所詮彼女は小悪党
ケリー・フォックスは豪奢な金髪に透き通る様な青い瞳を持つ、絶世の美女、の、少し下くらいの美しい妙齢の女性であり、そして根っからの悪党である。
わりとよくある、ろくでもない幼少期を過ごし、気が付けば盗賊一味の引き込み役として働かされていた。とはいっても、たかが地方の小さな都市を根城にしていた小物であり、これまた気付けば憲兵隊の手によって頭は捕まり、他の仲間は一目散に逃げ出すという呆気ない幕切れ。なんとなく、ゆるく盗みの手口だけを学んでしまったケリーは、行く当てもなくしばらく放浪を続け、最終的に王都へとやってきた。
せっかく身に着けた知識と技術、このまま腐らせるには惜しい。そう考えてしばらく様子を伺っていれば、絶好のタイミングでメイドの求人が出された。宝石やドレスを扱う老舗のエバンス商会。これほどの良物件はまずないだろう。引き込み役として色々と叩き込まれたおかげでメイドとして働くだけの技量はある。ケリーはその求人に飛び付き、そして見事合格を果たした。
これでしばらく真面目に働いて、家人の信頼を得た辺りで屋敷にある金目の物をごっそり貰ってさよならだ。エバンス商会ならばどれ程の財を蓄えているか考えるだけでわくわくする。
そう勢い込んでいたケリーであるが、現実はそう甘くは無かった。
財は文句なしにある。当主であるスミス・エバンスは病気により田舎にて療養中で、王都にいるのは一人娘のクレア・エバンスのみ。真っ直ぐに伸びた黒髪こそ美しいけれど、顔も性格も凡庸な娘であり、ケリーにとってはいいカモでしかない。しばらくどころか、さっさと貰える物だけ貰って姿を消そう。初めて会った瞬間にケリーはそんな計画を立てていた。
ところが、このクレアがとんだくせ者だったのだ。
行動がどんくさいだけでも気の短いケリーにとっては苛立ちを堪えるのに必死であったというのに、とにもかくにも頭が悪い。いや、厳密に言えば頭が悪い、というわけではない。世間知らずな所はあるけれど、教えればすぐに理解は示すしそこから自力で考えを進める知恵はある。
そう、馬鹿ではない。馬鹿ではないのだが――
「こ、の、おばか!!」
今日も今日とてケリーの叫びが屋敷に木霊する。ひゃ、と小さく肩を竦めるのは彼女の主人であるクレアだ。とてもじゃないが主人に対する態度ではない。しかしこう叫ばずにはいられいない現状であるからして仕方がない。
「あんた本当にいいかげんにしなさいよ! この雨のなかどこほっつき歩いてるのかと思ってたのに、なによそれ! なんてもの拾ってきてんの!」
「だってですねケリーさん」
「だってじゃない! 今すぐ元いた場所に置いてきなさい!!」
「ひどい! いくら小雨だからって、ずっと外にいたんですよ! そんなことしたら風邪引いちゃうじゃないですか」
「風邪くらいでどうにかなるタマじゃないわよ!」
「でも」
「でもじゃなーい!!」
「わたしちゃんとお世話しますから!」
ブハ、と堪えきれない笑いがクレアの背後から起きる。くっそこいつ、とまるで親の仇でも見るかのようにケリーは鋭い視線を向けた。そこにいるのは犬、でもなければ猫でもなく、誰がどう見たって間違えようがないほどに立派な成人男性がクックと肩を揺らして立っている。
そう、このクレアお嬢様ときたら、よりにもよって成人した男を拾ってきてしまったのだ。
ありえない、とケリーは何度目になるか分からない呟きを漏らす。本当にありえない。一体どこの世界に雨に濡れたまま立ち尽くしている男を拾ってくる年若い娘がいるというのか。 ああいたわいた、アタシの目の前のこの馬鹿娘がいたわぁ、とケリーはこれまた何度目かの目眩に襲われる。
これである、クレアが馬鹿でないけれど、馬鹿だと断じたくなるのはこのあまりにも突拍子もない思考回路と無駄に突き抜けた行動力のせいだ。
犬猫鳥を筆頭に、迷っていた子供を連れ帰り老人を連れ帰りいずこからか逃げて来た子供連れの母親を連れ帰り、最終的には男を連れて帰ってきた。
これがまだ街にいる普通の男だとか、少しばかりガラが悪い男であればケリーも対処のしようはある。特にガラの悪い相手ならば得意中の得意だ。
しかし今回の相手はそうではない。いまだに名乗らず、素性も知れない男ではあるけれど、その一見優男風でありながら常に他者を射貫く様な視線を向け、こちらの内情を見透かすかの様な素振り――パッと脳裏に浮かんだ人物と、ひどく似ているのだこの男は。
「いやあ申し訳ない、俺としてもさすがにまずいだろうと何回か断りはしたんだが」
そちらのお嬢さんが、と男は今も愉快そうに笑みを浮かべる。無造作に伸びた前髪は鬱陶しいことこの上ないが、それでも彼の容姿が優れているのが伝わってくる。身なりさえ整えれば、きっと間違いなく相当な美形っぷりを見せつけてくるだろう。
「風呂を借りた上に、新品の服までもらってしまっては何か礼の一つでもしないとかな?」
「お礼なんて気にしなくて大丈夫ですよ!」
「今すぐここからさっさと迅速に出て行くのが一番の礼になるわ」
「ケリーさん!」
だよなあ、と当の本人は笑っているのに対し、クレアは盛大に頬を膨らませてケリーに詰め寄る。
「それ以上顔膨らませると爆発するわよ」
「しません! それよりこの人はわたしの恩人なんですから、そんなに失礼なことばかり言わないでください!」
「なによ恩人って……アンタさてはまた道に迷ったわね!?」
クレアの反撃は秒も保たない。あっと言う間にケリーにバレてしまい、またしても肩を竦めてしまう。
「……道に迷ってた時にこの人に会って、それで、家まで案内してもら」
「ったわけねはいはい分かったわかりました……ってこのおばかーッ!!」
クレアどころか屋敷全体が震えるのではないか、という程のケリーの怒号が響き渡る。
「道に迷うにしたって限度ってもんがあるのよ! なんでアンタよりにもよって」
「刑務所の横の並木道で迷ってたんだろうなあ」
はは、と暢気な笑い声を上げる男が憎たらしいが、今はそれより目の前で小さくなっている小娘を叱る方がケリーにとっては重要だ。
「ただでさえアンタってばぼんやりしてていつ誘拐されたとしてもおかしくないっていうのに!」
「そこまで子どもじゃありません……」
「その辺にいる子どもの方がまだしっかりしてるわ!!」
「だよなー、あの辺り子どもだってロクに近付かないってのに」
「そうよ! そんな所にアンタって子はー!! もー!! 無事だったからよかったものの!」
「痛いいたいイタイですケリーさん頭グリグリするのやめてください!」
「しっかりお仕置きされときなお嬢さん。あのままうろついてたらヘンなのにとっ捕まって売り飛ばされてたかもしれないんだ」
「……いくらになるんでしょうかね?」
「アンタなんかよくて銅貨一枚、じゃなきゃ売れ残りに決まってるでしょ! 誰が買うのよこんなポンコツ娘!」
「ひどい!」
「なに!? 買われたいの!?」
「ケリーさんなら」
「お断りよ!」
ひあ、と異音が漏れる。ケリーとクレアのあまりにも低次元の会話に男の腹筋が崩壊したらしい。長身を折り曲げて小刻みに身体を揺らしている。
くっそ本当に腹が立つわねこの男! と、ついにケリーの忍耐も限界を向かえた。最後の情けで素性は隠したまま叩き出してやろうと思っていたけれど、当事者でありながら他人事の素振りにそんな【同族のよしみ】は吹き飛んだ。
「アンタね、この男が一体どういうヤツなのか分かってんの?」
え? とクレアが不思議そうに首を傾げるのを見、この子も一応毎日新聞は読んでいるはずなのにとケリーは溜め息をつく。まあ、読んでいたとしても、まさか大々的に新聞に載る様な人物と出くわすとは思っていないのだろう。
「アラン・ノートン、って言えば分かるわよね? ここ最近ずっと新聞の話題だったんだから」
アラン・ノートン――悪徳貴族を数百人規模で騙し上げ、金品どころか領地まで奪い没落させた稀代の詐欺師――
その詐欺師が、長年の刑期を終え出所するというのがここ最近の王都での話題だった。そしてその出所日がおそらく今日、と各新聞社は予測を立て、彼が服役していた刑務所を張っていたはず、なのだが。
「それを見事にすり抜けたのは流石ってとこかしらね? どうせまたそのよく回る口先で看守を誑かして裏口からでも出たんでしょうよ」
ケリーはアラン・ノートンの顔は知らない。新聞社もいくらなんでも顔までは載せていないのだから、事件に深く関わった者でなければ分からないのも当然だ。
なので物的証拠は何一つ無い。が、状況とケリーの勘がどうしたって告げてくるのだ、この男がそうなのだと。
そんなケリーの推測でしか無い発言に、男はシラを切ることもせず軽く肯定する。
「ご名答。おたくも流石だな、同業者だけのことはある」
「はあ? 失礼なこと言わないでくれる? こちとらエバンス商会の立派なメイドなんだけど?」
「アルウェッグ?」
グン、と周囲の空気が一気に冷える。男の口にした言葉はかつてケリーが加わっていた盗賊一味の通り名だ。こいつどうしてそれを、とケリーは表情こそ崩さないが、苛烈なまでの視線を向ける。
バチバチと火花さえ散りそうな一触即発の空気の中、「あ!」と何事か閃いたらしいクレアの声が響く。
「ええと、アランさん!」
クルリと振り返り男――アランに正面から向き合えば、虚を突かれたのかアランは思わず「はい」と答える。そこにさらに続くクレアの言葉。
「おつとめ、お疲れ様でした!!」
今度こそ堪えきれなかったのだろう、アランは盛大に吹き出した。ゲッハガッハと咳き込みまでするのだから余程の事だ。笑いすぎるのと咳のしすぎで呼吸もままならず、苦しそうに顔を歪めてはいるがそれでもどこか楽しそうにしている。そんな彼の様子をキョトンとした顔でクレアは見つめる、が、その後頭部にケリーの容赦など微塵もない平手が飛んだ。
「おばかーっっっっ!!」
「いっ、……たい! やめてください! 馬鹿になったらどうするんですか!」
「これ以上ならないわよ! むしろ衝撃で頭の回路がちょっとはマシに動くかもしれないでしょ!」
「人を機械みたいに!」
「迷子にならないしへんなの拾ってこないしで機械の方がアンタより数十倍優れてるわ!」
「ひどい!!」
「……ちょ、待って……しぬ……俺の腹筋がしぬ……」
ケリーとしてはいっそトドメを刺したい勢いだ。ヤるなら今か、と口を開くがそれより先に残念ながらアランが動く。
「っ……ああ、ありがとうお嬢さん。あんたみたいな普通の娘さんにそう言ってもらえて嬉しいよ」
「いえ、だって頑張って罪を償ってこられたんですから当然です」
「なあお嬢さん、やっぱり俺はあんたに礼がしたい」
「ええ!? あの、ほんとうに大丈夫ですよ? むしろここまで連れてきてもらったお礼ですし」
「いやいや、風呂と着替えは当然ながら、それ以上に俺なんかに労いの言葉をくれるお嬢さんの優しさに報いたいんだ」
「ちょっと」
「見たところこの屋敷はお嬢さんとそこのメイドの二人だけなんだろう? ここらで一つ男手は必要じゃないか?」
「いらないわよ却下よ不可よ受け取り拒否よ!!」
「必要です! いつもケリーさんに重い荷物を持ってもらったり、高い場所に置いてあるのを取ってもらったりで大変なんです」
「大変なのはアタシなんだけどぉっ!」
「だろ? こう見えて俺はそれなりに力はあるし、そこのメイドより背もあるから何かと役に立つ……ってことでどうだろうお嬢さん、俺を執事として雇ってはみないか?」
「はーっ!? アンタなんか下男で充分よ、ってかなに話進めてんのよ雇わないわよ今すぐとっととここから出て行きなさい!」
「いいんですか!?」
「だからよくないって!」
「あの……ええと、とっても嬉しいです! これからよろしくお願いしますアランさん」
「前、が付いてはいるけど、その辺はうまいことこっちで誤魔化すから。お嬢さんにそのテのことで迷惑はかけないようにするから安心してくれ」
「なにひとつこれっぽちも安心できないんだけど!? っていうかアンタらアタシの話を聞きなさいっての!!」
ケリーの血管は最早切れそうだ。
だってそうだろう。王都でも老舗のエバンス商会。そこの主人は病人で、一人娘はこのポンコツっぷり。その財を狙う輩は無限にいる。そんな連中から娘を守り、財産を守ってきたのは他ならぬケリーだ。
「当たり前じゃないだってアタシの取り分が減る!!」
誰にともなくそう宣言し、守り続けること十年以上。
ケリーの過去を知る者がいればきっとこう言う――アイツは悪党になりきれない小悪党だからと。
結局の所人が良すぎるのだ。仲間達といた時こそ分け前だからと受け取ってはいたが、一人になってからは基本的に盗みはしていない。どうしても食い扶持に困った時に、裕福な身なりの人間から少し財布を拝借し、必要な分だけ頂戴して後は「落としましたよ」と親切面をして返していた。
そんなケリーが、むざむざと財産を食い潰されそうになっている年若い娘を見捨てるなどできるわけもなく、最終的にクレアを守る鉄壁のメイドとなってしまった。
「年若いっていうかもうあれ赤子よ赤子! どんな悪党だって目の前で赤ん坊が崖から落ちそうになってたら助けるでしょ!? それと同じ! 人として最低限のことをしてるだけなんだから!」
そんな言い訳も幾度となくしてきた、自分自身に。
他の誰にも言ったことはないのに、けれども突如湧いて出てた男には筒抜けの様で、クレアと会話しつつもケリーへと顔を向け、心底腹の立つ笑みを浮かべている。
コイツ絶対ぶっ潰す――!!
声に出来ない殺意を視線へ乗せ、ケリーは今ここに新たな戦いの幕が開けたのを痛感した。