感涙にむせぶ
ヘリオスさんと拳闘樹との対戦は、日没による時間切れ、引き分けで終了した。拳闘樹の枝が動きを止め、対戦終了がコールされた途端、糸が切れたように倒れたヘリオスさん。オレ達パーティが駆け寄って支えると、周囲のマッチョ達から万雷の拍手を送られた。ヘリオスさんが何とか片手を挙げて応えると、指笛やら雄叫びやらが追加される。うるさい。黙れ。ヘリオスさんが休めないだろ。
オレは、暢気なマッチョ達にも、対戦相手の拳闘樹にも苛ついていた。ボロボロで血を流すヘリオスさんが見えないのか。顔は腫れてるし、体中傷だらけなんだぞ! 囲むな、叩くな、これ以上ダメージを与えるな!
ヘリオスさんは対戦途中からスタミナ切れで動きが緩慢になり、オレでも目で追えるようになっていたのだが。楽しい対戦を終えるのが惜しかったのか、拳闘樹が中断を許さなかったのだ。セコンドのパラスさんがタオルを投げても止まらず、どころかタオルを空中で打ち抜き吹き飛ばして、「今何かあった? 何も無かったよね、ね?」みたいに無視して続行した拳闘樹、何が正々堂々だ、見損なったよ。
だけど拳闘樹にとっては素晴らしい対戦だったようだ。夕陽に向かって立ち尽くし、感涙にむせぶ拳闘樹を、オレは白けた思いで見上げた。拳闘樹の下では涙を採取するために、職人さん達が走り回っている。皆さんビキニパンツ一丁なんだけど、寒くないのかね。
「いやいや素晴らしい試合でした! 拳闘樹も大変満足したようで、涙も大量に採取できそうです! ありがとうございました!」
職人さん達への指示が一段落したのか、ほくほく顔のパラスさんがやって来た。
「あれで良かったのか? 俺の攻撃じゃ、ほとんどダメージ入ってなかったろ」
「充分です! あのサイズの拳闘樹に勝つのは拳聖様でもなきゃ不可能ですので!」
そんな化け物と、ヘリオスさんを戦わせてしまったのか……。俯いたオレの頭にヘリオスさんの手が置かれる。ヘリオスさんの体重を支えるには頼りないヒョロさだけど、一時でも杖代わりになれば。あれ、違う、撫でられてるな。
「そうか、なら、これで依頼達成だな。依頼書にサインしてくれ。あと、拳闘樹の涙も多めに貰えるか?」
「もちろんです!」
ヘリオスさんに促されてその場で依頼達成のサインをもらい、採取したばかりの拳闘樹の涙も樽2つ、タダで貰ってしまった。拳闘樹はまだ滂沱の涙を流しているからと、更に樽を追加されそうになったが固辞する。貰い過ぎてもね、タダより高いものはないから。定期的に依頼を受けてくれとか、ここの専属になってくれとか、面倒事を断れなくなると困るので。
「よし、じゃあ俺達は風呂に入りに行くか。皆俺に触っちまっただろ」
「あ、忘れてた」
パーティメンバー全員、風呂前のヘリオスさんに触ってしまったので、風呂場に案内してもらう。宿泊所に隣接された風呂場は男女兼用で、時間で利用者を分けているという。まだ集落の人達は拳闘樹の涙を採取するのに忙しくしているので、しばらく風呂はオレ達だけで使って良いそうだ。セイナが居るからと、気を遣ってくれたようだ。
案内してくれた人が去り、辺りに他の人の気配も無いとアステールさんが確認してから、オレはジェイドとセイナに頷いてみせた。
「お待たせ、ジェイド、セイちゃん」
ジェイドがセイナのお口を塞いでいた手を離す。セイナが涙声で叫んだ。
「ヘリオスのお兄さん、『痛いの痛いの飛んでけー』!!」
パアアアアー!!
いつもより光量過多な回復魔法が炸裂する。セイナは対戦途中から、ずっと我慢していたのだ。拳闘樹の枝がヘリオスさんを傷付ける度に、魔法を使おうとするセイナを、ジェイドとオレの2人掛かりで止めていた。セイナが口を開こうとした所にすかさずキャラメルを放り込んだり、手で口を覆ったり、今はまだ我慢と言い聞かせたり。その都度「なんで?」と泣きそうな顔で聞いてくるセイナに、オレも泣きそうになったよ。仲間が傷付くのを見るのは辛いよね。
光が収まると、セイナはヘリオスさんの周りをぐるぐる回って全身チェックし、傷やアザが残っていないか念入りに探した。そして、きれいサッパリ治っているのを確かめて、ヘリオスさんを見上げる。
「もう痛くない?」
「ああ、もう何処も痛くない。セイちゃん、ありがとうな」
「えへへ、よかった!」
鼻水の垂れる顔でニパッと笑うセイナに、アステールさんが言う。
「セイちゃん、もう1つ、お願い出来ますか?」
「うん、いいよ!」
「私達全員に、浄化魔法も掛けてください」
「じょーか」
「セイちゃん、『きれいきれーい』だよ」
セイナが全員に『きれいきれーい』も掛けると、セイナの顔から鼻水が消える。
「アズ、如何だ?」
「消えました。鑑定結果にも出ないです」
ヘリオスさんがハーフパンツを脱ごうとした。ジェイドがサッとセイナを抱えて後ろを向く。オレも視線を逸らせて、
「ヘリオスさん!?」
咎めるような口調になったのは仕方がないと思う。視界の端で全裸になったヘリオスさん、悪びれもせず、むしろ楽し気だ。
「ああ、すまん。別に俺は君らになら見られても構わないんだが。家族みたいなもんだし」
「家族にだって全裸は見せびらかすものじゃないです! 親しき仲にも礼儀ありって言葉、こっちには無いんですか?」
「知らんなぁ」
くっ、こんな場面で異世界ギャップが!
オレは片手で顔を覆って視線を塞ぎ、もう片手で風呂場を指差した。
「だとしても、セイちゃんは女の子なんですからね! さっさとお風呂にどうぞ!」
「いや、風呂には入らない」
「え、でも拳闘樹の涙が固まったら」
「さっきの浄化魔法で、拳闘樹の涙も消滅していますから。それよりもユウ君、ウルは何処に居ますか?」
オレは大人しくポケットで丸まっていたウルを手に乗せた。眠っていたのか、クアッと欠伸をし、伸びをするウル。起こしてゴメンな。
ヘリオスさんは手早く服を着て、借り物だったハーフパンツを丁寧にたたみ、もう一度セイナに浄化魔法を掛けさせている。そして、すっかり元通りになった二枚目な顔で、いたずらっぽく笑って言った。
「よーし、それじゃあ逃げるか!」




