石鹸の美白効果
石竜の聖女が帰国してから数日後、王城ではヒルデリッヒ公子についての噂話が、まことしやかに囁かれていた。
「聞いた? あの猫耳の公子様、実は女の子だったって」
「えっ、そうなの? 王妃様に着せ替え人形にされて遊ばれてるだけだと思ってた。なら、公子様じゃなくて公女様?」
「それが違うのよ。あの子、公子様の『影』を勤めていた平民だったらしいわ」
「まあ! それ本当に? なら、医務室で治療していた男性は? 大公様だって話じゃなかった?」
「それも誤解よ。あの子が父様なんて呼ぶから大公様かと思われてただけ。実際は平民の父親の、ただの平民」
「えーっ、何よそれ、高貴なお方だと思って親切にしてたのにー」
「残念だったわね、大公様の後妻を狙ってたんでしょうけど。平民相手に媚び売っても、何も出ないわよ!」
中庭を囲む回廊を、メイドさん達が賑やかに歩き去ってゆく。洗濯かごを脇に抱えているので、たぶん平民の洗濯メイドさんだろう。姦しい一団の声が聞こえなくなったので、オレは薄く開けていた窓をパタンと閉めた。
「上手く噂が回っているようですね」
窓から離れた場所で耳を澄ましていたアステールさんの声は、感心と呆れが半々といったところか。
「ええ、お城の人達、噂が大好きみたいですからね。もう城下町でも似たような噂が流れてるんじゃないですか?」
「でしょうね。ユウ君の思惑通りです」
そうなのだ。『公子と大公が実は平民』って噂、出どころはオレ。オレが王妃様やハルトムート王子にお願いして、噂をばら撒いてもらったのだ。
国王様から大公様とヒルデリッヒ公子の今後の話を聞いた時、思ったんだよね。国王様の計画だと、公子と王子が離れ離れになるなって。
そこでオレは国王様が我が家を去ると、即刻王妃様にチクって、もとい、国王様からこんな話を頂きましたよーと報告した。何も聞いていなかったらしい王妃様は、笑顔で扇子を折っていた。そしてオレに味方して、仲間達の説得に手を貸してくれた。オレ達には絶対に危険が及ばないよう手を尽くすと約束してくださったので、ヘリオスさんとアステールさんも折れてくれたのだ。
そこから王子と公子も交えて、今後如何するかを考えた。オレは無い知恵を必死に絞り、国王様のお願いをきくと同時に、公子が城に残れる策を捻り出した。それがこの、『ヒルデちゃんは実はヒルデリッヒ公子の影武者で、本物の公子は別に居るよ!』作戦だ。どうせ別人として暮らすとしても、ヒルデリッヒ公子を知っている人が見れば、「あの子公子に似てね?」って思われるのだ。だったら、ただ別人ですって言うよりは、「別人だけど影武者やってたから似てるのは当然ですね」って説明したほうが説得力があるかなって。
そして、影武者だったってことにすれば、ヒルデちゃんがうっかりサフィリアでの経験とか知識をポロリしてしまっても、言い訳がたつ。加えて王妃様がその境遇に同情して、ヒルデちゃんを庇護する理由にもなる。ならないか? なるんだよ、お優しい王妃様がゴリ押しすれば。実際王妃様はそう言って、国王様を黙らせたからね。
どうも国王様、王子と公子を物理的に引き離して、婚約の話を無かったことにしたいようなのだ。隣国の公子ならば王子の後ろ盾にもなるからと、以前は婚約話に好意的だったらしいけど。サフィリアの革命が成功と言って良い段階にきたため、サフィリア王家と縁を結ぶ意味は無い、どころか害になる可能性が高いとの判断だ。
だから、大公様と公子を引き取った今も、オレ達が城の中庭で生活していると、国王様が文句をつけに来た。
「何故未だに城に居座っているのだ、身を隠せと言ったであろう」
「いいえ、オレ達がお引き受けしたのは、大公様と公子様を10日間匿うことだけです。居場所についてのご指示は無かったかと」
「ならば今からでも良い、子爵領へと向かうのだ」
「申し訳ありませんが、我々はここから動けません。王妃様から、怪我人をむやみに動かさないよう厳命されまして」
王妃様、国王様が勝手に大公様と公子の処遇を決めたことに、ご立腹だったからねー。ヒルデちゃんは王妃様の庇護下に入ったから、国王様といえど勝手に他所へはやれないのだ。残念だったな! ヒルデちゃんを城から追い出したいけど、王妃様の怒りを買いたくない国王様は、すごすごと帰って行った。
さあ、途中で邪魔が入ったけど、ヒルデリッヒ公子改めヒルデちゃんの様子を見に行こう。と、その前に、国王様が勝手に入って来られないようにしとかなきゃ。
オレは国王様を『関係者』から外して立入禁止にし、甲板のテントの入り口から声を掛けた。
「ヒルデちゃん、入っても大丈夫?」
「はい、どうぞ」
テントの中には簡易ベッドが2つと猫脚のバスタブが新たに設置され、手狭になっている。手前のベッドに横たわっていた大公様が起き上がろうとするので、慌てて止めた。
「あ、どうぞ横になっててください」
申し訳なさそうに眉を下げ、再び横になる大公様の顔が白い。だけどその白さは、血の気が無いというよりも、白磁のような、柔らかく美しい白さだ。オレの石鹸の美白効果である。
「うん、いい感じに白くなってますね。元の肌の色と、かなり変わってます。痛かったり痒かったりは無いですか?」
「ああ。白くなっただけで、不具合は無い」
大公様は右手を顔の上に掲げ、まじまじと見つめた。その手の甲も、乳白色というか、滑らかに白い。
「それにしても不思議だ。わたしは元来色黒なのに、こうも白くなるとは」
「別人になってもらわないといけないので」
オレは、ポケットから小瓶を取り出して、ベッドの横のテーブルに置く。
「これも、その為の薬です。飲むと髪色が変わります。ただ、試作品なので……正直に言って、副作用が無いとは言い切れません。それに、効果がいつまで続くかも、定かではなくて」
「飲もう」
大公様が手を伸ばして小瓶を取ろうとするので、待ったをかける。
「あの! 本当に良いんですね? これを飲んだら、もうサフィリアの大公に戻れませんよ?」
「良いのだ。元々大公の地位にも王族の立場にも、辟易していたのだ。ルディさえ居てくれるなら、それで良い」
「ユウ、ワタシもだ。ワタシも公子としての人生よりも、父様が大切だ。だから、ワタシにも薬をくれ!」
「わかりました」
オレは、もう1つ小瓶を取り出して、小さな手に渡す。父娘は顔を見合わせて、頷きあうと、同時に小瓶の中身をあおった。2人の髪の色が劇的に変わる。
こうしてサフィリアの大公と公子は居なくなり、代わりに平民の父娘が誕生したのだった。




