アレと戦うの?
拳闘樹との対戦会場は、集落の奥、森との境目にある空き地だった。オレが通っていた高校のグラウンドがこの位の広さだったか、思ったよりも広い。そこに、集落の全員が集まっているんじゃないかって人数のマッチョが、ワクワクした顔でひしめき合っていた。ここだけ熱帯雨林気候、熱気が渦巻き蒸し蒸ししている。
仲間達を連れて来ると、ヘリオスさんは既に準備を終えて、椅子に座っていた。冬服は脱がされて上半身裸、ズボンも長ズボンからハーフパンツになっている。頭には鉢金っぽい鉢巻き、両手にボクシンググローブ擬き。一応肩からマントを掛けているが、冬の屋外でボクサーの格好は寒そうだ。
「ヘリオスさん!」
振り返ったヘリオスさんの唇が紫色。やっぱり寒いんじゃん! オレは慌てて毛布を出してヘリオスさんを包み、ホットチョコレートの入ったカップを渡した。
「おお、サンキュ。流石にこの格好は寒いわ」
「当たり前でしょう。ヘリオスは寒いの苦手なのに。さっさと服を着なさい」
アステールさんがシャツを着せようとするのを、ヘリオスさんがやんわりと留める。
「それが、この格好じゃないと後で困るらしくてな」
「拳闘樹の涙が服に付くと、固まって脱げなくなることがありまして」
セコンドよろしく傍に控えていたパラスさんが言う。拳闘樹の涙は空気に触れると数時間かけて硬化するらしい。服に付いたのに気付かず過ごしていると、服が固まったり、場合によっては服と皮膚がくっついてしまったりするようだ。
「そういった事態を防ぐために、なるべく薄着で対戦しています。また、対戦後は真っ先にお風呂に入ってもらいますので」
ヘリオスさんに説明し、次いでパラスさんはオレ達にも注意事項を伝えてくれた。
「皆さんも、拳闘樹の涙が掛からないように規制線の外での観戦をお願いします。あと、対戦後のヘリオスさんには、触らないように」
「はいっ!」
ジェイドがキリッと凛々しい顔でお返事したので、パラスさんが笑顔になった。
「それでは、そろそろ下がっていてください。ほら、奴が到着しましたよ」
森の端から出て来たのは、想像以上に立派な木だった。高さはヘリオスさんの10倍くらい、胴回りもふた周りは太そうだ。かなり体格が良いヘリオスさんと比べても、大人と子どもどころじゃ無い体格差がある。ヘリオスさん、アレと戦うの? オレのせいで?
正直オレは甘くみていた。素手で殴り合うんだから、人間と変わらない程度の樹高か、大きくても倍くらいの樹木だと思っていたのだ。
「棄権しましょう!」
オレが縋りついて懇願したけれど、ヘリオスさんは首を横に振った。
「ユウはアレの涙が必要なんだろ?」
「買いますから! 拳闘樹の涙は正規の値段で買えばいいだけです、だから止めましょう!」
「駄目だ、今更辞退は出来ない。俺にだってプライドがあるからな。それに、アレが街道に出ちゃまずいだろ。多少なりともストレス発散させて、食い止めないとな」
「でも、でもヘリオスさんじゃなくても」
「心配するな、ユウ。大丈夫だ。拳闘樹との対戦で死ぬ事は、ほとんど無いって聞いた」
「でも怪我するかも、せめて、こっそりセイちゃんの身体強化魔法を」
「いいや。相手は正々堂々、真っ向勝負を望んでいるんだ。俺も実力だけで挑む」
ニカッと爽やかに笑って拳闘樹の下へと歩き出したヘリオスさん、漢だ。それに比べてオレは未練がましく、引き止めようと伸ばした手をアステールさんに掴まれた。
「ユウ君、下がりましょう」
「アステールさんは心配じゃないんですか?」
「私だって心配はしますが、信じてもいますから」
ああ、強いよ2人とも。オレは怖い。ある意味、冥府の葬列の死神と目が合いかけた時よりも怖い。
アステールさんに引き摺られて規制線の外に出されたオレは、ジェイドからセイナを奪い取って抱き締める。セイナがヨシヨシしてくれるけど、怖さは増すばかりだ。
おもむろに、拳闘樹が6本の腕を構えてファイティングポーズを取った。ヘリオスさんも拳を顎の下で構えてみせ、鐘が鳴らされた。
カーン!
そこから始まった対戦は、力と力が真正面からぶつかる肉弾戦。まずはジャブ、数発ずつ拳を合わせて相手の力を測り、双方少しずつギアを上げる。手数を増やし、スピードを増し、一撃の威力を増加させ、すぐにオレの目では追えなくなった。ズダダダダという連続音の合間にドゴォ! とかガギッ! とか、重くて痛そうな音が混じってオレの心臓にダメージを入れる。し、心臓がキュウッと止まりそう……。
「お兄ちゃん、だいじょーぶ?」
胸を押さえるオレをセイナが心配してくれるけど、全然大丈夫じゃない。心臓が痛いし胃も痛い。セイナを安心させる嘘を吐く余裕も無くて、オレはただセイナの視界を塞ぐために、抱っこの腕の位置を変える。だって、セイナも怖がってるみたいだから。ヘリオスさんを気にしてるけど、見ないようにしてるから。オレも同じ、動体視力が足りないのもあるけど、そもそも直視出来ていない。
それに対して、ジェイドは尊敬する先生の一挙手一投足も見逃すまいと、戦いを凝視している。オレ達のために解説してくれてるんだけど、その気遣いは今は要らないかな。打撃音だけで十分過ぎるほど恐怖だから。
「あっ、今ヘリオス先生の右肩を狙って拳闘樹の枝が攻撃しました。紙一重で躱して先生の反撃、は効いてないです、あれで? あの一撃でも効かないなんて頑丈過ぎます! ヘリオス先生、がんばっ、あ! あー惜しい! もう1回っ、防ぐの? 6本も腕があるなんて卑怯ですっ、でも対応出来るヘリオス先生は凄いです! 危ないっ! 先生、先生っ! ああぁー肋骨痛そう……」
ジェイド、もう止めてー、オレとセイちゃんの顔色の悪さに気付いてー……。
白熱する戦いを手に汗握って見守るジェイド、両手を祈るような形に組みながら、真っ直ぐにヘリオスさんを見ているアステールさん。周囲も興奮してお祭り騒ぎだ。
だけどオレとセイナはただ怖くて、兄妹2人で固まって、ひたすら早く終わりますようにと願っていた。オレ、やっぱり冒険者には向いていない。スポーツに似た拳闘樹との殴り合いでさえ無理なのだ、命の遣り取りなんて見たら、きっと倒れる。
そうだ、転職しよう。オレは冒険者を引退すると決意した。