにはいかなかったんだ。特に、戦の準備をしている帝国には。でも、それも今日で終わりだ。フロルちゃんが手元に戻ってきた今日、マラティヤ王国の樹立を宣言するよ」
それにしても、とベルントが険しい表情を浮かべる。
「春休みに、フロルちゃんが寮から追い出されたという話だけは、聞き逃すわけにはいかない。私は長期休暇の間も、フロルちゃんが寮にいられるように、学院に要請していたんだ。学院長も了承していた。どうやら、女子寮の寮長が独断でことに及んだらしい」
そういえば、寮長はやけにフロリアナの事情に詳しかった。学院長からあらかじめ、没落の話を聞かされていたのだろう。
「わたくし、お父さまが忘れておいでなのかと思っていましたわ。わたくしとラスにお家がなくなったことを」
ベルントは悲し気に頭を振る。
「そんなつもりはなかったんだ。だけど、結果的には同じことだね……。寮長には厳罰を与えるよう学院に伝えておく。もう、フロルちゃんが寮長に会うことはないだろうから、安心して」
フロリアナはきょとんと、首をかたむけた。
「あら、わたくしはそんなことを望んでおりませんわ。どうせ長期休暇には寮を出ますもの。寮長さまにひどいことはしないでくださいませ」
「フロルちゃん、それじゃあ夏休みにはマラティヤに帰って来るんだね?」
「残念ですが、長期休みは忙しいのですわ。毎日アルバイトをするんですのよ」
下町には、たくさんのアルバイト先があるはずだ。ラスの給料を稼ぐのはもちろんのこと、フロリアナは仕事を通して、下町の住人たちの暮らしを、もっと知りたいと考えていた。
食べるのにも事欠いている人や、家のない人もいる。自分が彼らにできることを、探したいのだ。
「じゃあじゃあ、滞在先に王国ホテルのスイートルームを予約しておくよ」
「お父さま、お気遣いに感謝いたします。けれど、必要ありませんわ。そんなことをしたら、アルバイトをする意味がなくなるではありませんか」
王国ホテルとは、王都で最も格式が高いホテルである。そのスイートルームともなれば、一日の宿泊料は銀貨五枚はくだらないだろう。
フロリアナが銅貨を稼ぐためにせっせと働いているというのに、これでは本末転倒だ。
次の長期休みには、小屋を借りるのはどうだろうか。もしお金が足りなかったら、住み込みで働くというのも面白いかもしれない。
「わたくし、お金では買えないものがあると知ったのですわ。自分の手で、やってみたいことがたくさんございますの」
フロリアナは晴れやかに笑った。
旅の疲れをいやすために二日だけ宮殿に滞在したフロリアナだったが、セレン家の面々との別れをあっさり済ませると、さっさと帰路についた。皆の無事が分かれば、それで充分なのである。
「フロル嬢、僕は婿入りに抵抗はないから」
馬車の中で、クローディアスが真剣なまなざしをフロリアナに向けた。
「殿下、なんのことですの?」
フロリアナは、ぱちぱちと目を瞬かせた。クローディアスの隣に座るラスが、大仰なため息をつく。
「殿下。お嬢さまはかねてより、現王家と婚姻を結ぶには、血が濃すぎると仰っております。いい加減、お認めになったらいかがですか」
「だから、いとこ同士の結婚など、珍しくもなんともないと言っているだろう? それより、主人に身を焦がす執事のほうがあり得ない」
「おや、なんのことやら。ですがこれだけは申し上げておきます。お嬢さまは身分に頓着なさらない方です」
フロリアナには、ラスとクローディアが互いに交わす視線に、火花が散ったように見えた。
「不敬だな」
「殿下こそ」
やいのやいのと騒ぐ二人には構わず、フロリアナは車窓を眺めた。
これからしばらく、旅はできないだろう。美しい景色を目に焼き付けようと、そう思って。
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