カイゼル髭が震える
颯爽と天馬を駆って空を飛び、あっという間に王宮に到着したオレとリヒトさん。門を通るという正規の手続きをすっ飛ばし、リヒトさんは、ある建物の最上階にあるバルコニーに天馬を横付けした。ひらりとバルコニーへと飛び移ったリヒトさんに支えてもらい、オレもよたよたとバルコニーに移る。ガラス窓の向こうの部屋の豪奢な内装に気後れするオレに構わず、リヒトさんは窓から室内に侵入した。
「新年おめでとう! 自慢の我が義息子を連れて来たぞ!」
「叔父上、新年の挨拶はまだ早い」
奥の部屋から返事があり、厳めしい顔の男性が姿を現した。鋭い目に鷲鼻の下のカイゼル髭、床に届きそうな黒いガウンに身を包んだ偉丈夫である。リヒトさんを叔父上と呼んだところからも、この人は。
「ユウ、こちらは僕の甥っ子、サウスモアの国王だ!」
ですよね! だとすると、ここって国王陛下の私室? 畏れ多いんですけど!
その場で膝を付こうとしたオレを、リヒトさんが強引に室内に引っ張りこんだ。足下がフカフカ。高級そうな絨毯を、オレの靴で汚してしまう!
だけど、リヒトさんはオレの遠慮したいなーとの本音など意に介さず、これまた高級そうなソファにオレを座らせた。
「ギルベルト、この子が僕の息子になったユウだ。可愛いだろう?」
オレはペコリと頭を下げておく。だってさ、初対面の王族に挨拶する文言なんて知らないよ。強面の国王陛下に下手なこと言って、不興を買いたくない。ここはリヒトさんにお任せしよう。
国王陛下はオレをジロリとひと睨み。縮こまるオレ。もう帰りたいけれど、ここから1人では帰れない。リヒトさんは顔パスだとしても、オレは不法侵入してるようなものだからね。
国王陛下は、オレから視線を外さず言葉を紡ぐ。
「挨拶ならば明日の祝賀パーティーでも良いのでは」
「僕は明日のパーティーは欠席だ! それに、ユウに指名依頼を出しただろう?」
「指名依頼?」
「ロックドラゴンとの仲介を、と」
国王陛下が、オレを見据えたまま目を見張った。チラリとリヒトさんに視線を向けたが、一瞬でオレに戻した目が若干泳いでいる。
「まさか、冒険者のユーというのは」
「ユウのことだ! だがユウは今日で冒険者を辞めるからな、さっさと断りに来た!」
国王陛下に再びギロリと睨まれる。だけど、岩長さんとの仲良し疑惑はきっちり払拭しておかないと。オレはなけなしの勇気を振り絞り、国王陛下に奏上した。
「今回ロックドラゴンに運ばれたのは、リヒトさ、まが交渉してくださったからでして。自分には、ロックドラゴンとの仲介など出来ません」
「そういう訳だ、軍務大臣にも伝えておいてくれ! ではな!」
「待て!」
用は済んだと腰を浮かせたリヒトさんを、国王陛下が引き止めた。それでもさっさとバルコニーに向かって歩くリヒトさん、足が速い。腕を掴まれたオレは小走りだ。
だけど国王陛下がダッシュで回り込み、バルコニーに出る寸前でオレ達を通せんぼした。眉根を寄せた厳つい顔に、脂汗が滲んでいる。
「叔父上、お怒りはごもっともだが、如何か頼む!」
「僕は怒ってないよ。呆れているだけだ。ロックドラゴンには触れるなと、あれ程忠告したのにね。軍務大臣は僕より年下なのに、もう物忘れが始まったのかなぁ?」
あれ? リヒトさんの横顔が、いつもの楽し気な笑顔と違うような……笑顔なのに笑顔じゃないように見える。
国王陛下が苦しげに呻き、顔色を悪くしながらも懇願する。
「軍務大臣は更迭する! だから叔父上、見捨てないでくれ!」
「ギルベルトはもういい大人だからな、来年からは全て自分で対処出来るだろう! 僕はお役御免だな!」
「叔父上!」
とうとう国王陛下はリヒトさんの腰に縋り付き、えぐえぐと泣きだした。羽織っていたガウンが床に落ち、寝間着があらわになったんだけど。
国王陛下の寝間着、ピンクのフリフリ系。レースやらリボンやらがふんだんにあしらわれていて、大変可愛らしい。いや、今は国王陛下のご趣味に関する考察なんて、している場合じゃないんだけど。
国王陛下が泣きだした時から、リヒトさんの表情がごっそり抜け落ちた。無表情というより無。これ、もしかして激怒してるの? いつも楽しそうなリヒトさんが?
「……あの、リヒトさん」
「ああ、ユウ君。ちょっとだけ待ってくれるかい? 直ぐに終わらせるから」
オレが恐恐呼び掛けると、リヒトさんはニコリと笑顔を作ってくれた。だけど、オレから視線を外した瞬間に表情が掻き消える。
「ギルベルト、本日をもって、僕は王家の相談役を返上するよ。正式な書面は追って届ける」
「そ、そんな……」
国王陛下のカイゼル髭が震える。その震えが全身に広まったかと思うと、国王陛下は白目を剥いて、卒倒した。
「えっ、ちょっ、大丈夫ですか? 誰か、誰か来て!」
「気にするな、と言ってもユウは気にするか」
気を失った国王陛下をソファに運び、ベルを鳴らして人を呼んだリヒトさん。侍従らしき人が走って来るのを認めて、踵を返す。
「さあ、早く帰って早く寝よう!」
「え? いや、このまま帰っちゃ不味いんじゃ」
「問題ない! ギルベルトはこう見えて、ノミの心臓なのだ! いつもの事だからな!」
国王がそれで大丈夫? 問題無いわけないよね!




