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15.バイトその四・学院の清掃

 校舎は学院の敷地の、中央に位置している。フロリアナの担当は、校舎一階の廊下だった。

 放課後とはいえ、補習や委員会の業務などで、生徒たちの通りは少なくない。


 実は、酒場で片づけを手伝っていたから、フロリアナは掃除の基本を知っている。

 得意になってぱたぱたと窓にはたきをかけていると、通りかかる生徒たちが驚愕したようにフロリアナを見つめた。彼らに微笑みを投げかけながら、せっせと掃除を続ける。


「わあっ。本当にいた! フロリアナさん、なにしてるんですかあ?」


 喜色を浮かべて廊下を走ってきたのは、シーリアだった。

 悪い子ではないのだが、残念なことに、マナーはまだ身についていないらしい。王太子の婚約者として、苦労しなければいいのだけれど。


 そう考えて、いやいや、とフロリアナは思い直す。通っている学院でアルバイトをしているのだから、自分はマナーどころの話ではない。


「ルース男爵令嬢、ごきげんよう。わたくしは、お掃除の仕事をしている最中なんですのよ」


 はたきをかけ終わり、モップかけに移る。きゅきゅっと、床が鳴る音が気持ちいい。


「ドレスを着てお掃除ですか。それは見栄? それとも貧乏すぎて、作業着も買えないんですかあ?」


 フロリアナは不思議に思って、シーリアへ問いかけた。


「ルース男爵令嬢のお宅に、使用人はいないのですか?」


「なっ、なによ。いるに決まってるじゃない」


 なぜか、シーリアはつっかえながらフロリアナをにらむ。


「そうですか。では、使用人にはなにを着てもらっていますの?」


「そんなの、汚れてもいい古着なんかじゃないの」


 ルース男爵家は人を雇うことに慣れていないのかもしれない、とフロリアナは思った。

 別に、それは恥ずかしいことでもなんでもないのだけれど――。


「ルース男爵令嬢。雇用する家にとって、使用人は大切な財産なんですのよ。だから、むしろ着飾らせるのです。そうすることで、それだけの余裕があるということを誇示するのですわ」


「それがなんだっていうのよ! 今のあんたと関係ある?」


「ございます。ここは由緒ある貴族学院。わたくしは今だけ、その使用人ですわ。だから、わざわざ着飾ってさしあげているんですの。学院の格を上げるために」


 シーリアはぽかんと口を開けると、固まってしまった。フロリアナは彼女のことは気にせず、モップをかけ続けたのだった。






「フロリアナちゃん、今日から掃除の範囲を広げるわよ。一階から、そのまま渡り廊下を進んで、北棟の廊下までをお掃除すること。窓拭きもしてね。異論は一切、受け付けないわ」


 放課後に、清掃のアルバイトをすること一週間。突然呼び出されたフロリアナは、クレアにそう告げられた。


 校舎の一階と北棟はつながっていて、北棟にあるのは職員室だ。生徒を職員室に入れるわけにはいかないから、清掃は廊下までなのだろう。


「あらあら。目をまん丸にしちゃって。なにか文句でもあるのかしら?」


 笑顔とは対照的に、低い声で尋ねてくるクレアには構わず、フロリアナはその場で小さく跳びはねた。


「ふふっ。やりましたわ!」


「フロリアナちゃんったら、不気味ねえ。仕事を増やされて、なぜ嬉しそうにするの?」


 クレアの目は笑っていなかった。冷たいまなざしがフロリアナに注がれている。


「業務が増えるのは、わたくしが仕事に慣れた証でございましょう? お掃除ぶりが評価されたということですもの」


「まあ、違わなくはないけれど……」


 こほん、と咳払いするとクレアは去っていった。なんだかばつが悪そうに見えたのは、気のせいだろうか。


 行き交う生徒たちに挨拶しながら、ぞうきんで窓を拭く。

 最初のころこそ、つんと無視されたり、元貴族が掃除など情けないと嫌味を言われたりもしたが、最近ではフロリアナに声をかける生徒も増えた。


「ごきげんよう、フロルさま!」

「今日のドレスもよくお似合いですよ」

「お掃除ありがとうございます!」


 フロリアナは、生徒たちに微笑みを向ける。


 ――学院は綺麗になるし、みんなの笑顔も見られるし。お掃除って、なんて素晴らしいのかしら。


 オペラの主題歌を口ずさみながら、校舎一階の清掃を済ませる。そのまま北棟の掃除に取りかかると、廊下の奥から密やかな泣き声が聞こえてきた。見ると、メイド服を着た人物がひとり、鼻をすすっている。


「大丈夫ですか? なにがありましたの」


 フロリアナがハンカチを差し出すと、メイドは驚いたように飛びすさった。


「あっ、あなたはかの有名な清掃令嬢フロルさま!」


「わたくし、清掃令嬢って呼ばれているんですの……? まあいいですわ。どうして泣いていらしたのか、聞いてもよろしくて?」


 メイドは、はい、と答えると、茶色の瞳に涙を浮かべて話しはじめた。


「私はモニカといいます。子どもの頃から、ひらひらのメイド服を着るのが夢で、親戚中のつてを総動員してようやく、貴族学院のメイドになれたんです」


 モニカの大きな瞳から、雫が一筋零れ落ちた。


「私、毎日必死で頑張ってきました。でも、今日、職員室の花瓶を割ってしまって……。品がない、使えないメイドだって、先生方にすごく怒られてしまったんです」


 ――なるほど……。すごく、よく分かるわ。


 フロリアナはしみじみと頷いた。

 この清掃バイトを始めたばかりのとき、窓ガラスにひびを入れたり、モップの柄を折ったり、十分に水切りをしていないモップがけのせいで教師を転ばせたりと、色々なトラブルを起こしたフロリアナである。


 でも、それは――。


「――それだけ仕事をしている、ということではないでしょうか?」


「えっ?」


 フロリアナはモニカに、ふわりと笑いかけた。


 働くということ。楽しいだけであるはずがない。今日は仕事に行きたくないな、と思う日もあるし、自分のせいで周りに迷惑をかけてしまったときなどは、さすがのフロリアナも落ち込んだ。


 でも、ものごとを別の角度から見れば、世界の色は変わる。


「たくさん仕事をこなしているから、ミスをするのです。だって、なにもしないでいたら、失敗することもありませんもの。ミスをするのは、あなたが一生懸命働いている証だと、わたくしは思いますわ」


「フロルさま……」


「頑張れとは申しませんわ。あなたは既に頑張っているのですから。でも、応援していますわ。きっと大丈夫です、モニカ」


「うわああああん!」


 モニカが突然号泣したので、フロリアナはぎょっとした。おろおろしながら、彼女の背をさすったり、声をかけたりするのだが、モニカは一向に泣きやむ様子を見せない。


 そのとき、職員室の引き戸ががらがらと開き、桃色の髪の人物が中から出てきた。


「殿下! これはその……」


 これではまるで、フロリアナがモニカを泣かせているみたいではないか。慌てていると、クローディアスは空色の瞳を愛おしげに細めた。


「分かっているよ。全部、聞いていたから」


「全部……?」


「うん。フロル嬢、君は執事を養おうと努力し、いじめすら前向きに受け止め、メイドを優しく受容した。フロル嬢、僕は……」


 そうしてクローディアスはなにやらタイの位置を直し、ささっと制服を整えると、背筋を伸ばして言った。


「どうやら僕は君のことが好きみたいだ。僕と婚約していただけませんか、フロル嬢」


「キャアアアアアア! 私の目の前で、ロマンスが生まれたわ!」


 先ほどまでの涙はどこへやら、モニカが絶叫した。

 あまりの大声に、フロリアナのびくりと肩が跳ねる。クローディアスも目を丸くして、驚いているようだ。


「失礼いたしました! 私はどこかへ行きますんで、続きをどうぞ!」


 廊下を走っていくモニカを眺めがら、フロリアナは途方に暮れた。


「殿下、わたくし思うのですけれど……。わたくしたちって、やっぱり血が濃すぎると思うんですの。王太子殿下とうまくいかなかったのだって、もしかすると王家の方とは結婚しないほうがよい、という啓示だったのかもしれませんわ」


「なにを言うんだ。いとこ同士の婚姻など、珍しくもなんともないよ。それに、僕たちは昔から互いを知っている幼馴染でもある。きっと、いや、絶対に仲の良い夫婦になれるよ。僕は次男だから、君に窮屈な思いもさせない。どうかな?」


 ――この方、本当にクローディアス殿下かしら……?


 フロリアナは目をごしごしとこすった。 


 クローディアスといえば、いつも控えめに、どこか寂しそうに佇む姿が印象的だった。ところが、今の彼はどうだろう。目をきらきらさせて、自分を売り込んでいるではないか。


「ええっと、とりあえず今はアルバイト中なので、失礼します。モニカにはああ言いましたが、今度はわたくしが怒られてしまいますから。殿下、ごきげんよう」


「フロル嬢、それではまた教室で」


 クローディアスは丁寧に一礼すると、その場を去っていった。


 今のは、いったいなんだったのだろう。これからのことを考えて、どこか寒気を覚えながらフロリアナは掃除に戻った。

 そして案の定、仕事が遅いとクレアに怒られたのである。





 翌日の朝、登校したフロリアナは、持参した花を机の上の花瓶に活けていた。


 毎日花とともに授業を受けるとの宣言通り、フロリアナは許可を得て、ラスと一緒に学院の庭園で花を摘んでは自らの机に飾っていた。


 がらりと教室の扉を開けて、クラスに入ってきたのはクローディアスだ。


「フロル嬢、おはよう。昨日の件は考えてくれたかな?」


 真っ先にフロリアナの元にやってきた彼は、さっと背後から花束を取り出した。

 バラにカーネーション、チューリップ。フロリアナの花より、数段豪華である。


「まあ、綺麗。殿下、ありがとうございます」


 花束を受け取ったフロリアナは、ひとまず可愛らしい包装を解く。今から寮に戻るわけにはいかないし、かといってこのまま放置していては、花がしおれてしまう。花瓶に挿すしかないだろう。


 既に持参した花が活けてあった花瓶は、プレゼントされた花を追加すると、もはやぎゅうぎゅうである。

 必死に花を花瓶へ押し込んでいたフロリアナは、ふとその手をクローディアスに取られた。彼が手の甲にキスを落としたので、教室の中は騒然となる。しかし、フロリアナはそっけなく返した。


「殿下、学院でそのようなことはおやめください。あらぬ噂が立ってしまいましてよ」


「それでいいんだ。君は自覚していないようだが、ライバルが多くてね。これで少しは牽制になるといいんだけれど」


 はて、なんのことだろうか。内心首を傾げていると、制服の袖が強く引っ張られた。


「あんた、こっちに来なさい」


 フロリアナの袖を掴んだまま、教室の隅まで引っ張っていったのは、シーリアだった。


「ちょっと、フロリアナ! あんた、なんでクローディアスさまと親しそうにしているのよ。あんたがクローディアスさまと結婚なんてしたら、あたしたち義理の姉妹になっちゃうじゃない。あたし、そんなの御免よ」


「わたくしはなにも……。殿下とはただ、いとこ同士なだけですわ」


「そういえば、あんたの母ちゃんは国王の妹、王女だったのよね……。でも、そんなの関係ないわ。今やあんたは平民なんだから。身の程を知りなさいよ!」


 フロリアナは自分の胸をぽんと叩いた。


「もちろん、弁えておりましてよ。さあ、今日もお勉強を頑張りますわ!」


「絶対分かってないでしょ? あんた、覚えてなさいよ」


 シーリアの声は唸るようだったが、まあ、誰にでもイライラする日はあるだろう。そう思って、フロリアナは気にも留めなかった。



「それでは、今日は近世の歴史と、領土問題について学びます。今から五十三年前、リコリダ王国の隣国だったマラティヤは、肥沃な土地を狙われ、帝国によって滅ぼされました。マラティヤの王族も国と運命を共にしたのです」


 この日最初の授業は、歴史だった。

 フロリアナは、あまり歴史が好きではない。幼い頃から貴族の責務として、勉強は欠かさなかったものの、戦争によってどれだけの命が失われたのかと考えると、胸が痛くなるのだ。


「圧政に耐えかねたマラティヤの民は、帝国と戦争中だった我がリコリダ王国に助けを求めました。戦争に勝った王国は、帝国国内への侵攻を止める代わりに、マラティヤを譲り受けたのです。今やマラティヤは王国の一地方ですが、ここにはまだ領土問題がくすぶっています。フロリアナ嬢、それがどうしてだか分かりますか」


 来たか、とフロリアナは思った。どうしてだか、この教師はフロリアナばかりを当てるのだ。

 はい、と返事をして、フロリアナは立ち上がる。


「マラティヤは、帝国との国境にある街ですわ。王国に組み入れられてから、歴史が浅いゆえに領地を治める貴族がおらず、王国の直轄領となっています。しかし、王都から遠い地ゆえ、統治が及んでいるとは言いがたい状況だとか。そのうえ、最近になって王国と冷戦状態にある帝国が、マラティヤの主権を主張し始めました。このままでは、帝国がマラティヤに侵攻する可能性がございます」


「そのとおりです。さすがフロリアナ嬢、よく勉強しておられますね」


 フロリアナはほっとして椅子に座った。

 常に治まらないマラティヤの地。そこに住む人々は、きっと不安な毎日を過ごしていることだろう。


読んでくださって、ありがとうございます!

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