あの子と我が娘
家業の杵柄。
オトギノユウエンに身内が巻き込まれたかも知れないと
裏の顔を持つ顔見知りのバイヤーに調べて貰ったことがある。
『瑠奈ちゃんの頼みなら、断れねえよ』
捜索人は
咥えタバコをふかしながら情報捜索をしている。
揺らぎ、優雅に踊る煙を見詰めながら、瑠奈は目を伏せた。
灰皿には、幾つもの吸い殻が積みがっていた。
任侠映画に出てきてもおかしくない容貌。
今まで疎むばかりで家業とその人間には興味はなかったが
不意に目の前にいる人物は
父親が気に入ったひとりで情報入手と
それらを錯綜させるには持って来いの人間だったと思い出す。
____自身もどうかしている。
『でも徳憲さんの事は嫌いだったろう?』
『………それはそれです。もし関係者が巻き込まれていたら
母と姉は………分かるでしょう?』
『まあな』
手に入れた事件のリスト。
来場者リストだけ見れば誰が誰か分からないが
女の子が「カホ」「サホ」と呼んでいた事を覚えていた。
探偵事務所に頼らなくても
その筋に精通している人物は新島財閥には数人いる。
画像の解析、同じ人物といるだれか、と決まった際に
手許にいる娘は、『橋本菜帆 4歳』と判明した。
橋本菜帆の家族構成は、両親と妹2人がいる。
あの日は
家族旅行で訪れていて
被害者名簿には家族5人分の名前があり
混乱の最中にあった事件の余波で混乱した影響のせいなのだろう。
___彼女の扱いも死亡となっていた。
両親も妹2人も同様の項目で、
天涯孤独の身となってしまったという事だろう。
橋本家にはまだ大勢の親族がいるようだが、
何故か、捜索願等も提出されておらず、不思議だった。
ただ、少女を連れて生活をする。
けれど現実に生きていく上での証明は切っても切り離せない。
だが幸いだったのだろうか、それとも
その時の為に“あの存在”はあったのか。
あれは、瑠奈が15歳の時だ。
高校生になって間もない夜。
『_____ずっと私を、裏切っていたのね』
父親に愛人がいる知った母親は、
錯乱と狂乱に、心身を狂わせ自殺未遂騒動を起こした。
現実を知らぬ受け止められぬ姉は、
マリオネットの主である母親がいないと何も出来ず
両手に顔を覆ってわんわん泣いてばかりだった。
新島家の地獄絵図。
そんな2人を見て心に浮かぶのは嫌悪感だった。
瑠奈だけが冷静に物事を見ていた。
父親の気質としては、
まあ、そうだろう。愛人の一人や二人いてもおかしくない。
寧ろ、今まで明らかにならなかったのが
不思議なくらいだった。
半ば呆れていた。
母親と姉が荒れ狂う中で瑠奈だけは冷静だった為に
父親からは異質に見られ使用人には
『新島姉妹の肝が据わってる方の娘』と言われる始末。
そもそも愛人の存在が判明したのは、
ある日突然、普段と変わらず帰宅した
父親の腕に幼女が抱えられていたからである。
突然、
愛人がいて、愛人との間に娘がいると言われれば
誰だって混乱するだろう。けれど“この家は尋常ではない”。
1歳半の女の子。
つぶらな眸で大人達を見ている、
その娘は、姉と自身の、腹違いの妹だった。
父親が愛人を抱えていたのは知っていたが
子供がいたという現実に新島財閥関係者は
慟哭し、倒れたい思いだっただろう。
狂乱した母親は、
その娘をこの家に置くなら自分自身を捨てるも同然だと
また自らを選ばせようとし、
姉は突き付けられた現実を受け入れられず
女々しく泣き崩れていた。
が。
異母妹を連れてきた理由に、
瑠奈は同情的になったのかも知れない。
離婚の影を餌に、
繋ぎ止めていた愛人は
娘を証拠として繋ぎ止めながら素直に従い待っていた。
けれど、父親は釣った魚に餌はやらない。
離婚はしない、自身とは結婚しないという宣告を
突き付けられた時、彼女はトラックを前に身を投げた。
新島財閥の娘である事は代わりないから
異母妹を引き取り連れて帰ったのだ。
その娘の名前は琴音。
父親の絶対的な命令とともに、その娘は
新島家に迎えられたが、責任からの引き取った後は
誰も知らないふりを突き通していたのは理由がある。
母親の澄子が
一度狂乱の沙汰になってしまったら誰も止められない。
また騒動を起こして面倒な事になったら困るから、そして
『あの娘には構まないで、構うなら私を侮辱するも同然よ』
夫人の絶対王政に、誰もひれ伏すしかない。
異母妹を食い千切らんばかりに憎悪を募らせていたし
操り人形である姉が母親から愛憎を植え付けられたので
彼女も同様。
母親は父親を裏切り者と罵り、傍を離れると狂乱する。
母親の傍にいて仕事すら手に付けられなくなった。
父親は、
物心がまだ付いていないからという理由だけで、
養女に出そうとした。
『お父様、この娘の情報を教えて下さい』
同情的になった訳でもない。
ただ大人の都合で振り回されている妹を見ていられなかった。
それに思春期という多感な時期故に
理性を持たぬ母と姉を、無責任に行動をする父親を
心から軽蔑していた。
(私もあの人たちと同じだ、同じように見られるのだ)
ちょうどいい世話役が見つかったとでも
合理的で論理的な父親は思ったのだろう。
瑠奈が妹の世話役を買って出る事は素直に認めてくれた。
だが。
『瑠奈、ママを裏切るの!?
どうして裏切り者なんかに構うの!!』
『ママを侮辱する気!!』
母親に泣かれ、姉に食ってかかられた時
もう同類がお互いにいるのだからいいだろう。
なのに、まだ仲間を増やしたがるのが理解しがたいと首を捻った。
戸籍等や保険証、
そして伴う生活費を貰えればいい。
後は裏切り者だの、何でも好き勝手言ってくれればいい。
瑠奈は相手にしないのだから。
後で知った事だが
父親は妻と長女とは、違う存在として
自分自身を跡継ぎにと計画していたらしい。
本当は軽蔑していつも呆れ果てていたのに
それを父親は瑠奈は、
いつでも冷静沈着で腹が据わっているからという理由だった。
父親は、本家の離れを造った。
『お母様とお姉様のためにも、離れて暮らしたいの。
今は頭を冷やす時期だと思います』
瑠奈と琴音が暮らす為に。
瑠奈が母親を労る台詞を唱えばそれを真に受けて
事はスムーズに進んだ。
学業を終えて、離れに帰る。
帰れば妹の世話を色々と成さなければならないが
母親と姉、新島家の雑音を耳にしないだけで気が楽だ。
今思えば、あの頃が
人生で初めて平穏という言葉を身を持って知った。
琴音は穏やかで、本を読んでとよくせがむ女の子だった。
寝食を共にし、
新島家の喧騒からは離れていた頃、笑えるようになった頃。
瑠奈はいよいよ腹を括った。
高校を卒業したら、
異母妹を連れて新島家から出よう。2人で暮らそう。
あと2年の辛抱だと思っていた。
けれど、今になってその判断は間違いだった。
3ヶ月が過ぎた夏。
終業式から帰ってきた午前中のこと。
琴音は還らぬ人になっていた。
学業が優先故に、
瑠奈が帰るまで使用人が面倒を見ている約束だった。
けれど。
母の憎悪が、
まさか形となり現実になるものとは思っていなかった。
誰も通さないようにしたが、
使用人は妻の願いだから、と断れず部屋に入れたらしい。
母は言った、そろそろ受け入れたいと。
受け入れたい、その言葉はどのベクトルに向かったのか。
琴音は、夫人によって生涯を閉ざされた。
妻が犯した過ちに、父親は真っ先に世間体を気にした。
当主の妻がというのは世間体に、新島家が没落するに
違いないと、事故だと隠蔽したのだ。
最初で最期だった。
瑠奈が暴れ狂い、妹の事を悲しみ、
そして現実に目を向けない家族へこう言った。
_____「操り人形」と。
自身が死亡を認めなかった事と
死亡届を出してしまえば、怪しまれるからという
父親の策略で琴音は死亡していない。
守れなかった負い目から、
瑠奈は新島家から離れるようになった。
異母妹の事を忘れられないまま、オトギノユウエンにいた。
そして、あの日。
菜帆を見た時に、その存在が妹と重なったのだ。
妹が生き返ってきたような錯覚に陥った時、声が聞こえた。
____ただいま、お姉ちゃん。
琴音ではないと分かっている。あの子は。
けれど今度は力のない新島瑠奈ではなく、
岡野芹香として、その存在を見守らせてくれないか。
異母妹の戸籍を、そのまま少女にあてた。
不思議と生年月日は数字違いで、問題はなかった。
20になり、新島家の娘という、
疎ましく思って権力に物を言わせた。
新島家から自身は分籍した上で、
岡野琴音、異母妹を己の養女とした形に作った。
戸籍があれば問題はない。
自身に力さえあれば生きていけるだろう。
(____あの日、この娘の母親になると決めた)
己と母親としたのは、
あの子の姉でいたかったからか?
菜帆の手を、腹を据えて取った。
例え、それが間違いだと非難を浴びたとしても構わない。
この娘の為に生きよう、と心に決めたのは1ミリの後悔はない。
たとえ、誘拐犯と謳われてもいい。
手を取った以上、私には責任がある。
そして
(私が居なくなってしまえば、この娘は路頭に迷う)
現実は残酷に出来ているのだから、
いつかこの罪は明らかになる時もあるだろう。
琴音が自ら知りたいと口にした時
彼女が虚無感に襲われないよう家族も調べ上げた。
芹香の覚悟は据わっている。
自身が誘拐犯だと明らかになろうとも、
琴音が全てを知って感情で問い詰められようと構わない。
贖罪は、
罪は、この身に受けて、十字架を背負う。
『偽りには軸や芯はないものだ。
作り上げた砂の虚像は、いつか脆く崩落するだろう。
その時の心構えは出来ているのか』
幼い頃から傍にあったのは、
ドキュメンタリーと小説。
幼い頃の眠る前の母の読み聞かせは
絵本ではなく、自叙伝等のエッセイ。
驚かれてしまうが、
漫画や幼児アニメとは無縁に生きてきた。
ドキュメンタリー番組や、
ニュース内のドキュメンタリー特集しか見たことがない。
自身が物心が付いて、小学生になった頃から慈善活動や、
小児病棟で闘病する子供たちのボランティア団体に所属し
コツコツと地道に貯めた
お小遣いを持ってチャリティーイベントにも参加するのは
当たり前の事だった。
テレビで観るドキュメンタリーよりも、
エッセイで語られる人の半生よりも、それらを
現実を置き換えると何よりも現実的だ。
平穏無事が全てではない。
紛争や闘病によって、或いは心に秘めたものを言えずに
抱えている人はたくさんいるものだ。
『自身だけ、と自分勝手に生きていたら駄目よ』
それが母の口癖だった。
琴音は身近にあるものに疑問は抱かなかった。
世間ではわざと取り上げられない事を疎ましく思うくらい。
そして、なにより
活動でいきいきと活動に、微笑む母親が好きだった。
完全犯罪は成立しない。
あの娘は、被害者家族のひとりで、遺族だ。
そして人知れず加害者遺族の一人である自身の元にいる。
自らが選んだ選択を後悔していなくとも、
心の片隅で、彼女にはいつも引け目を感じている。
義兄があの惨劇を起こさなければ。
自身が連れ去りをしなければ。
岡野琴音ではなく、橋本菜帆として生きていた。
思ってしまっては終わりがなく、芹香は布団を頭から被った。
どうしても真夜中、寝静まった時に考えてしまう。
(あの娘が成長して、全てを悟った時、どう思うのだろう)
加害者家族の身内の、
ひとりの女が、母親と偽って育ててきた事を。
あの時、
自身は、罪人に、誘拐されたのだと。
お久しぶりです。
現在、この小説は
改稿及び、再構成の最中におります。
そして突然、追加エピソードを投稿し
混乱を招く形となり、申し訳ない気持ちで
いっぱいです。
これからは
瑠奈のもうひとつの過去と
妹の琴音という存在、菜帆が、
これからの物語のどの部分の要となるのかは、
まだ作者にも分かりません。
そして、わがままながら
再構成に至った結果、今までの投稿文の
エピソードは削除とさせて頂きます。
混乱を招く形となり
この場をお借りしてお詫び申し上げます。