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16.薔薇とダンス

「お嬢さま、明日はガーデンパーティーですね」


 マラティヤについて授業を受けた日の夜、ラスに言われて、フロリアナはカトラリーを取り落とすところだった。


 夕食は、学院付きのコックたちによって作られる。寮の一階で提供されるそれを、ラスが部屋まで運んでくれるので、フロリアナはいつも自室で食事を摂っていた。


「そうでしたわね……。すっかり忘れていましたわ」


 毎日勉強とアルバイトで忙しかったために、パーティーなど念頭になかった。

 没落する前は、一年先のパーティーまで全て把握していたものだけれど。


「大丈夫ですよ。準備は整えておりますから。とはいえ、お嬢さま。ガーデンパーティーは昼から始まるのですから、明日の朝はちゃんとお起きになってくださいね」


 はあい、とフロリアナは気のない返事をした。せっかくの週末なのだから、二度寝を楽しもうと思っていたのだ。

 フロリアナは朝が弱い。家なし生活でせっかく朝型人間になったのに、寮に戻った途端、堕落していた。今では、ラスに何度も起こされなければ目が覚めない。


「それで、パーティーでお召しになるドレスはいかがなさいますか」


 社交界にも、令嬢たちの茶会にも招かれなくなったいま、ドレスはアルバイトのときくらいしか着用の機会がない。


「ラス、去年のわたくしはどんなドレスを着ていたかしら?」


「はい。純白のドレスをお召しでした。ガーデンパーティーでは宝飾品を身につけない決まりがありますから、ドレスに合わせて白い薔薇を御髪に挿しておいででしたよ。素晴らしくよくお似合いでした」


「……純白のドレスって、厨房のアルバイトで着ていたあれのことかしら?」


「……さようです」


 春休みのアルバイトで大変重用したドレスを思い浮かべて、フロリアナはかぶりを振った。

 別にしみがあるわけではないし、そのドレスでも構わないのだが、少し目先を変えたいところだ。


 それに、白いドレスはまた仕事で使う機会があるかもしれない。


「ラス、おすすめのドレスはあるかしら。なるべく控えめなものがいいですわ」


「控えめ、ですか。いつもアルバイトでは華やかなドレスをお召しでしたから、パーティーでもそのようなものを想定しておりましたが……」


 フロリアナは首を横に振った。


「ラスったら、なにを言っているの? あれは使用人のアルバイトだから、華やかに着飾ってさしあげているのよ。本当のわたくしの好みは質素堅実。これに尽きますわ」


「これはお嬢さま。主人の好みをはき違えるなど執事失格。どうぞお許しください」


「よろしくってよ」


「しかし、アルバイトのときには豪華なドレスで、パーティーでは質素なドレスとはいったい……」


 考え込んでしまったラスをよそに、フロリアナは食事を再開した。






「お嬢さま、なんとお美しい……。素晴らしい主人を持てて、私は果報者でございます」


 翌日、フロリアナはラスの見立てで、淡い紫のドレスを身にまとっていた。

 フロリアナの、紫水晶の瞳に合わせたのだと彼は言うが、深い紫では華やかになりがちだから、控えめな色を選んでくれたのだろう。


 ドレスを新調することなどできないフロリアナだが、なにせ公爵令嬢時代のドレスが、山のようにあるのだ。身の回りのものを手放さなかったラスに、フロリアナは心から感謝した。


 椅子に座ったまま、屋根裏部屋に似つかわしくない、豪華な姿見をじっと見つめる。

 深紅の髪は丁寧に編み込んで結い上げられ、頭にはラス渾身の一作である、小花の花冠が載っていた。  

 久しぶりにちゃんと化粧をした自分の顔は、他人行儀な表情をしている。


 ――なんだか、自分ではないみたい。


 困惑を払うように小さく頭を横に振ると、フロリアナの頭上にラスの嬉しそうな声が降ってきた。


「さあ、お嬢さま。パーティー会場までお送りします。王宮はしばらくぶりですね」


 ラスにエスコートされて寮を出ると、学院所有の小さな馬車に乗り込む。

 今までは、パーティーのたびに、実家から大きな馬車が送られてきたものだった。けれども、今のフロリアナは、学院に借りなければ、馬車を使えないのだ。


 パーティーは王宮の庭園で行われる。貴族学院には大きな庭がないから、伝統的にこの日だけは王宮の一角を借り受けるのである。


 やがて見えてきたのは、純白の巨大な建造物だった。両翼を持つその建物こそ、この国の王宮である。 

 王家にゆかりのある名家の令嬢として、また王太子の婚約者として、幼い頃から何度も訪れたこの場所も、もはやフロリアナとは関わりのない場所になった。


 ガーデンパーティーが開かれるのは、王宮の南に広がる庭園である。ここの名物は薔薇園で、この時期には大輪の花が咲く。


 馬車を降りて庭園へ入ると、一角に赤い薔薇が咲いていた。それを見て、フロリアナはばつが悪くなった。


 その薔薇の名はフロリアナローズ。公爵家が品種改良を重ねて生まれた薔薇に、親ばかな公爵が娘の名前を付けたのである。深紅の美しい色は王宮でも評判となり、フロリアナローズはいたるところで咲いていた。 


 やがて辿り着いたのは、噴水の前である。中天に差し掛かった太陽に照らされて、水しぶきがきらきらと光っている。ラスが足を止めて、一礼した。


「お嬢さま、行ってらっしゃいませ。パーティーを楽しまれますように」


 パーティー会場は噴水の奥にある。薔薇の生け垣に囲まれて歩いていくと、大きく開けた空間に出た。

そこには既に、生徒たちが大勢集まっていた。フロリアナが入場すると、会場がざわりと揺れる。


 皆が自分を見ているような気がして、フロリアナは居心地が悪くなった。以前から注目を浴びるのには慣れていたが、それは王太子がパートナーだからだと思っていたのだ。


 ――わたくしがパーティーに参加するなんて、ちょっと場違いだったかしら。


 そんな思いが頭をよぎったが、いやいや、と自分で考えを打ち消す。ガーデンパーティーは学院の課外授業として行われているものだし、見られているなんて自意識過剰もいいところだろう。


「なんて綺麗……」

「誰よりも美しいな」


 そんな呟きが聞こえて、確かに王宮の薔薇は素晴らしいな、とフロリアナは思った。

 会場の隅に控える楽団がワルツを奏で始めたのは、それからすぐのことだった。パーティーが始まったのだ。


 フロリアナはそっと生け垣の傍に移動した。ダンスは得意とはいえ、婚約を解消したばかりの、しかも没落した人間が踊れるはずもない。


 女子生徒たちは色とりどりのドレスを着て、華やかな笑顔を浮かべている。その場所に、少し前までは自分もいたなんて信じられなかった。


「フロル嬢!」


 感傷に浸っていたというのに声高く呼びつけられて、フロリアナは小さくため息をついた。静かに過ごそうとしているのに、無粋な人間もいるものだ。しかも、その声の主は――。


「殿下。どうなさいましたの?」


 クローディアスがにこにこしながらフロリアナに手を差し伸べる。


「僕と踊っていただけませんか、フロル嬢」


 やはりそうきたか。優雅に一礼した彼をフロリアナは冷めた目で見つめた。本来、ファーストダンスは婚約者と踊るものなのだが、クローディアスは誰とも婚約をしていない。


「殿下。ダンスのお相手は、将来有望なご令嬢がよろしいかと存じますわ」


「君がいいんだ。どうか」


 差し出された手をいつまでも無視するわけにはいかない。フロリアナはクローディアスの手を取ると、背筋を伸ばして会場の中心へと向かった。


 クローディアスに導かれながら歩くと、自然と周りの者たちはダンスをやめ、フロリアナたちを取り巻く壁となった。今度こそ生徒たちから凝視されているのが分かる。


「フロル嬢、皆が君を見ているよ。身分など関係なく、君は周囲の注目を集める令嬢なんだ。それを忘れないで」


 ワルツの一拍目を踏み出す。足はつま先までのばして、背は軽く反らす。肩を落として、首を長く、顔は悠然と上げる。

 ダンスは久しぶりだが、体は自然と動いた。


 踊りながら、フロリアナは苦笑する。


「皆、清掃令嬢を見たいだけですわ。一年生などは、わたくしが没落したあとのことしか知らないのですから」


「そうかな? 見てごらん。周りは君に見とれている者ばかりだ」


 フロリアナは笑むことで、クローディアスの歯の浮くような言葉を躱した。


 ワルツの調べに混ざって、フロリアナを取り巻いている生徒たちの囁きが聞こえてくる。


「すごいわ、なんてお上手なのかしら」


「すごく優雅に踊るんだな」


「あたりまえだろう? 彼女はちょっと前まで公爵家の令嬢だったんだぞ」


 フロリアナはそっとため息をついた。皆、どうして自分たちのことを見てばかりいるのだろうか。皆で一緒に踊ればいいのに。


 そんなことを考えていると、生徒たちの壁をすり抜けて踊り始めたカップルが目に入った。赤茶の髪に深紅の瞳を持つ、背の高い青年と、鮮やかな金髪の小柄な少女。王太子と、シーリアだった。


 気の小さな人間なら逃げ出したくなる状況かもしれないが、フロリアナには誰がどう踊ったところでなんの感慨もわかない。


「殿下、どうなさいます? そろそろダンスをやめましょうか」


 クローディアスは気まずかろうと思ってそう尋ねると、意外な答えが返ってきた。


「いや、どうかこのまま……。僕たちが気を遣う必要などないのだから」


 王太子に張り合っているのだろうか。王家に生まれた異母兄弟、複雑な感情があってもおかしくない。


 ――仕方がないわ。少しだけ、付き合ってさしあげようかしら。


 フロリアナがダンスを続けていると、また囁き声が交わされた。


「ご覧になって、ルース男爵令嬢の踊り。フロルさまには遠く及ばないわ」


「比べたらかわいそうよ」


「王太子殿下も、ねえ。自ら婚約を解消した方にこうも美しく踊られては……」


「しかもお相手は弟君ときた」


「ルース男爵令嬢のことを可愛いと思っていたけど、こうして並ぶとフロル嬢の方がずっと可愛いし、綺麗だな」


 くすくす、と嘲笑が混ざるのを感じ取って、フロリアナはぱっ、とクローディアスの手を離した。

 目を丸くするクローディアスに笑顔を見せて深くカーテシーをすると、再び生け垣を目指して歩きはじめる。


「フロル嬢、どうして?」


 追いかけてくるクローディアスに、フロリアナは歩きながら答えた。


「なんだか、いやな雰囲気になりそうだったので。殿下、ダンスのお誘いありがとうございました。今度こそふさわしい方と踊ってくださいませ」


 クローディアスに笑いかけたフロリアナは、会場の隅に並ぶ菓子の中から、ビターチョコレートをひと欠け口に含んだ。


「フロル嬢。どうか他の人など薦めないで。僕は君のことが――」


 追い縋ってくるクローディアスの言葉が、最後まで発されることはなかった。


「フロルさま! ダンス、素晴らしかったですわ!」

「次は俺と踊ってください」

「いや、自分と。ダンスの腕前には自信があるんです」


 突然わあっという歓声とともに生徒たちに囲まれて、フロリアナは驚きに目を丸くした。

 挙句の果てには、一年生に「清掃令嬢だ!」と群がられて、フロリアナの周りには大勢の人だかりができる。


「光栄ですわ。でも、今日は帰ります。皆さまごきげんよう」


 思いもかけぬ会場の熱狂ぶりに、フロリアナはそそくさと退散した。


 帰り際に振り返ると、王太子の横に立つシーリアが目に入る。彼女は射抜くようにこちらをにらんでいるように見えたが、きっと自分の勘違いだろう。


 フロリアナは特に気にすることもなく、虹の浮かぶ噴水の前を通って、会場をあとにしたのだった。


 ――ずいぶん早くに、退場してしまったわ……。


 ラスは、使用人専用の待合室にいるはずだった。

 パーティー終了の時刻になるまで、使用人たちはそこで時間を潰す。ときには、そこで友情や愛情が芽生えることもあるらしいが、なんにせよ、フロリアナが邪魔をしていい場所でないことは確かだった。


 ――お馬さんを撫でて、時間を潰そうかしら。


 フロリアナは馬車寄せへ向かった。レンガの敷かれた道を歩くと、コツコツ、と自らのヒールの音が辺りに響く。


 パーティーでは、皆ここぞとばかりに自分の家の馬車を使うので、学院の馬車は却って目立つ。


 学院の紋章付きの、丸くて小さな馬車。それは豪奢な馬車に挟まれて、所在なげに停まっていた。

 馬車の隣には、背の高い人物がひとり。


「ラス。待っていてくれたの? まさか、ずっと立って?」


「はい。お嬢さまが私の手の届かない所に行ってしまわれると、気が気ではないのです。現に、ずいぶんと早いお帰りだったではないですか」


「そういえば、そうね」


「あのときも、そうでした。王太子殿下に呼ばれたからと、学院の中庭に向かわれたお嬢さまは、早々に帰ってこられて……」


 フロリアナは合点がいった。ラスは、フロリアナが婚約を解消されたときのことを気にしているのだ。


 校舎の前で修了式が終わるのを待っていたラスを、王太子に呼ばれたからと寮に帰したことを思い出す。王太子は、婚約解消だけを告げると、さっさと中庭から去ってしまったのだ。


「大丈夫ですわ。今日は本当になにもなかったんですのよ。ただ、あの場にいたくなかっただけで」


「そうですか……。では、帰ったらなにか、お作りしましょう。甘いものはいかがですか?」


 馬車に揺られて学院に戻ったフロリアナは、そっと自分の頭に触れた。そこには、ラスが編んだ花冠が載せられている。

 考えてみれば、せっかくラスに綺麗にしてもらったのに、少々もったいない。寮の廊下を歩きながら、フロリアナは密やかな声でラスに聞いた。


「ねえ、ラス。踊りませんこと?」


「私とですか? お嬢さま、練習でもないのにそのようなおそれ多いことは……」


「いいえ。わたくし、ラスと踊りたいのですわ」


 すると、ラスが恭しく臣下の礼をとった。改めて見ると、艶やかな黒髪を後ろで結び、長身にしわひとつない燕尾服を身にまとった彼は、紳士そのものだ。

 彼が十歳まで読み書きができず、スラムの孤児だったなどと、誰が信じるだろう。


 ラス、というのは、フロリアナが彼に贈った名だ。ラスが今、執事として傍にいてくれるのは、彼自身の血のにじむような努力の賜物なのだろう。


「お嬢さま。私と踊っていただけますか?」


 フロリアナから誘ったというのに、わざわざダンスを申し込むのだから律儀である。

 差し出された手を取ると、ラスの白い手袋越しに彼の体温が伝わってくる。


「ふふっ。喜んで」


 フロリアナとラスが踊り始めたのは、寮の最上階。屋根裏部屋の前の廊下である。ぎしぎしときしむ床の音を音楽代わりに、フロリアナとラスは長い間、踊り続けた。



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