有象無象からの一歩
聖王国が誇る王都の大聖堂には隠し部屋がある。
表立っては存在を明かせない、教会に所属する罪人を閉じ込めておくための秘められた牢獄。
それが大聖堂の隠し部屋。
その隠し部屋には現在一人の罪人が罪を償うために閉じ込められている。
本日のお世話係である私は、淑女の仮面を一瞬忘れてあまりの癇癪に顔を歪めてしまう。
「私はヒロインなのよ!」
また始まった、と思った。
今日の癇癪は少ない時間で済めばいいと思う。
男爵家の令嬢サーシャ様は、3年前に聖王国第一王子であるハリソン王子や宰相の嫡男、騎士団長の嫡男、聖王国で最も古く王の信頼も篤い公爵家の養子でありハリソン王子の婚約者であるアズリア様の義弟達をを筆頭に学園の男性陣から寵愛を受け、貴族の令息令嬢が集まる学園内で醜聞を広め、ハリソン王子達の卒業パーティーにてアズリア様を罪とも呼べぬ幼稚な戯れのような所業にて断罪した。
まあ、その児戯すら冤罪だと言うのだから笑いすら出ない。
サーシャ様に侍っていた男性の方々は、廃嫡やご実家で鍛え直しという名の軟禁、市井に落とされた者もいると聞く。
だが、ここで訂正しなくてはいけないことは、ハリソン王子は決してサーシャ様を愛してはいなかったことでしょう。
ハリソン王子はアズリア様を愛していた。
ただ思春期の拗らせに加え長年連れ添っていたアズリア様との関係や能力差などに悩み、数々の女性との浮き名を流していた居た現実から逃れていた。
他の方々は違ったが、ハリソン王子にとってサーシャ様はアズリア様への当て付けのような存在の一人でした。
私はそんなどうしようもないハリソン王子を愛しています。
ハリソン王子はサーシャ様が学園に編入する前から数々の浮き名を流しアズリア様を悲しませていました。
私はそのアズリア様の気を引きたくてハリソン王子がちょっかいを出していた令嬢のうちの一人でした。
ハリソン王子が遊んでいた令嬢は私の他に六人。
婚約者であられるアズリア様を入れたら七人。
一週間回ってしまう、揶揄されて日替わり令嬢と嗤われていた……それが私、トルテ伯爵家のリズ。
しかし、サーシャ様が現れてからはお声が掛かることはなくなってしまった。
王子が真に愛するのはアズリア様と分かりながらはしたなくも縋り、日替わりすらあぶれ、聖女サーシャ様との醜聞に心を痛め、お父様にお願いしてこの想いが無くなるまでの約束で聖王国が信仰する神にお仕えするとを決め学園を卒業後しばらく修道院に入ることにしました。
ただ、同じ修道院にサーシャ様が入れられるとは夢にも思わなかったですわ。
どうやら数多の令息を惑わし、王命の婚約に異議を申し立てたことが国王に反逆の意ありと思われ、アズリア様への数々の冤罪を罪に問われ、異性のいない修道院に入れられたとのことです。
まあ、そうなるでしょうね。
聖女サーシャ様は言う。
「私はヒロインで、選ばれた存在で、みんなに愛されるの」
歌うように告げる言葉は、いつだって真実であり滑稽だった。
サーシャ様は確かに聖女というこの国にとってなくてはならない存在であったし、ハリソン王子を含めて高位貴族子息に愛され、サーシャ様に群がり愛されようとしていた。
しかし、ならば何故彼女は罰せられるのでしょう。
選ばれた存在で、皆さんに愛される。
ただそれだけであればまだマシでしたでしょうか。
サーシャ様の中の『みんな』に埋没されているハリソン王子を想う。
「私はハリソン王子を愛しています」
食事を差し入れる小さな扉からはサーシャ様には聞こえない距離と声音で断言する。
日替わり令嬢からあぶれても、私を愛してくださらないのは分かっていても、サーシャ様共々アズリア様に憐れまれ民や陛下からの信頼が損なわれても、私はハリソン王子をまだ愛している。
愛しているからつらいのです。
ハリソン王子がサーシャ様や他の女性を特別扱いするのも、ハリソン王子のことを支えもせず一歩下がって観察するかのような目で見ていたアズリア様も、ハリソン王子の日替わり令嬢ですらなくなったことも。
なにもかもが嫌だった。
だから神に縋ってこの胸の内の醜さを懺悔した。
でも、やはりそれも無理なようですわ。
司祭様からそろそろ実家へ戻ってはどうかと聞かれる。
元より程々で戻るつもりですがまだ足りない。
「私は、サーシャ様の行く末を見届けるまではこのお役目を辞するわけにはいきません」
いつもの返答に司祭様はは眉を下げる。
多分、サーシャ様は毒杯を賜る。
彼女は前世の知識とやらでこの国の内情を知り過ぎている。
知られたくないことまで知る彼女に、聖女という存在と秤にかけての結果でしょう。
私は、自称ヒロインであるサーシャ様もサーシャ様が仰る悪役令嬢アズリア様も裏では何かしていると薄々勘付いていて、何も出来なかった。しなかった。
ハリソン王子からの関心がこれ以上離れたらと怖じ気付いて、結局はハリソン王子の転落を止められなかった。
ハリソン王子が廃嫡され、市井に下れば私にも手が届くかもしれない。
日替わりからあぶれることなく、私だけのハリソン王子になるかもしれないと思ってしまった。
私は、止められたかもしれない愛する人の不幸を自分の欲望のために見て見ぬふりをしてしまった。
「ですので、これは私への罰であり、罪滅ぼしと考えております」
司祭様は、小さく首を振ると「あなたの先道に幸あらんことを」と祝福してくださった。
こんな私に祝福なんていらないですのに。
それに、私の幸せは私自身で手に入れますわ。
ハリソン王子の失墜はハリソン王子自身の責だろうが、サーシャ様やアズリア様も原因に絡んでいるのは間違いない。
そしてなにより、私が仕組んだ。
「………」
サーシャ様もアズリア様も、私がハリソン王子に執心している令嬢達の一人だったことすら気付いていないかもしれない。
サーシャ様曰く、ハリソン王子の浮名の相手はモブという有象無象であるという。
いえ、サーシャ様は気付いてないとは思う言動でした。
なにせ自分は愛されるために在ると思い込んでいる。彼女にとって他の者こそ有象無象なのでしょう。
ハリソン王子に市井で流行ってる物語という風にパーティーでの婚約破棄計画を話したのも、ハリソン王子の寵愛をサーシャ様に受けるようにして敵意を一心に受けてもらうようにしたのも、アズリア様にハリソン王子達の断罪劇を奏上したのもすべては私が手の届かないハリソン王子を落として手の内に入れるため。
すべてに裏切られて失意のハリソン王子が廃嫡され市井に落とされたものも知ってはおります。
今なら私が手が届くかもしれないハリソン様。
司祭様には殊勝なことを申し上げましたが、もうじき修道院から出る手筈になっております。
あなたが自棄になっていることは家からつけさせていただいた者の報告で存じ上げております。
そんなあなたを愛せば今度こそ私だけのハリソン様になるでしょう。
縋って真実の愛の言葉をお与えくださることでしょう。
祈りにも似た感情を神に懺悔と共に神に捧げる。
それまで待っていてくださいね、ハリソン様。
お読みくださりありがとうございます。
書けたら各視点も書きたいですが、現状これで一度完結とさせていただきます。