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17.初めてのデート

 週明け、授業を終えたフロリアナがいそいそと東棟に出勤すると、控え室でメイドたちが騒いでいた。そのうちのひとりは、どうやら泣いているようだ。


「まあ、どうなさったの? お仕事でなにかありましたか」


 誰かに怒られたのだろうか。もしもそうなら、自分も一緒に謝ってあげようと思って、フロリアナは泣いているメイドの前にしゃがみ込んだ。


「違うんです、フロルさま。この子、失恋したんですって」


 そう言ったのはモニカだった。以前叱られて落ち込んでいた彼女は、どうやら元気になったらしい。


「そうですの……。さぞお辛いのでしょうね……」


 メイドの様子を見て、失恋とはそんなに悲しいものなのか、と痛ましく思ったフロリアナだが、よく考えてみれば失恋以前に恋愛というものをよく知らない。


 王太子に婚約を解消されたときには、これで自分も恋ができると浮かれたものの、あのときからなにも進歩がないではないか。


「あのあの、フロルさま。王子殿下とはあれからどうなったんですか……?」


 おずおずと聞いてくるモニカに、首をかたむける。


「殿下となにかありましたかしら?」


「もうっ。告白されていたじゃないですか!」


 これにはええっ、とその場にいたメイド全員が声を上げた。泣いていたメイドも目を丸くしている。


「ああ……。そんなこともありましたわね」


 フロリアナはふう、と息をつく。クローディアスに言い寄られたところで、なんとも思わない。

 しかし、そんなフロリアナの様子に気付いた様子もなく、「それに」とモニカが言い募った。


「私、見ちゃったんです。フロルさまに仕えている男の人、すっごく格好いいじゃないですか!」


「ラスのことですの? まあ、そうかもしれませんわね?」


「なんで他人事なんですかっ。むふふ、私、フロルさまの恋愛の行方がすっごく楽しみです!」


 ――モニカったら、なにを言っているのかしら……。


 恋愛もなにも、フロリアナの傍に、異性はその二人しかいないではないか。モニカの言うロマンスなど、どこにも転がっていない。


「わたくしには、恋愛は縁遠いみたいですわ。お気遣いありがとう、モニカ」


「えっ……。あんなに素敵な人が、二人も近くにいるのに……?」


 モニカはなにやら呟いているが、そろそろ仕事を始めないと、クレアにまた仕事が遅いと叱られてしまう。


「さあさあ、皆さん、お掃除ですわ。今日も頑張りましょう」


 自分にも気合を入れるつもりでメイドたちを促していると、冷ややかな声がフロリアナの背中に浴びせられた。


「フロリアナちゃん」


「あら、クレアさま。これからすぐにお仕事にとりかかりますことよ。ええ、急ぎますとも。おほほ」


 このメイド頭は、穏やかに見えて怒ると恐ろしいのだ。わたわたと掃除用具入れを開けたフロリアナだったが、取り出したモップをクレアに取り上げられた。


「あのね、今日、あなたの仕事はないの。もう帰っていいわよ」


「そんな、困りますわ。アルバイト代を稼がなくてはなりませんのに」


 はいそうですかと引き下がるわけにはいかない。ところが、クレアは驚くべき言葉を口にした。


「今回だけ、お給料は規定通り支払うわ。だから――」


「まあ! 働いてもいないのにお金を頂くわけにはまいりません。わたくしは正々堂々とアルバイトをいたしますわ」


「とある方から、あなたとの時間が欲しいと頼まれたのよ。だから、とっとと失せなさい! それじゃあまた明日!」


 クレアに控え室から叩きだされて、フロリアナはとぼとぼと東棟をあとにした。誰だか知らないが、ずいぶんと迷惑な人間がいたものだ。


 寮へ向かう道すがら、視界にちらりと桃色の影が見えた。


「やあ、フロル嬢。お暇かな」


 声の主はもちろん、クローディアスである。


「ごきげんよう、殿下。暇と申しますか……、アルバイト先を追い出されてしまいましたの。仕方がありませんから、明日の予習でもいたしますわ」


 すると、クローディアスが勢いよく頭を下げた。


「ごめん! 君との時間が欲しいと言ったのは、僕なんだ。どうか許して」


「殿下が……? ええ、それはもちろん。もしや、なにかお困りなのですか? なんでもお手伝いいたしますわ」


「では、僕とデートしてもらえないかな……? 君とデートすることが、僕の夢なんだ」


 フロリアナは拍子抜けした。どうやらクローディアスの夢は、相当ささやかなようだ。ずいぶん強引なやり方だとは思うが、怒る気にもなれなかった。というか――。


 ――デートって、なにかしら。


 なんの目的があって、なにをするものなのか、皆目見当がつかない。けれど、クローディアスならばフロリアナが嫌がることはしないだろう。


「殿下。デートをお受けいたしますわ」


「そんな、決闘を受けるみたいに言われても……。いや、光栄です、フロル嬢。じゃあまずは、君の保護者殿に断りを入れておかないとね」


「保護者って、ラスのことですの?」


「もちろん、そうさ。君の帰りが少しでも遅れたら大騒ぎしそうだし、デートしたなんてことがあとで知れたら、僕はなにをされるか分からないからね」





 へえ、とラスは言った。女子寮の談話室でのことだ。男子生徒は女子寮に入れないが、談話室だけは別なのである。


「殿下が、私のお嬢さまとデート。ふうん」


「フロル嬢が、僕の誘いに応じてくれたんだ。君は留守番だね」


 クローディアスは得意げだ。それに対して、ラスの目は据わっている。


「根回しして、お嬢さまにアルバイトを休ませて、ですか。王家の方はやり方が違いますね」


「くっ……。いつもフロル嬢と一緒にいる君に言われたくないな」


「それが私の使命ですから。殿下、くだらない嫉妬でお嬢さまを振り回すのはおやめください」


 ラスの辛辣さに驚いて、フロリアナは慌てて彼をたしなめた。


「ラス。殿下になんて口の利きかたなの。不敬ですわよ」


「ですが、お嬢さまは王太子殿下に裏切られたばかりなのですよ。この上、クローディアス殿下に言い寄られるなど、あってはならないことです」


 ラスの言葉に、クローディアスは声を上げて笑った。


「いいよ。好きに喋って。ラス、フロル嬢を狙っている男子生徒は多いんだ。僕なら、虫よけになれる」

「お嬢さまを……? なんと、おそれ多いことを……」


 そう呟いたラスは、フロリアナに、どうぞこちらへ、と談話室の隅を示す。


 クローディアスからずいぶん離れたところまで連れてこられたフロリアナは、ラスに尋ねた。


「いったい、どうしたんですの?」


「お嬢さま。万が一のときのために、どうかこれをお持ちください」


 クローディアスを背後に、そっとラスから渡されたのは、小ぶりなナイフだった。厨房のアルバイトを辞めたときに、餞別としてシェフにプレゼントされたものである。


「万が一ってなんですの……」


「男とは、ろくでもない生きものなのでございます」


 ラスの不可解な言動を不思議に思いながら戻ると、クローディアスがソファーから立ち上がった。


「それでは行こうか。とは言っても、平日は外出できないから、学院内デートだけれど」


 しかし、フロリアナの返事より先に口を開いたのはラスだった。


「殿下、お嬢さまをどうかよろしくお願い申し上げます。日暮れまでには必ずお嬢さまをお帰しください。夕食をとれなくなるといけませんので、間食は控えめに。それから……」


 クローディアスはラスの言葉をどこか遠い目で聞いている。


「もう! ラスったら、わたくしはもう子どもではありませんのよ」


「失礼しました。行ってらっしゃいませ、お嬢さま」


 ラスに見送られて寮を出ると、クローディアスがきらきらした瞳をフロリアナに向けた。


「フロル嬢、どこか行きたいところはあるかい? と言いたいところだけれど、学院の敷地内だからなあ……。カフェはどうかな。新作メニューが出たんだ」


「あら、素敵ですわ。そういえば、カフェに行くのは久しぶりですわね」


 フロリアナは頬を緩めた。公爵家が没落するまでは、よく級友とカフェに通ったものだ。それを知っていたのか、クローディアスが破顔する。


「そうだと思ったんだ。フロル嬢はお菓子といえば、なにが好き?」


「チョコレートかしら」


「それならお薦めがあるよ」


 カフェは学院の西側にある。カフェに限らず、敷地の西側には売店や、おいしいと評判の食堂など、生徒に人気の設備が揃っていた。


 学生寮があるのは学院の南西だから、カフェまでは、歩いてすぐの道のりである。


 フロリアナがカフェで頼んだのは、クローディアスお薦めの、チョコレートソースのかかったクレープだった。

 パティシエの考えた新作だけあって、なるほどおいしい。クローディアスはフルーツが添えられたパンケーキを食べている。


「殿下、どうして、今日誘ってくださったのですか」


 フロリアナは不思議だった。一緒に出掛けるなら、休日のほうがよかったのではないだろうか。


「本当は週末に誘いたかったんだけれど、平日の君は忙しそうだから。休みの日くらいはゆっくりしたいだろうと思ったんだ」


 それは確かにその通りだ。二度寝を邪魔されたらたまったものではない。そんなフロリアナの内心を知ってか知らずか、クローディアスは苦笑した。


「それでアルバイトの時間を邪魔してしまった。体を休めることもできるし、いい考えだと思ったんだけれど、やっぱり強引だったね。もうしないよ。すまなかった」


 自然と頬が綻んだ。クローディアスのことを信頼できると思えるのは、こういうところだ。

 公平で、謙虚。王族どころか、貴族にもこのような美徳の持ち主はなかなかいないだろう。


 没落したフロリアナにも向けられるその優しさに、心が温かくなる。でもそれが、王家に生まれた者としての、彼の生きにくさにつながっているように思えてならなかった。


「……たまになら、構いませんわ」


「えっ?」


「アルバイトをお休みすることはできませんが、たまになら、外出にお付き合いいたしますわ」


 いとこであり、友だち同士、どこかに出掛ける日があってもいいだろう。


 クローディアスは空色の目をまん丸に見開いた。


「フロル嬢……。それは本当? 休日に君を誘ってもいいの?」


「ええ。ただ、午後にしていただけると助かりますわ。わたくし、朝が苦手なんですの……」


「もちろんだよ! ありがとう、フロル嬢」


 そのときクローディアスが浮かべたのは、いつもの寂しげな笑みではなく、くしゃりと人懐こい笑みだった。


「殿下、頑張って!」

「フロルさま、気づいてあげて」


 カフェの至る所から囁き声が聞こえたけれど、フロリアナにはなにを気づいたらいいのか、とんと分からない。


 そのあと、なかなか行く機会のなかった図書館で本を借りたフロリアナは、クローディアスに送られて寮に戻った。


「殿下、今日は楽しかったですわ。ありがとうございました」


「僕のほうこそ。フロル嬢、アルバイトもいいけれど、あまり無理はしないで。それじゃあ、また明日」




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