スーちゃんは賢い
風呂場のある建物を出た所で、ビアーさんと鉢合わせた。
「あれっ、なんでアンタがいんのさ?」
「それはこっちのセリフです。しばらくはボク達家族だけでお風呂を使わせてもらうはずなんですが」
唯一姿を隠していないジェイドが、ビアーさんを訝しげに見上げる。連絡が上手くいってなかったのかなと思ったら、違った。
「あー、アチシはヘリオスさんの背中を流してやろーと思って」
「要らないです。夫婦水入らずを邪魔しないでください」
ジェイドがピシャリと断った。今度はビアーさんが訝しげに、ジェイドに聞き返す。
「夫婦?」
「はい。ヘリオス先生は、覆面してた人とご夫婦です」
「そ、そうなんだ……だよな、あんな強くて顔も性格も良くて、女がいないわけねーよな」
ビアーさん、ヘリオスさんが妻帯者だと思ってガックリきている。ヘリオスさんもモテるよね。でもビアーさんはジェイドとヘリオスさんが親子だとは考えなかったのかな。ジェイドが先生呼びしてるから、親子判定出なかったのか? これからは余計なトラブルを避けるためにも、ジェイドに「ヘリオス父さん」とでも呼ばせるべきだろうか。
オレ達が気配を殺し、息を潜めて見守る中、ジェイドは丁寧にビアーさんにとどめを刺す。
「ヘリオス先生も獣人だから、ツガイへの愛が重いんです。他の男に見せたくないからって覆面させてるくらい、溺愛してるんです。今もお風呂で……夫婦でゆっくりするからって言ってました。ボク、お邪魔にならないように、早めにお風呂からあがったんで、アナタも邪魔しないでください」
「わ、わかった……しばらくは風呂場に近寄らないよう、皆に言っとくよ……」
ビアーさん、何を想像したのか顔が赤くなっている。フラフラと去ってゆくビアーさんを見送って、ジェイドは集落の入り口へと歩き出した。
モワモワに包まれたヘリオスさんが、ジェイドに続きながらブツクサ言っている。
「さっきの言い方だと、俺とアズが風呂で……いや人払いには効果的だが、誤解が……」
「ヘリオス、黙って歩きなさい」
ヘリオスさんを後ろから追い立てるアステールさんが、オレを振り返る。
「ユウ君も急いで」
「あ、先に行ってください、直ぐに追いつくんで」
オレは斜め掛けの帆布鞄から、水筒を取り出した。スーちゃんを携帯する為に買った、金属製の広口水筒だ。中から手乗りサイズのスーちゃんを取り出して、風呂場の扉の前にそっと置く。扉の上下に湿気を逃がす隙間があるのに気付いて、ちょっと小細工出来ないかと考えたのだ。
「スーちゃん、この隙間から中に入って、鍵を閉めて戻って来られる?」
風呂場の扉の鍵、引っ掛けるだけの掛け金錠だったから、スーちゃんでも閉められるんじゃないかなと。誰かが出歯ガ──様子を見に来た時の、時間稼ぎだ。
スーちゃんはプヨンと1回跳ねると、扉の下の隙間から中に入るために、平べったくなった。そのままウニョウニョ這って風呂場に侵入するスーちゃん。少しして、カチャリと中から音がした。そして、またウニョーッと扉の下から出てきたスーちゃんが、エッヘンと胸を張る。
「成功?」
真ん丸に戻ったスーちゃんが、ポヨンと跳ねる。オレは確認のために取っ手を押し引きしてみたが、扉は開かない。偉いぞスーちゃん!
「スーちゃんは賢いですね」
「えっアステールさん? 先に行ったんじゃ」
「ユウ君を1人で置いていける訳ないでしょう」
黒いモワモワで見えにくいが、アステールが待っていてくれた。オレの後ろでスーちゃんの活躍を見ていたようで、スーちゃんを掬い上げて撫でている。夕闇の中に目を凝らすと、少し離れてジェイドと、セイナを抱えたヘリオスさんも待ってくれているようだ。
「お待たせしました!」
スーちゃんを水筒にプニッと押し込み、仲間達と合流。揃ってロキ達を預けた場所まで駆ける。ヘリオスさんもアステールさんも、足音がしないのが凄い。オレもなるべく音を立てないようにしてるけど、抜き足差し足忍び足では走れない。ジェイドがオレの足音を誤魔化すために、オレに合わせて足を動かしてくれている。それも凄いな!
ロキ達は水と干し草をもらって、お食事中だった。ということは、それを用意してくれた人がいるという事だ。フレイの陰から、この集落では珍しく、ほっそりした初老の男性が顔を出した。ジェイドを見つけ、ニコリと微笑む男性。首を傾げながら、話し掛けてきた。
「やあ、坊っちゃん。1人かい?」
「はい。あの、馬達にご飯をあげようと思って来たんですけど、もう食べさせてくれてるんですね。ありがとうございます」
「いやいや、ぼくは馬が好きでね。勝手にやってすまないね」
「そんな事ないです。助かりました」
深々と頭を下げたジェイド、ここから如何しようと困った顔をしていた。だけど顔を上げた時には笑顔になっている。
「あの、後はボクがやりますから」
やんわりと、外してもらうよう促した。けれど男性は笑顔でオレを見て、
「そうかい? 逃げるなら手を貸すよ?」
「……見えてます?」
「見えてるねぇ。ああ、ぼくの目が特殊なだけで、他の人には見えてないと思うよ?」
アステールさんがオレの前に出る。ヘリオスさんもセイナをジェイドに託して、皆を背に庇う位置へ移動する。だけどオレは、臨戦態勢に入ろうとする2人を押し留め、男性に向き直った。
「見逃してもらうだけで充分です。でも、貴方が後で怒られたり、酷い目にあったりはしませんか?」
「それは無いよ。これでもぼくは、パラスのお父様だからね」
男性はパチンとウインクしてから、ウチの馬達から離れる。
「さあ、ぼくは何も見ていないから、好きに逃げるといいよ。出来ればまた来て欲しかったけど……息子があの調子じゃ、無理だろうねぇ。ここの連中も気のいい子達だけど、アクが強いから」
「あの、ごめんなさい、オレ達色々事情があって」
「いいから、ほら早く行きなさい」
オレが男性と話している間に、他の皆が出発の準備を手早く整えてくれた。オレ達はそれぞれ馬に乗り、集落を後にする。初老の男性が、手を振って見送ってくれた。