風の魔法使い
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動物園のゴリラ舎で、『危険! ゴリラは糞を投げます』といった注意書きを見たことがある方、いらっしゃるだろうか? オレは小学校の遠足で見た。ゴリラってウ○チ投げるのか! と妙に感動したのが、その遠足での最も強烈な記憶だ。そんなのが遠足のハイライトになるくらい、オレの小学生時代は灰色だった。なにせまだセイナが生まれていなかったので。
と、なぜそんな記憶を掘り起こしているのかといえば、目の前でゴリラが投球フォームに入っているからに他ならない。ピッチャー振りかぶってぇー、投げたー! ビチャッ! ストラーイク!
いやこれデッドボールだな。完全なる危険球だよ。なにせゴリラの投げたアレは、女性冒険者の顔面を直撃しているのだから。死球を受けた女性冒険者の目が死んでいる。
続く第2球、ではなく2頭目のゴリラが、こちらは見事なトルネード投法でブツを投げる。優しく弓なりに飛んだゴリラの愛は、男爵夫人の胸に届いた。派手派手なドレスが愛に染まる。これには男爵夫人も真っ赤になって、
「ギャーーーーーーッ!!!」
一声叫ぶと失神した。石に座ったまま器用に気を失った男爵夫人。それを見てドラミングするゴリラ達。
「おっと、求愛を受けたと思われたか?」
ヘリオスさんが楽しそうだけど、さすがにマズいから。男爵夫人を新居に連れて行かれたら、陽気なゴリラ達が討伐対象になっちゃうから。イチさん、イチさん早く!
そのイチさんはといえば、必死に男爵を説得してくれているようだ。話の通じない人に話を通すのって大変だよね。頑張って、でもなるべく急いで!
オレの祈りが通じたらしく、こちらに合図をくれるイチさん。
「ヘリオスさん、ほら、イチさんがやってくれましたよ!」
「あー、そうだな。この辺で限界か。仕方がない、ゴリラ達には目を覚ましてもらおう。アズ、いけるか?」
アステールさんは、杖を取り出すことでヘリオスさんに答えた。
「よし、じゃあ頼む。ユウ、チビっ子達も見てな。アズは凄いんだぜ」
ヘリオスさんの言葉は本当だった。アステールさんがサッと杖を振ると、突如として上空に竜巻が現れた。ゴリラ達の輪の上にピタリと留まった竜巻は、瞬時にほどけ、内包していた水を吐き出す。水の塊が叩きつけるように落下して、下にいたゴリラ達、男爵家一行、女性冒険者達をずぶ濡れにした。全ては一瞬の出来事だった。
「……えっ、今の、アステールさんの魔法?」
「ああ、アズは風の魔法使いだ」
「風? 水じゃなくて?」
「風魔法でさっきの池から水を巻き上げて、運んできたんだよ」
「あの一瞬で?」
アステールさん、池のほうを振り返りもしなかったよ? 方向も距離も完璧に合わせて、離れた場所から魔法で水を運んできたの? しかもオレ達はちっとも濡れてないよ? 竜巻を操りながら、風の盾かなにかで守ってくれたの?
「凄いだろ」
自慢げなヘリオスさんに、同意しかない。だってイチさん達も濡れてないようなのだ。近くにいたのに馭者さんトリオは水を被らず、他の連中は濡れネズミ。そんな繊細な魔法操作が出来るものなんだ。
え、アステールさんて実は高名な魔法使いだったりする? あまりに有名になり過ぎて、正体隠さなきゃいけなくなったの?
俄然アステールさんに興味が沸いてきたオレ。今までも、秘密主義なアステールさんに関心がなかった訳じゃないけど、これ程の魔法を見せられるとね。なにせこの世界で初めて目の当たりにした、本格的な魔法だ。いやオレやセイナの魔法はちょっと特殊というか……。ジェイドの魔法はファンタジーっていうよりファンシーって感じだったし。
ところで、求愛ダンスに水を差されたゴリラ達はといえば。
さっきまでの情熱は何処へやら、皆一様に、スンッとした顔をしていた。2頭のゴリラはのそのそと馬車から下り、バックダンサー達は騎士達を解放し、ゴリラだけで集合。肩を叩き合う仕草は、健闘を称えるというよりは、「災難だったな」「人生こんな事もあるさ」「変なのに引っ掛からなくて良かったじゃないか」と慰めあっている雰囲気。大柄な2頭のゴリラの背中に、哀愁が漂っている。
「良し、ゴリラ達も相手が違うと気づいたようだな」
「えっ、まさか相手が人間だって気づいてなかったと」
「そうでなきゃ、ゴリラが人間に求愛ダンスなんてしないだろ」
そうか。獣人がいる世界だから、人間と魔物の異種族間婚姻もありなのかと思ったよ。だってゴリラの獣人とかいたらさ。ご先祖はどちらから? って考えない?
「たぶんあの香水のせいで間違えたのさ。パリピゴリラは視力が悪いから。小さいけど魅力的なメスゴリラがいるとでも思ってたんじゃないか?」
それは、何というか、ゴリラ達もお気の毒に。騙されたようなものだよね。
ゴリラ達は支え合いながら、トボトボと森へ帰って行った。これに懲りず、婚活頑張ってください。