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24.マラティヤの地へ

「やっと終わりましたわ!」


 フロリアナは教室の窓を開けて、青空に向かって伸びをした。

 中間テストが全て終わり、明日は休み。

 久しぶりに二度寝ができる。思わず頬が緩むのを感じていると、背中に声がかかった。


「フロリアナ嬢。ちょっと職員室まで来てもらえるかな」


 振り返ると、担任のロイドが立っている。


「先生! もちろんですわ」


 北棟の廊下は掃除の甲斐あって、ぴかぴかだった。

 がらがらと職員室の引き戸を開けると、ロイドの机の近くにある丸椅子を示された。ちょこんと座れば、ロイドが机の引き出しから取り出したのは、白く光沢のある封筒だった。


「実は、君に手紙が届いている」


「手紙……、ですの? なぜわたくしに直接届けるのではなく、学院を通したのでしょう」


「差出人は、君の父君だ。元公爵閣下は今、マラティヤにおられるらしい。そこにいっとき君を呼び寄せたいから、学院に配慮を要求するとの内容だったよ」


 マラティヤ。帝国に狙われている元小王国に、なぜ自分の父親がいるのだろうか。


「お父さまったら、マラティヤで農業でもしていらっしゃるのかしら……」


 なにせ、出稼ぎに行くと言って姿を消したのだ。フロリアナの独白に、元公爵が、農業……、とロイドが顔を引きつらせた。


「学院の馬車を貸与するから、行っておいで。他にも必要なものがあったら、なんでも持っていきなさい」


「ありがとうございます、先生。早速明日から行ってまいりますわ」


 二度寝はどうやらお預けになりそうだ。




 寮に戻ってことの経緯をラスに話すと、彼は難しい顔をした。


「旦那さまがマラティヤに、ですか……。お嬢さまを放り出してまで、いったいなにをなさっておいでなのか……」


「ラス、大丈夫ですの? やっぱり急すぎたかしら。マラティヤ行きを勝手に決めてしまってごめんなさい」


 ラスにだって用事があったかもしれないのだ。心配になって見上げると、ラスは破顔した。


「とんでもない。マラティヤまでは遠いですから、すぐに荷造りにとりかかりますね」


 没落前に父親ベルントから渡された生活費はあるものの、今後の暮らしを考えると、金銭にあまり余裕があるとは言いがたかった。

 途中で余計な買い物をしなくてもいいように、身の回りのものをどんどんトランクに詰めていく。


「ドレスに、洗面用具。日傘に、帽子まで……? ラス、帽子なんて必要かしら」


「もちろんでございます。お嬢さまの美しいお肌が、日に焼けてはいけませんから」


 ラスの気遣いは、川べりでひと月暮らした時点で手遅れだとフロリアナは思ったが、口には出さないでおいた。またおいたわしいと嘆かれたら困る。





 翌日、一生懸命早起きしたフロリアナは、たくさんのトランクとともに、学院に借り受けた二頭立ての馬車へ乗り込んだ。フロリアナの向かいの席に、ラスが座る。


 馬車は学院を出ると、坂を下り、王都をぐるりと取り囲む城壁の大門へと至った。朝の忙しい時間帯、門の周辺は人と馬車でごった返している。


 やっとのことで馬車の渋滞を抜け、王都を出てしばし。


 家々はまばらになり、やがて、車窓には田園風景が映った。ラスが、畑にはなにが植わっているのかを教えてくれる。


 麦、とうもろこし、かぼちゃ。畑の色はそれぞれ異なり、まるでカラフルなパッチワークのようだ。

 うきうきしながら車窓を眺めていると、御者台に繋がる窓が開いた。


「ご令嬢。後ろをついてくる馬車がありますが、どうなさいますか」


 御者の発言に、ラスが顔色を変えた。誘拐事件のことを思い出しているのかもしれない。


「停めてください。万が一、敵意を持っている者が乗っているなら、早いうちに対処した方がいい」


「かしこまりました」


 御者が、小さな窓の向こうで頷く。

 フロリアナに視線を投げかけて、ラスはにっこりと笑った。


「お嬢さま、私が馬車を見てまいります。どうぞこのままお待ちください」


 待って、と言いそうになるのをフロリアナはこらえた。セレン公爵家の、執事長の言葉を思い出す。


『ラスには体術から暗殺術まで、あらゆる武術を仕込んでおきました。フロリアナお嬢さま、どうかラスをこき使ってくださいませ』


 執事長は、ラスを育てた人物だ。彼が言うのだから、ラスは相当強いのだろう。

 それに、フロリアナがついていったところで、足手まといになるだけだ。


「分かりましたわ……。ラス、気をつけて」


 武器すら持たずに、颯爽と馬車を降りていったラスだったが、すぐに戻ってきた。眉尻が思い切り下がっている。


「お嬢さま。困った事態になりました。安全は保障いたしますので、馬車を降りていただけませんか」


「もちろん、よろしくってよ。あちらの馬車の主と話せばいいのかしら?」


 フロリアナが馬車を降りると、すかさずラスによって日傘が差しかけられる。

 レースの日傘越しに、ひとりの人物が立っているのが見えた。シンプルな旅装。その人物の靴から視線を上げていくと、空色の瞳と目が合った。


「殿下……? びっくりしましたわ。殿下もお出かけですの? 偶然ですわね」


 桃色の髪も眩しく、クローディアスは満面の笑みを浮かべた。


「まさか、偶然ではないよ。護衛として、君についてきたんだ」


 思わずため息がもれた。王子ともあろう者が、いったいなにを言っているのか。


「殿下、わたくしにはラスがおりますから、ご心配には及びませんわ」


「フロル嬢、僕はもう、君を離さないと決めたんだ。どうか、お供させてください」


 クローディアスは恭しく頭を下げる。


 ――どうしよう。


 ちらりとラスを見ると、彼は頷いて一歩前に出た。


「発言をお許しいただけますか、殿下」


「今更なにを言っているの? いつでもどうぞ」


「では、おそれながら。主人ひとり従者ひとりの旅ゆえ、わたくしどもには余裕がございません。なにより、殿下がおられては護衛対象が二人になってしまいます」


 ラスの背中越しに見たクローディアスは、得意げに、腰に手を当てている。


「そのことなら心配いらないよ。僕は剣術が得意だし、身軽な第二王子だ。万一僕の身になにかあっても、全く問題ない」


「そう思っておられるのは、殿下だけでしょう」


「いや。僕は守られるより、フロル嬢を守る側でいたいんだ。先日の誘拐事件で思い知ったよ。それに、王族の身分はフロル嬢を傷つけるだけだと知ったから、ここに来る前に王位継承権を放棄してきた。今の僕は、フロル嬢のただの騎士だよ」


 王家には、クローディアスの下に二人王子がいるが、まだ幼い。


 婚約を勝手に解消したり、結んだり。その上、新たな婚約相手、シーリアが罪を犯したものだから、王太子マティアスの地位は不確かなものとなった。

 妾腹とはいえ、クローディアスが王太子になる可能性は、充分にあったのだ。


 ところが、フロリアナに向かってにっこりと笑うクローディアスには、そんなことはお構いなしのようだった。 


「それにね」


 クローディアスは続ける。


「僕を旅のお供に任命してくれたら、道中のごちそうと、ふかふかなベッドを約束するよ」


 むむっ。

 フロリアナは考え込んだ。それらは、節約のために諦めていたものだったのだ。


「風呂も付けよう」


 ぱしっ。

 クローディアスと固い握手を交わしたフロリアナである。


 クローディアスの荷物は少なかった。それを移すと、彼は早速馬車に乗り込んでくる。

 満面の笑みを浮かべるクローディアスとは対照的に、ラスは心なしか膨れているようだ。 


「お嬢さまとの二人きりの時間が……」


 ラスが呟く。不満そうなラスに、クローディアスがにっこりと笑顔を向ける。


「ラス、ぬけがけは許さないよ。僕だってフロル嬢の支えになりたいのだから」


 二人の様子を見て、フロリアナは不思議に思った。二人にはあまり接点がないように思えたけれど、なんだか仲がよさそうだ。


 学院の馬車は小ぶりだが質がよく、大きく揺れることはない。馬車が動き出してすぐに、ラスが地図を広げて、ある一点を指した。


「改めて、今回の旅程ですが、行き先はマラティヤの領都です。順調にいけば、五日ほどで到着できるでしょう。宿を取る町はあらかじめ決めておきました。今日はキリスという、小さな町に泊まる予定です」


「まあ! 楽しみですわ」


 フロリアナは旅をしたことがない。領地内の視察か、公爵領から王都までの移動がせいぜいである。

 出発から数時間すると、点在する集落もなくなり、低木の茂る大地に、わずかな馬車の轍が伸びているだけの景色が続くようになった。


「変わり映えのしない景色だね」


 そう零したクローディアスに冷めた視線をやったラスは、フロリアナを見ると一転して笑顔になった。


「お嬢さま、この地を抜けたら、お昼にしましょう。とびきりのお弁当を作ってまいりましたから」


 やがて見えてきたのは、大きな湖だった。澄んだ水面は、空の色を映して輝いている。


「湖を見るのは、初めてですわ。なんて綺麗なんでしょう」


「ここで休憩です。お嬢さま、足下にお気を付けて」


 ラスの手を借りて馬車を降りると、涼しい風がフロリアナの髪を撫でていった。湖の奥には森が広がっていて、新緑と、湖面の青の対比が美しい。


 小さく波打つ水ぎわに、ラスが大判の布を敷いて、その上にいくつもの器を並べていく。


「二人とも、ここでお弁当? それじゃあ、僕も昼食にしようかな」


 振り返ると、小さな包みを提げてクローディアスがやってくる。


「さあ、お嬢さま。どうぞ召し上がってください」


 ふわふわのパンに、サラダ。ハンバーグに、卵焼き。布の上には、様々な料理が並んでいる。氷に浸した水筒から冷製スープが出てきたときには、ラスのごちそうに慣れたフロリアナでも驚いた。


 ちらりと横を見ると、クローディアスが包みから取り出したのは、なんと黒パンと干し肉だった。どちらもフロリアナの好物ではあるが、自分の弁当との差から、クローディアスが哀れになる。


「ラス、殿下にお弁当を分けてさしあげてもよろしくて?」


 ラスが笑顔で頷くのを見て取って、フロリアナはつまめるような料理を選んで器に盛ると、クローディアスの前に置いた。


「殿下、こちらも召し上がってくださいな。ラスの料理は絶品ですのよ」


「フロル嬢、お気遣いなく。というか、旅の途中なら僕のような食事が一般的なんだけれど、ラスの力の入れようはすさまじいね……」


「お嬢さまが口にされるものですから、当然のことです」


 顔を引きつらせるクローディアスに対し、ラスが胸を張って言うのがおかしかった。


「フロル嬢は、ラスのお弁当の中で、なにがいちばん好きなの?」


「そうですね……、どれもおいしいですが、タコさんソーセージは、見た目も可愛くて、お気に入りですわ」


 ソーセージの半分が八本の足になっているその料理は、クローディアスの皿にもちゃんと取り分けている。ところが、彼は両手に黒パンと干し肉を持つと、なぜか顔を赤くした。


「フロル嬢、僕は今手がふさがっているんだ。そのタコさんを、僕の口に運んでもらってもいいだろうか」


「あら、そうですの?」


 余分のカトラリーを探してきょろきょろしていると、ラスの手がすっと、クローディアスの皿に伸びた。

 ラスは、ソーセージを素手でつまみ上げると、クローディアスの唇に、ぎゅうと押し付ける。


「殿下。おふざけは大概になさってください。湖に置き去りにしますよ」


 クローディアスはぱくりとソーセージを頬張ると、頭を下げた。


「悪かったよ。いや、このソーセージ本当においしいね」


 二人のやり取りを見て、フロリアナはくすりと笑った。


「殿下にも、ラスのお弁当のおいしさを知って頂けて、よかったですわ。ラス、わたくしたちもいただきましょう」


 うきうきしながら、カトラリーを持つ。ふと視線を感じて隣を見れば、クローディアスがフロリアナを見て微笑んでいた。


「フロル嬢、なんだか楽しそうだね」


「はい。ラスのお弁当がおいしいのはもちろんですけれど、こうやって皆で食事ができることが嬉しいのです」


 春休みはラスと、家なし仲間と共に料理を楽しんでいたフロリアナだが、学院に戻ってからは、いつもひとりで食事を摂っている。

 ラスは朝と夜に給仕をしてくれるものの、一緒に食事をすることはない。

 寮生活で、彼がなにかを食べるのを見たことはないから、陰で手早く済ませているのだろう。


「確かに、侍従が主人と食事をすることはできないけれど……、昼食はどうしているの? フロリアナ嬢、入学当初は食堂を使っていたよね」


 クローディアスが、不思議そうな顔で尋ねる。学院では、ほとんどの生徒が食堂を利用しているのだ。


「ええ。でも、令嬢たちに誘われて食事をするうちに、派閥ができてしまったんですの。わたくしと一緒に食事をした者が偉いとか、わたくしの席により近い者は選ばれているのだとか。だから、ラスにお弁当を作ってもらうことにしたのです」


「ああ、それで昼休みになると、君はどこかへふらっといなくなってしまうんだね」


 考えてみれば、もう自分との食事を巡って、争いが起こることはないのだ、とフロリアナは苦笑した。


「でも、それだけではありませんわ。ラスの料理は、食堂の食事よりもずっとおいしいんですのよ」


 フロリアナの言葉に、ラスがさも嬉しそうに笑った。


「それでは、この旅でも朝食と昼の弁当は、私にお任せください。どなたかと違って、私はお嬢さまの好物を知り尽くしておりますから」


「わあ、嬉しいですわ!」


 クローディアスも嬉しかろうと思って目をやると、彼はなぜか顔を引きつらせている。





 馬車が森を抜けると、再び視界を遮るものがなくなり、地平の彼方まで見渡せるようになった。抜けるような青い空は、日が傾くにつれて、やがて茜色に染まっていく。


 小さく窓を開けると、馬車に涼やかな風が吹き込んでくる。夕方の風は、どこか切ないにおいがした。


 やがて、馬車は小さな町の入り口で停まった。フロリアナが馬車から降りるのを、先を争うように手伝ったラスとクローディアスは、真剣な面持ちでこのあとの予定を話し合っている。


「さて、宿を選ぼうか。風呂のついた宿があるといいんだけれど」


「食堂が付いていることも必須です。厨房を借りて、お弁当を作らなくてはなりませんから」


 そうしてクローディアスとラスが選んだのは、町でいちばん大きな宿屋だった。とはいえ、狭い町のこと、宿屋は二軒しかない。


 町の小さな食堂で夕食を済ませ、部屋へ引き上げるときに、フロリアナはラスに鍵を渡した。


「それじゃあラス、部屋の鍵をお願いね」


「かしこまりました」


 そこへ口を挟んだのはクローディアスである。


「ちょっと待った! なぜラスがフロル嬢の部屋の鍵を持つんだい? 不用心じゃないか!」


 ラスが小さくため息を吐いた。


「不用心もなにも。お嬢さまの朝のお支度は私がするのですから、当然のことです。殿下のお世話はしませんからね。朝はさっさと起きてください。……それではお嬢さま、おやすみなさいませ」


「ありがとう。殿下もラスも、ゆっくり休んでくださいね」


 一人用のごく小さな部屋は、三つあるフロリアナのトランクを置いてしまえば、それだけで足の踏み場もないほどだ。


 この宿では湯は使えるものの、風呂は付いていなかった。フロリアナは体を拭うと、たちまちベッドに寝転んだ。


 ――一日中馬車で移動するというのも、疲れるものなのね……。


 まだ体が揺れている気がする。目を閉じると、すぐに眠りが訪れた。


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