書物の聖女【栞視点】
花布栞は幼い頃から夢見がちな子どもだった。幼稚園の時の将来の夢はお姫様。今でもお姫様願望は健在で、「いつか王子様が」を夢見ている。そんな栞であるから、異世界に召喚されるなんてイベントが起きると当然、自分が主人公だと確信した。3人のうちの誰かが聖女だと言うのなら、それは自分に違いないと。
しかし、召喚元である国の王子に命じられ、栞が自信満々で「ステータスオープン」と唱えたところ、職業欄にあったのは「図書委員」だった。は? 確かに自分は中学校で図書委員をしてるけど、ここは聖女となっているべきじゃないの?
混乱する栞の前で、リクルートスーツの女が問われるままに、「石竜の聖女」だと答えた。なにそれ。あたしが主人公なのに勝手に聖女名乗ってんじゃないわよ。身勝手な言い分だが、栞は本気で自分のポジションを奪われたと憤慨した。しかし口には出さなかった。
栞は口下手で、思っている事が半分も言えない性分だった。それでも見た目の可愛らしさから周囲が気に掛け、世話を焼いてきたために、栞にとっては周りの人間が栞の気持ちを察して栞のために動くのが、当然だとの認識になっていた。
栞が一方的に石竜の聖女を敵認定していると、次に問われた店員の女が「慈愛の聖女」だと申告した。こいつも敵。だけど同時に栞は、あれ? と思った。聖女って1人じゃないの? 複数人いるパターン? だったら3人とも聖女でも良いはずだ。鑑定されてる訳でもない自己申告だし。
瞬時にそう結論づけた栞は、シレッと「図書の聖女」だと嘘をついた。昔「図書館の聖女」が居たから紛らわしいと、「書物の聖女」と呼び名を変えられた時はイラッとしたけれど、でもまあ、あたしは優しい聖女様だし? 呼び名くらいで目くじら立てないから、しっかりお世話しなさいよねと栞は傲慢にも思っていた。
召喚されてきた当初は、ほぼ栞が望んだ通りの待遇が受けられた。ちやほやされ、王子が頻繁にやって来てはドレスだ宝石だと貢いでくる。城の図書室も好きに使って良いと言うし、小煩い母親も引き離された。なにこれ天国。
しかし、次第に雲行きが怪しくなってきた。王子が「慈愛の聖女」を選んだのだ。なんて見る目が無い、どうせ女は賢くないほうが良いとか、そんな理由で決めたんでしょ! 見てなさい、今にザマァしてやるんだから! 栞はザマァ系の物語も大好きだったので、密かにそう決意した。
しかし、栞の能力は、あまり使い勝手が良くなかった。本に触れてさえいれば、魔導書にあった魔法のほとんどが使えたが、威力はショボい。それでも栞は魔法を手当り次第に試してみた。
その結果、栞がこれは使えそうだと判断したのは、「書名がわかっている本の位置を探る魔法」と「特定の本に文章を表示する魔法」だった。どちらも図書館の聖女が、本の返却督促のために編み出した魔法なのだが、栞はこの2つの魔法を通信機代わりに使おうと考えた。それに加えて「壁耳壁目」という、耳目の印を通して情報収集する魔法を使えば、情報戦で無双出来るはず。あたしって頭良い!
こうして栞は、城内から城下町、国内外へと範囲を広げながら、本を通じて盗み聞き、盗み見てと情報収集に勤しんだ。親子ほども年の離れた南の辺境伯との縁談が持ち込まれてからは、断る口実を探すため、南方を重点的に探っていた。その最中、佐藤ユウリを見つけたのは偶然だった。
一緒に召喚されてたのは気付いてたけど、まだ生きてたんだ。しかも羽振りが良さそう。コイツ、使えるんじゃない?
寄生先を見つけた栞は、城から逃げることにした。王子となら結婚してあげても良いけど、おじさん辺境伯との結婚は断固拒否。だけどお城での生活も捨て切れなくて、踏ん切りがつかなかったのだ。だがお人好しな佐藤ユウリなら、泣きつけば家とか当面の生活費とかを用立ててくれそうだと、栞はほくそ笑んだ。よし、何としてもコンタクトを取らなきゃ。
幸い妹らしき幼女が抱えていた絵本については、直ぐに調べがついた。書名がわかればこっちのもの。栞は絵本の位置情報を特定し、何度も通信を試みた。やっと繋がったと思ったら、何故かお願いを拒否されそうになり、栞は仕方なく、情報の有効活用に踏み切った。
それから10日あまり。月末最終日、約束の期限ギリギリになって、やっと佐藤ユウリは連絡を寄越した。転移魔法陣だけでなく、引越し先も、仕事も、全ての準備が完了しているというので、栞は喜んで転移した。
新生活は、栞が想像していた以上に快適だった。家事は使用人が全てやってくれるし、家の設備も日本で住んでいた家と変わらない。この家の持ち主は佐藤ユウリらしいが、栞が支払うのは家賃代わりの魔力のみ。その魔力を使って、家の魔道具を動かしているのだそうだ。
仕事も原稿を書き写すだけなので、とても楽である。異世界転移特典の自動翻訳能力があるので、書いた本人にしか読めないような悪筆も、栞には問題なく読めるのだ。ただ、今やっている仕事は急ぎらしく、起きている時間をほぼ仕事に当てているため、せっかく図書室があるのに活用出来ていない。空いていた書架に、城から持って来た本たちを並べただけになっているのが、栞の唯一の不満だった。
そんな新生活が始まって、4日目。
栞は朝から体がだるかった。1階に降りるのも億劫だったので、ベルを鳴らし、自室に朝食を運んでもらう。ベッドに寝転んだままの栞がトーストを食べていると、佐藤ユウリが部屋を訪ねてきた。女子の部屋に入るのを躊躇っているのか、戸口から声を掛けてくる。
「栞ちゃん、具合悪い?」
「あ、いえ、ちょっとダルいだけで」
「そっか。ここの暮らしはどう?」
「快適過ぎて、もうこの家から出たくないです」
ピカッ!
佐藤ユウリが手を当てていた壁が光ったのを、栞は見逃さなかった。
「ユウ先輩、今の光は何ですか」
「……ごめんね、栞ちゃん。栞ちゃんはもう、この家から出られない」
「そうですか」
栞は冷静だった。佐藤ユウリが魔法で何をしようが、魔法効果を打ち消す魔法を使えば良いだけだからだ。
栞は枕元に手を伸ばし、そこにあった本を手にし、呪文を唱えた。
何も起こらなかった。
「え、何で?」
栞は聖女ではないが、召喚されて来た者が魔法を使うと光るのは知っていた。現に先程佐藤ユウリが何かした時も光ったし、栞自身が魔法を使った時も、いつも光っていた。それなのに、何度呪文を唱えても光らない。呪文を変えても光らない。つまり、魔法が発動していない。
「ど、どうして!?」