26.再会
翌日、丸一日馬車を走らせて、フロリアナたちはやっとマラティヤ領に入った。
辿り着いたのは宿場町、土地の肥沃なマラティヤの農産物を、王国各地に送る交通の要衝である。
そこでフロリアナは、いきなり声をかけられることになった。
「よくマラティヤまでお越しくださいました。フロリアナお嬢さま、お迎えにまいりましたよ」
途端にクローディアスが、フロリアナを守るように前に進み出た。しかし、フロリアナはこの声の主をよく知っている。大好きな人の声だ。
「リッツァー!」
フロリアナに声をかけた男は、上等な燕尾服が汚れるのを厭う様子もなく跪いた。道行く人々が驚いたようにフロリアナたちを見る。
「お久しぶりでございます。今まで、さぞ大変な思いをされたでしょう。お嬢さまをお守りできなかったこと、本当に申し訳ないことをいたしました」
リッツァーはセレン公爵家の執事長だった人物である。年齢は、今年で六十二。品のある灰色の髪を撫でつけた紳士で、背筋がすっと伸びていた。
巷では公爵の怜悧な右腕として名をはせていたようだが、フロリアナにとっては優しい祖父のような存在だ。思わず、フロリアナは彼に抱き着いた。
「リッツァー……。お父さまがごめんなさい……」
リッツァーの大きな手が、そっとフロリアナの頭を撫でた。
「お嬢さま……。旦那さまはなにも悪くないのですよ。さあ、旦那さまの元にご案内しましょう」
学院の馬車とは、ここでお別れとなった。御者に心からの感謝を伝えたフロリアナは、わずかながらの心づけを渡した。
どうやら、リッツァーからの謝礼もあったようで、恐縮しきりの御者は道を戻っていく。
宿場町で一泊したフロリアナたちは、四頭立ての立派な馬車に乗り込んだ。家紋は外されていたが、どう見てもセレン公爵家の馬車である。
「リッツァーは、どうして宿場町にいたんですの?」
「王都からこちらに来るためには、必ずあそこを通りますから。ずっとお嬢さまをお待ちしていたのです。それで、お嬢さま。こちらは王子殿下とお見受けしますが」
ああ、とフロリアナは気安く頷いた。
「クローディアス殿下ですわ。旅のお供に名乗り出てくださったの」
クローディアスは一切気負った様子を見せず、にっこりと微笑む。
「同行させてもらえるように、僕から頼んだんだ。今の僕は、ただのフロル嬢の騎士だよ」
「承知いたしました。当家の娘がお世話になっております」
思わぬ人物の登場にも、リッツァーは全く動じていないようだ。ただ一度、冷めた目をラスに向けると、フロリアナに尋ねる。
「お嬢さま。この者の処遇はどういたしましょう? 旦那さまからお手紙が届いたあの日、愚かにもお嬢さまを見失ったようですが。しかも、学院で誘拐騒ぎまであったとか」
「愚かだなんて、とんでもないわ。ラスのおかげで、わたくしは今ここにいるんですのよ。それより、よくわたくしたちのことを知っていますのね」
「学院から報告があったのです。お力になれず、申し訳ありませんでした。もっとも、諸々の不始末については、ラス本人からじっくりと事情を聞くことにいたしますが」
ラスは馬車の中で身じろぎもせずに座っている。
フロリアナはそんな彼の様子を見て心配になった。聞くところによると、かつてフロリアナの執事になることを望んだラスを、リッツァーはそれは厳しく躾けたらしい。
「リッツァー、ラスのことを叱らないでね」
「善処いたします」
馬車の旅を再開して一昼夜、辿り着いたのは歴史ある佇まいの都だった。
舗装された道に、等間隔に並んだ石造りの立派な家々。都の中心には運河が流れていて、いくつもの船が停泊している。
しばらく馬車を走らせると、遠目に壮麗な宮殿が見えてきた。
「これからどこに行くのかしら。近くに農園はなさそうだけれど」
「農園、でございますか?」
リッツァーが不思議そうな顔をした。
「ええ。お父さまは農家になったんじゃありませんの?」
「どうやら、お嬢さまの想像とは少しばかり違うようです。さあ、近づいてまいりました」
辿り着いたのは都の外れ、目の前には驚くほど華やかな宮殿が建っている。馬車寄せに降り立ったフロリアナは、重厚な扉から宮殿の中に入った。
規模はあまり大きくないが、所狭しと絵画が並び、金箔の張られた装飾が踊る宮殿内の様子は、リコリダ王宮よりよほど豪華だ。
特に、一面鏡張りのホールの美しさに、フロリアナは目を見張った。天井から吊るされたあまたのシャンデリアが鏡に映りこみ、広間全体が光り輝いているように見える。
「フロルちゃん!」
突然、しんとしたホールに、懐かしい声が響き渡った。奥の間から走ってくる、銀色の髪と口ひげを持つころころとした小柄な人物。
間違いなく、フロリアナの父親ベルントだった。
「お父さま! お久しぶりです」
「よく来てくれたね……」
ぎゅっと抱きしめられて、思わず涙がにじむ。
それにしても、強く抱きしめられても肌触りがいいなんて、ずいぶんといい服を着ているではないか。
フロリアナは、ベルントがこの宮殿で皿洗いでもしているのではないかと踏んでいたが、もしそうだとしたら、破格の待遇である。
「お父さま、わたくし、心配いたしましたのよ。いったい、どんな出稼ぎ労働をなさっておいでなの?」
「旦那さま、お嬢さまに出稼ぎをすると仰ったのですか!」
これにはいつも冷静なリッツァーも目を丸くしている。こくりと首を縦に振ったベルントは、フロリアナに満面の笑みを向けた。
「フロルちゃん、パパの再就職先が決まったよ。パパはね……」
フロリアナはごくり、と固唾をのんだ。ベルントの就職先いかんによって、フロリアナの卒業後の生活も変わるのだ。
家族みんなが一緒に暮らすのがいちばんだけれど、ベルントが労働先を渡り歩くならそれも難しいだろう。
ベルントが重々しく、言葉を紡ぐ。
「……パパは、マラティヤの国王になったんだ」
「はい……?」
ベルントが、いったいなにを言い出したのか理解できずに両隣を見ると、ラスもクローディアスも固まっている。彼らもなにも知らされていなかったのだろう。
「お父さま、公爵家は没落したのでしょう? わたくし、ちゃんと平民として暮らしておりますのよ。アルバイトだってしているんですから」
「そうだね。フロルちゃんは本当によく頑張った。でも、本当にごめんね。平民フロリアナは今日で終わり。これからの君の名は、フロリアナ・セレン・マラティヤだ。君はマラティヤ王国の王女となる」
「待ってください! セレン卿、僕はこのようなことは知らされていない」
クローディアスが慌てたように声を上げる。途端に、ベルントの紫水晶の瞳が、冷たいものへ変わった。
「おや、誰かと思えば、私の娘との婚約を一方的に解消した王太子の、弟君ではありませんか。殿下がなにもご存じないのは当然のことです。このことは娘が私の元に来てから、公表することになっているのですからね」
「お父さま。殿下には大変お世話になっているのですから、失礼なことは言わないでくださいませ」
あまりの言い草にフロリアナが苦言を呈すると、ごめんね、フロルちゃん、とベルントがしおれた様子を見せた。
フロリアナは小さくため息をつく。自分にではなく、クローディアスに謝ってもらいたいものだ。
「クローディアス殿下。驚かれたでしょうが、無論、あなたの父君は承知のことですよ。いや、あなたの父君に頼まれたから私はここにいる」
気を取り直したように、ベルントがクローディアスに向き直った。
「国王が、セレン卿に……?」
「お父さま、どういうことですの? ちゃんと説明してくださいませ!」
フロリアナが鋭く言うと、ベルントは微笑んだ。
「立ち話もなんだから、フロルちゃんの部屋に案内しよう。そこでなにもかも話すよ」




