ブランデーケーキ
タニカルの町を出て、レヌス川を少し下ったところから支流に入った。川幅が半分に狭まったためか、流れが幾分か速くなる。けれどビーバー母娘の船は安定感抜群で、危なげなく進んでゆく。明日には目的地であるイルミンスールの枝近くまで進めるだろうと、ヘリオスさんが言っていた。
ビーバー母娘の船は、家は小さめだけど甲板部分が広い。その広い甲板で、ジェイド、ヘリオスさん、アステールさんは連携の練習中だ。イルミンスールの枝の実を取るのに必要らしく、ジェイドがヘリオスさんにポンポン放り投げられて、家の屋根に着地しては素早く降りてを繰り返している。木を登るんじゃなくて、飛んでいくスタイルで実を採取するつもりのようだ。
忙しそうな3人の邪魔にならないように、オレとセイナは家の中で編み物に励んでいた。アコちゃんも一緒に、タニカルの町で買った毛糸を指編みしている。アコちゃんの服、ボロボロなうえに生地が薄くなっていて、毛に覆われたビーバー獣人とはいえ寒そうなんだよ。余計なお世話だけど、セイナと遊んでもらうという名目で毛糸を与え、アコちゃんが編んだものは繋げてポンチョにするつもりだ。
え、ビーバー兄弟と扱いに差があるって? 当然だろう、アコちゃんはセイナのお友達だからな。それにビーバー兄弟は、アレコレしてもらうのが当たり前って態度だったけど、アコちゃんはお母さんのお手伝いも率先してやっていた。お客様への接し方も弁えていて、遠慮がち。ビーバー兄弟のほうが子どもらしいのかもしれないが、オレは遠慮して人の輪に入れない子の方を構いたい質なのだ。
なんだかんだ言ったが、要はビーバー兄弟よりアコちゃんのほうがセイナやオレと相性が良いってだけの話だ。オレは聖者だそうだけど、聖人君子じゃないんで、図々しい男の子よりも大人しい女の子を可愛がりたい。セイナと並んでチマチマと指編みしてるのがね、もうホント微笑ましいのよ。小さい子が一生懸命何かしてるのって、胸に来るよね。
そんな平和な時間が流れ、まったりとした午後。そろそろ夕ご飯の支度をしようかなって時間に、外で鍛練していたヘリオスさんが家に入って来た。
「良かった、ユウ、まだ夕飯作ってないな」
「何にしようか考えてるとこです。リクエストですか?」
「いや、料理するのはちょっと待ってくれ。荒れるかもしれない」
「お天気が?」
「ス……動力が」
何だ? モンスターでも襲って来たのか?
「すまん、俺の落ち度だ。ブランデーケーキを落としちまって」
「え! あれに使ったブランデー、高かったんですよ!」
リヒトさん宅で買った高級ブランデーを、ケーキがベシャベシャになるくらい振り掛けたのだ。
「いやホントすまん。後で食べようと思って、ポケットに入れてたんだが。ちょっと引っ掛けて、ポケットが破れて」
「ごめんなさい、ボクのせいなんです!」
ヘリオスさんの陰から出てきたジェイドが、お腹につく勢いで頭を下げた。
「手合わせしてもらってて、ボクの爪が引っ掛かっちゃって」
「それってヘリオスさんに一撃入れたって事? 凄いなジェイド!」
頭を撫でくり回すと、嬉しいような、情けないような、複雑な顔をするジェイド。
「そうなんだよ、ジェイドがどんどん強くなるから、って、それはまた改めて。ブランデーケーキが落ちた先が、餌やり穴だったんだよ」
「あー……」
オレは瞬時に理解した。餌やり穴というのは言葉通り、この船の動力源のスライムに餌をやるための、甲板の隅にある穴だ。野菜くずとか木切れとか、ロキ達の糞とか、有機物ならスライムがなんでも食べてくれるらしく、船で出たゴミはほとんどその穴に捨てられる。
そこにブランデーケーキが落ちて、スライムが食べてしまったと。そして酔っ払ってしまったと。
「ス……って、アルコールは分解出来ないんですか?」
「さあな。でもエーコさんが、ス……の動きがおかしいって言ってるから、備えは必要だ」
エーコさんってのはビーバー母のお名前だ。動力源のスライムはエーコさんがテイムした従魔らしいけど、酔って襲って来る可能性があるのか?
早急に、スライムの泥酔状態を解除しなくては。船を動かすほどの大型スライムに襲われたりしたら、セイナのトラウマが酷くなる!
泥酔状態って状態異常だろうか。だとしたら万能薬で解除できないか?
そう思ったオレは、すぐに『ごっこ遊び』に『薬』を設定しようとしたんだけど、出来なかった。『薬』だと範囲が広すぎて駄目みたいだ。『飲み薬』なら、これも駄目か、なら『魔法薬』でどうだ!
『魔法薬』で設定出来たので、コップの水を錬成……何で変化しない? 魔力不足か? スライムに飲ませる薬だから、子ども用じゃないって判定なのか。セイナの心身の安全のための薬なのに! それとも万能薬自体が作るのに多量の魔力が要るのか? 要りそうだな、だったら酔いを覚ます効果に限定した、向かい酒は違うな、酔い止めも違う、酔い覚まし? とにかくスライムの酔っ払い状態を解除する薬!
「なんで錬成出来ないんだ!」
魔法薬錬成は、ことごとく失敗した。チカッとも光らないから、スキル自体が発動していない。仕方ない、薬は諦めて別の方法を試そう。状態異常解除……聖女の魔法で何とかならないか?
「セイちゃん、ちょっと来て」
奥でアコちゃんと遊んでいたセイナを手招いて、小声でお話する。
「セイちゃん、お酒で酔っ払ってる人を、普通に戻せる魔法って使える?」
「うーん、わかんない」
「そっかー」
アステールさんに鑑定してもらっても、そこまで詳細な情報は視えないらしいし、ここは、それっぽい呪文を片っ端から試していくか。
「セイちゃん聞いて。このお船を動かしてくれてる子が、酔っ払っちゃったみたいなんだ。それを治す魔法がないか、兄ちゃんとやってみような」
「わかった!」
酔っ払い状態解除、状態異常解除、アンチポイズン、レジスト、エ○ナ、キア○ル……知ってる呪文を幾つも試してみたけど、光らない。セイナの他の呪文みたいに、独特の言い回しじゃないといけないのか? 思いつかねーよ!
幸いスライムは襲って来ない。だけど、明らかに挙動がおかしいは分かる。船がクルクル回ったり、ジャンプしたりしだしたからね。
「危ないな。ユウ、子ども達と奥に入って、何処かに掴まってろ」
戸口を塞いだヘリオスさんの後ろから、エーコさんの焦った叫びが聞こえてきた。
「大変です! 船が別の支流に! この先は滝なんです!」




