ただびとであるはずがない
夜も更けて、オレは一人、一心不乱に石鹸を彫っていた。皆疲れが溜まっていたのだろう、夕方寝てから誰も起きてこない。
オレも疲れているはずなのだが、精神的ダメージが大き過ぎて寝付けなかったのだ。オレの可愛いカワイイかわいいセイちゃんに、お婿さんが来てしまった……断じて嫁ではない、絶対に嫁にはやらん、ジェイドはうちの婿、オレは小舅として2人に張り付く所存である!
いやほどほど、ほどほどにね、ジェイドに敵認定されない程度にね、兄として適切な対応を心掛けるから……。薬用石鹸の緑色が、ジェイドのハイライトの消えた目の色に見えて、トーンダウンするオレ。さっきセイナを抱え込んだジェイドの仄暗い目、滅茶苦茶怖かった。思い出すと手が震え、カービングナイフ代わりの串が石鹸の上を滑る。
セイナと引き離したら何するか分からないぞアレは。セイナが嫌がらないうちはベッタリでも、まあ、良い、うーん、良いんだろうか……くっついてると執着心が熟成されていきそうだよなぁ。セイナを溺愛するスパダリになってくれるなら大歓迎なんだけど、一歩間違えると監禁系ヤンデレになりそうな雰囲気だったよね。セイナの幸せな未来のために、ヤンデレへの道は通行止めにしなくては!
「ヤンデレ、ダメ、絶対!」
「ヤンデレとは何ですか?」
背後から知らない声がした。オレはヒェッと情けない悲鳴を上げて飛び退り、恐る恐る視線を上げた。
ちょっと信じられないレベルの美人さんが立っていた。
えっ誰? 女神? 精霊? 人外だよね、このテントはオレ達しか入れないはずだし。こんな神々しい後光が射してる美人が、ただびとであるはずがない。
「ええと、女神様ですか?」
「違います、私です」
私さん申し訳ない、存じ上げないのですが……いや待て、この人の服装には見覚えがある。
「アステールさん?」
「はい、私です」
「アステールさん、女性だったんですか」
クスリと笑ったアステールさんの笑顔の破壊力たるや!
ポーッと見惚れるオレの手を取り、アステールさんが自身の胸へと誘導する。ちょっ、アステールさんダメ、恋人でもないのにそんなコト、うあああ胸に手が!
アステールさん、力つっよ! 必死の抵抗虚しく、オレの右手がアステールさんの柔らかな体に触れる……と思ったが、アステールさんの服は押すだけ押し込まれ、辿り着いたのは固く真っ平らな壁。
「あれ?」
「下も確認しますか?」
「下?」
「貴方のと、比べてみますか?」
何を?
アステールさんは声を押し殺して笑っている。その顔がもう最高に美しくてキュートで魅力的で、またポケーッと見惚れそうになったけど、さっきのやり取りを思い出せ、冷静に考えろオレ。
え、もしかしなくてもアステールさんて。
「男?」
ふふふっと上品に笑いながら、頷くアステールさん。あんな思わせぶりな態度取らなくても、言ってくれればいいのに。オレ揶揄われた? アステールさん、いい性格してるな!
「ウフフ、すみません。貴方の反応が面白くて。で、ヤンデレとは何ですか?」
「ええと、すごく愛情深いけど愛情表現が歪んでいる人のことです」
「なるほど、私のような人間のことですね」
「…………」
その情報は要らなかったなー。
「アステールさん、覆面してたのは、その美し過ぎるお顔のせいですか?」
「あからさまに話題を変えましたね。まあ、その通りです。この顔のせいで余計なトラブルが寄ってくるものですから。その上声にも軽い魅了効果があるようでして、意図せず人を操ってしまうのです。貴方は平気なようですが」
「そうですね、今のところは」
「これだけ話していても正気を保っていられるのですから、貴方はかなり精神攻撃への耐性が高いです。素晴らしい、さすがは召喚聖者です」
「…………」
「ああ、警戒しなくても大丈夫ですよ。私達は国からの追手等ではありません。私は鑑定魔法が使えるのですが、召喚されてきた方の鑑定結果は神聖文字で表示されるのです。ユウ君の場合はカナカナでシッターと表示されたので、召喚者だと知れました。この国で先月行われた聖女召喚で、こちらに来たのではありませんか?」
これ、どう反応するのが正解なんだろう。アステールさんの口調は探りを入れるというよりも、既に確信している事を、念の為に確認している感じだ。ここから誤魔化すのは至難の業、考えを変えさせるのは無理そうなので、オレが取れる対抗手段は沈黙のみだ。
だんまりを決め込んだオレに、アステールさんは確信を深める。
「やはりそうなのですね。今回の聖女召喚は、何かがおかしいと思っていたのです。毎回召喚後すぐに聖女のお披露目があり、聖女の名前や外見を載せた広報紙が配られるのに、今回はそれが無い。聖女召喚が成功したとの発表だけです。聖女であるセイちゃんがここに居るのに探している様子もない。ということは、今回は複数人、少なくともあと2人の聖女が召喚されたということでしょうか。その2人のどちらを公式な聖女とするかが決まらず、聖女のお披露目が遅れている、といったところですか」
ちょっとこの人怖いんですけど。ここから「セイちゃんは聖女様なんかじゃないしオレも召喚聖者なんてものじゃありませんよハハハ」なんて言ったところで、鼻で笑われそうなんだけど。
オレはもう、腹を括ることにした。
「3人です」
「何がですか?」
「セイちゃん以外の聖女っぽい人、3人いました。オレ達を含めて7人が、こっちに召喚されて来たんです」




