精霊様にご挨拶
ロキに乗って城壁をぐるりと回り込み、森の中を進んでゆくと、突然緑の壁が現れた。木の枝と蔦が絡みあった壁に沿って歩を進めると、壁の切れ目の向こうに、柔らかそうな草で覆われた広場が見える。その更に奥にそびえ立つのが、一夜にして出現した巨大樹。オレ達の引越し先だ。
切れ目から壁の内側に入ってみると、チラチラと舞っていた雪が止み、暖かいほどだ。緑の壁はリンゴとブドウの生垣だったようで、壁面を覆う枝葉のそこここに、赤や紫、黄緑色の実が生っていた。
生垣に実るリンゴとブドウに、ロキが嬉しげにヒヒンと嘶く。オレの指示を無視して生垣に突撃し、早速ブドウをパクリと味見するロキ。他の馬達もソワソワしているので、全員馬を下りて歩く事になった。と、その前に、ヘリオスさんがブドウを1房摘み取って、1粒口に放り込む。
「おっ、甘っ、旨っ! 皆も食べてみろ」
ヘリオスさんが房からむしったブドウの粒を、それぞれに配ってくれる。オレも1粒口に入れると、瑞々しい甘味が口いっぱいに広がった。美味しっ! 日本の品種改良しまくった果物に、勝るとも劣らぬ美味しさだ。
「おいしーっ! セイ、これ大好き!」
セイナが大変気に入ったので、ブドウは房ごとヘリオスさんからジェイドに渡された。歩きながら一粒一粒、ブドウがジェイドによってセイナの口に運ばれる。アーンの度にセイナが立ち止まるので、なかなか進まない。
「想像以上の広さですね。あの木の奥にも空地がありますよ」
風魔法で地形を探ったらしいアステールさんが、鶏仮面を脱いで周囲を見渡した。ほんと広いよね、ロキが今、オレ達の横をパッパカ駆け抜けて行ったもん。これなら馬達も退屈せずに済みそうだ。
「精霊様の祠も壁の内側にありました?」
「ええ。あの木の根元、東側ですね」
アステールさんが指差したのは、お城の人達をザワザワさせた巨大樹の向かって右手だ。桃らしきその木は大き過ぎて、見ていると遠近感がおかしくなる。
「まずは祠に行って、精霊様にご挨拶したいです」
オレが提案すると、皆揃って頷いてくれた。引っ越しのご挨拶は大切だもんね。森に住ませてもらうんだから、精霊様は大家さんになるし。
「大家さんとは違うだろ」
「なら、地主さん?」
「それも違う気がするな」
ヘリオスさんがセイナとジェイドを抱え上げる。ズンズン歩くヘリオスさんと、涼しい顔でそれに続くアステールさん。2人共長年冒険者をしてきたからか健脚だけど、オレは庭の移動だけで息が切れそうだ。ちょうどフレイが追い掛けてきたから、頼んで乗せてもらう。
「ユウ君、ロキがまた拗ねますよ」
「でも、アイツどっか行っちゃったんで」
「師匠、ボク、ロキを呼んで来ましょうか?」
「いいよいいよ、どうせ直ぐだし」
なんて話しているうちに、祠の前に到着した。
祠の中は相変わらず素朴で、祭壇に森の精霊様の木像が、ひっそりと祀られている。下見に来た時にお供えした折り鶴が無くなっているけど、何処かに飛ばされでもしたのだろうか。
セイナに『きれいきれーい』してもらい、折り鶴リースをアイテムボックスから出して、祭壇の下段に供える。そして、皆で横1列に並んで手を合わせた。工房も置かせてもらうので、オレが代表して挨拶する。
「今日からお世話になります。宜しくお願いします」
ペコリと下げた頭を起こすと、精霊様の木像の陰から小動物が顔だけ覗かせた。
「あっ、リスさん!」
セイナが目敏く見つけて触ろうとし、途中で止まり、オレを見て、ジェイドを見る。ちゃんと覚えてて偉いね、尻尾はお触り禁止だもんね。
「ジェイド、尻尾以外は我慢しような?」
「うう……は、いい……ぇ」
ヘリオスさんに笑いながら言われ、ジェイドから許可が……出たことにしよう。オレはリスだかモモンガだかを誘い出すべく、ナッツを手に乗せて。
「ほら、おいで。これ食べて良いから、ちょっとだけセイちゃんに撫でさせてやってもらえないかな?」
木像の陰から小動物が、恐る恐るといった様子で出て来た。その小さな胸の前、両手で持った木片を見て、アステールさんがプッと吹き出す。
“しっぽがり きんし”
「ジェイド、尻尾狩りは禁止だそうですよ」
「それは、この祠の中だけの規則でしょうか」
ジェイドに目を向けられた小動物が、プルプル震えながら、別の木片を胸に抱える。
“ぼくたち もり せいれいさま けんぞく”
「森の精霊様の眷属は、あなたの種族だけですか? 他の尻尾は?」
「ジェイド、尻尾は本体じゃないよね」
「ユウ、獣人にとっては尻尾はとても大切な部分でな?」
眼鏡が本体みたいな理解で合ってますか、ヘリオスさん。
ジェイドのハイライトの消えた目で凝視された小動物が、また別の木片を掲げる。
“やさしく おねがい”
ジェイドが黙考する間、痺れを切らしたセイナが、またオレを見上げてきた。足踏みしている。待ち切れないセイナのために、オレは小動物を右手でそっとすくい上げ、左手でフサフサの尻尾を隠す。
「ほら、これで良いだろ? これならセイちゃんが間違って尻尾に触ることもないから」
「それなら、まあ、はい」
「ジェイドありがと! リスさん!」
セイナがやっと触れると、パアアッと笑顔になった。ヤキモチ焼きの獣人のツガイになると大変だよね。
いつの間にか、折り鶴リースが消えていた。森の精霊様の元に届けられたのかな。




