冥王様の飼い犬
その夜、オレは久し振りにヒツジさんの居室を訪れていた。寝る前のルーティンにしているステータスチェックで、オレに新しいスキルが生えていたからだ。新スキルは『かくれんぼ』、隠蔽系の能力だと思うけど、詳しい話を聞きたくて。だって、また『ごっこ遊び』の変身スキルみたいな罠スキルだったら、封印しとかなきゃいけないし。
けれど、四畳半の和室にヒツジさんの姿は無かった。お留守かな? ヒツジさんはオレのスキル管理をしてくれてるはずだから、出掛けられると困るんだけど。いや、睡眠中だから留守にしてても平気かな。そういえば、前にオレがここに来た時は、ヒツジさんの業務時間外だって言ってたっけ。
「となると、この謎空間、ヒツジさんの休憩室とかかな。今日はもう家に帰っちゃったか? うーん、如何しよっかな」
取り敢えず少し待ってみようかとコタツに近寄ると、奥側のこたつ布団から、白くてフワフワしたものがはみ出ているのに気付いた。
「……」
これはきっと、頭隠して尻隠さずってやつだよな。そっとこたつ布団を持ち上げてみると、やっぱりヒツジさんが隠れていた。どうもー、お邪魔してますー。
オレがヘラリと笑うと、ヒツジさんがカタカタ震え出す。えっ、怖がらせる意図は無かったんだけど……。
「あの、ヒツジさん。ご迷惑でしょうけど──」
「ええ迷惑ですから今すぐ帰ってください! 嫌がらせにしたって度が過ぎてます、そんな、そんな方を連れて来るなんて!」
「ええっ?」
連れなんて居ないはずだけど、とコタツの中から顔を上げてみれば、いつの間にか、コタツに浸かって寛ぐ男性がいた。どちら様?
「我は冥府の王である」
…………はい? オレ、実はアレを見た時に死んでたのかな?
「生きておるぞ。だが生身で我と対面しては、其方の生命が危ういのでな。其方の夢に場を設けたのだ」
「それは、ご配慮痛み入ります」
「よい。我の犬が世話になっておるしな」
オレの懐から、ピョコンと黒犬が飛び出してワンと鳴く。お前も付いて来てたのか、てか、お前、冥王様の飼い犬なんだな。
「そうだ。我が愛犬の曽孫犬なのだが、我が妻に地上の話を聞いて、興味を持ったようでな。配下の死神が地上に出るのに付いて出てしまったようなのだ」
オレ達パーティが出会ったアレ、本当に死神なんだ……よく全員無事だったな……。
「其方の仲間は皆、まだ寿命が残っておる。死神とて、勝手に生命を刈ることは許しておらぬからな」
でも、アレから漂う霧の冷たさで死にそうだったんですが。
「死神の神気か。ふむ……以前まだ寿命が残っている者の生命を刈った死神が、冤罪だと騒いでおったが。あれは神気に耐えられずに死んだ、いわば事故であったのか? これは調べ直さねばならぬな。其方、感謝するぞ」
「いえ、滅相もございません」
口に出した言葉が震えているのに気付き、ふと思う。あれ? オレ、冥王様と会話してたんじゃなくて、心を読まれてた?
「我のような高位の神となれば、人の心を読むなど造作も無いこと。驚くことはない。それよりも、配下の不始末の詫びと、我が愛犬がこれより世話になる対価として、何か1つ、其方の望みを叶えてやろう。何がよい」
「あの、冥王様はこの仔犬をお迎えに来られたんじゃ」
「そうだが、まだ帰りたくないと言うのでな。もっと其方の菓子を食したいそうだ」
ワンッ!
そうなんだ……また甘味好きが増えるのか……。
オレは、キューンと甘えた声で鳴きながら見上げてくる仔犬の頭を、人差し指で撫でる。このサイズなら、食べる量も微々たるものだろうけど。アステールさんがなんて言うかな。
「其方や仲間にも恩恵があるぞ。我が愛犬は物を隠すのが得意だ」
ワンコが宝物を埋めて隠しておくやつ?
「そう考えてよい。その特性が、既に其方に影響を与えておろう」
「あっ、もしかして『かくれんぼ』って」
冥王様が首肯した。今更だけど、冥王様のお姿、輪郭がぼやけていてはっきりとは見えない。霧がかっているというか。神気とやらのせいだろうか。
「そうだ。そして、我が愛犬も我の眷属であるからして、神気とまではいかぬが霊気を纏っておる。それを利用すれば、姿を隠す程度のことは可能であろう」
「あの、それを使うとこの子に負担が掛かったり、他にデメリットがあったりは」
「無い」
おおーっ、神様のお墨付き、デメリット無し! これ、上手く使えばアステールさんが顔を隠さずお出掛け出来るのでは?
「稀有な力を人の為に使うか。よし、其方に祝福を授けよう。一度だけならば、冥府より地上に戻ることを許す」
「あ、ありがとうございます……」
「うむ。では、我が愛犬を託すにあたり、必要な知識を与える」
そこからオレは、「特殊なワンコをお迎えするための心構え」を延々と聞かされた。冥王様はとても犬好きなようで、途中で何度も愛犬とのほのぼのエピソードが差し挟まれた。舞台が冥界で、登場人物に亡者とか霊魂とか出てきたけど、内容はほぼほのぼのしたエピソードだったはず。深く考えてはいけない。
愛犬との思い出話に紛れた仔犬の生態を拾ってゆくと、冥府の番犬といっても太陽光が苦手だとか闇を好むでもなく、ちょっぴり頑強で魔法特性つきの、可愛い仔犬のようだ。光魔法を受けても平気だし、光属性の食べ物も食べられるのは確認済み。普通の犬には禁忌なチョコレートやレーズン、ネギ類なんかも食べて良し。これがとても有り難い。除去食を考えるのって大変なのだ。
「それで冥王様、この子の名前は?」
「さて。何だったか」
ええぇ、愛犬なのにお名前無いの?
「なにせ数百匹おるのでな。其方に名付けの栄誉を与えよう」
そうですか。じゃあ、ロキ達が北欧神話絡みの名前にしたから、この子も北欧神話から拝借しようかな。北欧神話で犬といえばガルムだけど、この子の可愛らしいイメージに合わない。却下。あとは狼だけどフェンリル、マーナガルム、スコルとハティくらいしか知らないな。ううーん、どれもピンとこない。この子にピッタリの名前、お目々ウルウルさせながら見上げてくる可愛い仔犬の名前……ウルって神様がいたな?
「この子の名前、ウル、でどうでしょうか」
「うむ、良き名である。我が眷属よ、其方はこれよりウルである」
ワンッ!
元気なお返事で、仔犬の名前はウルに決定。オレにウルを預けた冥王様は、ではまた、と軽く挨拶してお帰りになった。また、って何ですか、また来るつもりですか、冥府の王が気軽に現世に来ないで!
そんな悲鳴を心の内に仕舞い込み、オレはそっとこたつ布団を捲る。
「ヒツジさーん、冥王様は帰られましたよー、もう出てきても大丈夫ですよー」
ヒツジさんはコタツの中で白目をむいていた。ちょっ、ヒツジさん生きてる? まだ冥府に行かないで!