後始末【アステール視点】
フェリペの口腔から取り出されたのは、薔薇の棘のような突起がびっしりと並んだ球体でした。ユウ君は魚だと言っていましたが、私には拷問器具にしか見えません。ただし、フェリペを診察した医者によれば、傷は多いものの浅く、数日で痛みも消えるだろうとの見立てです。フェリペの口内の広さギリギリに、魚の大きさが調整されたのでしょう。
ハリセンボンと言いましたか、ふよふよと空中を泳いでいたその魚は、私が観察を始めて間もなく消えてしまいました。鑑定魔法が弾かれてしまい、ハリセンボンが魔法生物か、魔力そのものだったのかも判りません。もっと観察したかった。
ですがもう一度、先程の契約魔法を使って欲しいと願ったところで、ユウ君は聞き入れてくれないでしょう。きっとユウ君は、あの契約魔法の効果を正しく認識していなかったのです。契約不履行に対する罰則が発動した際、慌てていましたからね。だからフェリペが対象といえど、セイちゃんにあんな魔法を使わせたのでしょう。
ユウ君は聖者に相応しく、とても優しい。というより甘い。甘過ぎて、赤の他人でさえ傷付くのを恐れます。そのため、過保護なヘリオスにお子様扱いされています。今も、子ども達の世話人との名目で、伯爵家との折衝から外されました。血生臭い話からの隔離です。
「フェリペの処遇は此方に任せてもらおう。本来なら処刑だが、聖なる御方のお慈悲を賜ったのだ、強制労働程度に留めておく」
伯爵がヘリオスに話すのを聞いて、フェリペが何か言いたそうに口を開きかけ、慌てて閉じました。余計な一言で、またハリセンボンに口を塞がれるのを恐れたのでしょう。彼はきっと、何故処刑なんて事になるのか理解出来ていません。エーコさんは助かったのだから、強制労働でも重過ぎるとでも思っていそうです。
ですが問題はそこではありません。貴族のいる場で凶器を振るった、それだけで、この場で処されて当然なのです。横暴な貴族相手なら、エーコさんとアコちゃんも道連れの所業です。
ヘリオスもそこを気にしたらしく、伯爵に尋ねます。
「エーコとアコの両名については、如何ようにお考えでしょうか」
「あの者達は、フェリペとは他人なのだろう? 連座の範疇に無い。だが、騒ぎの原因ではあるため、町長の屋敷での預かりとする」
「わたくしが責任をもって監督いたしますわ!」
町長の娘が進み出て、高らかに宣言しました。これは、フェリペの代わりに愛玩動物として侍れという事でしょうか。ヘリオスの眉がピクリと動きましたが、まあ、死ぬよりは……この女性が責任者ならば酷い扱いはされないでしょうし、場合によっては今までよりも良い暮らしが出来るのでは?
私が「了承」と呟いたのをヘリオスの高性能な耳が拾い、
「寛大なお心遣い、感謝申し上げます」
ヘリオスが頭を下げ、伯爵が鷹揚に頷いて、ビーバー母娘の処遇が決定しました。医者の診察を受けていたエーコさんも、深々と頭を下げました。
「後は我々の、聖なる御方に対する秘密保持契約だが。教会での魔法契約としたい。内容についてはそれで良いか」
ヘリオスに書類を渡したのは、給仕に扮していた男性です。やはり伯爵の部下ですか。彼が呼んで来た医者も伯爵家のお抱えのようですし、このレストランがそもそも伯爵家の息の掛かった場所なのでしょう。でなければ、貴族の当主が護衛も連れず、1人で出向いてくるなどあり得ません。
ヘリオスが流し読みした書類を、私に回してきます。交渉事はヘリオスの担当ですが、この男は基本的に善人です。経験からの知識があっても、悪人の視点が抜けています。ですからヘリオスが見落とした穴や罠や隙間を見つけるのは、私の役目です。
これは……いつ迄に魔法契約を結ぶか、記載がありませんね。これでは10年後に締結でも可となってしまいます。それから、エーコさんとアコちゃんにも同じ魔法契約が必要です。
私の囁いた内容をヘリオスが指摘し、魔法契約はこの後すぐに、我々の立ち会いのもとで行われることになりました。
フェリペが連行されてゆき、魔法契約の準備が整うまで、暫くこの場で待機です。伯爵の部下が給仕に戻り、食べ損ねていたデザートを提供してくれます。町長の娘ばかりか伯爵まで同席するというので驚きです。そもそも、此方の言い分を聞いてくれるだけでも、一介の冒険者には破格の待遇なのです。
ヘリオスも、私と同じ疑問を感じたようで、
「伯爵様、何故ここまで丁寧に対応してくださるのでしょう」
と、受け取り方によっては大変失礼な質問を、伯爵に投げつけました。ヘリオスが直球しか投げられないことは知っていますが……。ヘリオスの真っ直ぐな言葉は、人によっては受け取れず、色々なものを粉砕する類の豪速球です。ここで投げなくても。
しかし、私の心配をよそに、伯爵は笑って答えてくださいました。伯爵は懐の深い方でした。
「実は、其方達のことを冒険者ギルドに問い合わせたら、リヒト殿下から直接の御回答を頂いたのだ。出来る限りの配慮を、とな」
なるほど、リヒト様の御意向でしたか。あの方が先王陛下の異母弟であることは、貴族に周知されています。王位継承権こそ手放していますが、エルフの血筋で長命なのもあり、王族の相談役のような立場にあるとか。そんな方からのお声掛け、命令と同義です。
でも良かった。これなら後々エーコさんがフェリペさんに薬を盛っていたのが知られても、不問にされそうです。ヘリオスも胸を撫でおろしているので、気付いていたのでしょう。ヘリオスの鼻に引っ掛からない興奮剤なんて、滅多に存在しません。
エーコさんがフェリペさんの手で殺されようとしていたのは明らかです。ツガイに裏切られたら、自分が死ぬか、相手が死ぬか、両方死ぬか。遺されるアコちゃんも、今なら優しいユウ君が拾ってくれるでしょう。そんなエーコさんの心の内が理解出来るので、私もヘリオスも、積極的にエーコさんを助けようとはしなかった。
セイちゃんの回復魔法については、知ってはいましたが、ユウ君が止めると思っていました。ユウ君の甘さを甘くみていました。何よりの想定外は、セイちゃんの回復魔法があれ程の威力だったこと。あれは正しく奇跡です。
そのお陰で、エーコさんは助かり、面倒事は増えましたが。後始末は私達大人の役目です。子ども達の安全のためにも、特に念入りにいたしましょう。




