寄宿舎に行ってみた
「でっけー…」
馬車に揺られ、連れて行かれたその場所には見たこともないような大きくて、煌びやかな建物があった。寄宿舎は魔術師団の研究所の中にあるらしい。
その建物を目の前に、まるで上京したばかりの田舎娘のように見上げながら呟いた。
そんな様子を見たサラさんはくすりと笑う。
「驚きますよね。私も配属されたばかりの頃は驚きました。」
あの気まずい馬車の中でも、マイペースに過ごす娘達の面倒を見てくれていたサラさんは、だいぶリラックスしたらしくようやく笑顔を見せてくれるようになった。どれもこれも初めて見る物ばかりで、興奮する私たちにサラさんは丁寧に説明してくれた。
アイはすっかりサラさんのことが大好きになっているようで、サラさんと手を繋いで色々な物を見せてもらっている。
シリウスさんはずっと上機嫌なようで、ニコニコしながら私たちの後ろを歩いている。
ルウさんに怒られ殴られ、私に水をかけられても尚上機嫌でいられるその図太い神経には呆れてしまう。
サラさんにまず連れてこられたのは人間の力で開けられるのか疑問に思うような、大きくて重そうな扉の部屋だった。
なんでも客室を使うにも許可が必要らしく、まずは魔術師団の団長さんに挨拶をしなければならないらしい。
サラさんは、ふぅ…と小さく深呼吸をして、控えめに扉に触る。すると触れたところが青白く光り、ゆっくりと扉が開いた。
ギョッとしていると、後ろにいたシリウスさんが説明をしてくれる。
「この扉は掌から魔力を込めると開けることができるのですよ〜込められた魔力の情報から、誰が開けたのかも分かるようになっていますよ。」
魔力は人それぞれのものらしく、その情報をこの扉は読み取ることができるらしい。先程、私たちが行った通過儀礼と同じようなものらしい。
私たちの世界で言う、指紋認証とかに近いのだろう。
「おや、シリウスも一緒にいるのかい?」
サラさんがお辞儀したのに習い、私もお辞儀をして室内に入る。まるで図書館のような本に囲まれた部屋の中には、見るからに魔女という感じのお婆さんが座っていた。
白くて長い髪は頭の高い位置で括られ、括られた髪は緩やかなウェーブを描き広がっている。おでこのあたりには少々遅れが出ており、キラリと光金縁眼鏡が乗っている鼻は、鼻先がやや尖った鷲鼻だ。
マントから伸びる手はシワシワで、細い。
こんなお婆さんでも、所作が丁寧でとても美しい。思わず見惚れていると、お婆さんは眉を顰め、ため息をついた。
「…サラ。シリウスは、今度は何をやらかしたんだい。」
鋭い目付きで睨まれ、ガチガチに固まってしまったサラさんの代わりにシリウスさんは自己申告した。
「いや〜、聖女召喚、やってみたら出来てしまって〜」
このお婆さんを前にしても相変わらずこの態度である。
お婆さんの態度からするに、本当にこの人は日頃から迷惑をかけまくってんだろうなと推測できた。
シリウスさんの言葉を聞いたお婆さんは、一瞬固まり、ゆっくりと私たちの方に目をやる。愛は怯えてサラさんの後ろに隠れているし、私も望を抱きしめて固まってしまった。
こ、こわい…。
蛇に睨まれたカエルとはこんな状況のことを言うのだろうか。
冷や汗をかきながらじっと待っていると、お婆さんはこちらを見つめたまま、シリウスさんが頭を乾かした時のように人差し指を立てて軽く振った。
すると大きな音を立ててシリウスさんの上に大量の本が落下した。しかも一つ一つが辞書レベルの。
「こんのバカ者があああああああ!!」
部屋全体が揺れたような気さえもするその大きな声が響く。
「バカだバカだと思っていたが、これ程までのバカだとは思いもしなかったよ!!この大バカが!!」
「も〜団長危ないじゃないですか〜」
あれほど大量な本を落とされても、ケロッとしてるシリウスさんに、お婆さんの怒りは加速するばかりで、ガミガミと怒鳴り続けている。
その迫力は凄まじく、望はついに泣き出してしまった。
「ぅぎゃあああああああ!!」
耳鳴りがするような大きな声で泣いたので、私と愛以外は耳を押さえている。私たちは割と慣れているので望をあやすことに全力を注ぐ。私は望を抱えて上下左右に揺れ、愛は優しく声をかけたり、いないいないばぁをして気を逸らしたり…きっと今のような状況のことを、カオスというんだろうな。
途中からサラさんもあやす方に参戦してくれて、手品のように花を出してくれた。それに興味をそそられたのか、望は泣き止んで、なんとか話ができるような状況になった。
耳を押さえて、さらに頭も抱えている団長さんには申し訳ない。
元々お婆さんだったけど、さらに老け込んでしまったように見える。どうしたもんかと思っていたら、愛がお婆さんのところに近付いていった。
愛ちゃん、あんた本当にすごいわね。
「これ、あげる!」
愛の小さな手には、サラさんが出してくれた花がいくつか乗っかっていた。黄色やピンクの可愛らしい色合いに、サラさんらしさを感じる。
お婆さんは驚いて愛の顔を見ていたが、ふっと表情を緩めて花を受け取ってくれた。
「ありがとう。あんた、名前はなんて言うんだい?」
「あいちゃん!あいちゃんはよんさいだよ!」
「そうかい。あたしゃ、ミルドレッドだよ。今度はあそこのバカが迷惑をかけたね。」
わしゃわしゃと愛の頭を撫でてくれているお婆さんはミルドレッドさんと言うらしい。話を聞いてくれそうなので、私も望と一緒にミルドレッドさんの方へ向かう。
「初めまして。私はこの子たちの母親の光と申します。こっちは妹の望です。」
「おや、母親だったのかい。」
少し驚いたような顔に苦笑する。ほんの少しの間に驚いたような顔を何度も見ているので血圧とか心配になる。
とりあえず落ち着いたようなので、私からの視点で分かっていることを説明した。
よく分からないが異世界召喚に巻き込まれてしまったこと、演習場付近の小屋で起こったこと、魔術師団で面倒を見てもらいたいこと、詳しい検査や話は明日聞くので今日は出来れば早めに休ませて欲しいことを伝えた。
「本当にすまなかったねぇ…」
団長のミルドレッドさんは本当に申し訳なさそうにして、私の頭まで撫でてくれた。人に撫でられたのなんて久しぶりで、鼻の奥がツンとする。
夫が死んでから、今までずっと頑張ってきた。もちろん辛いことばかりでも無いし、手を抜けるところは抜いてきた。それでも、私と娘2人の生活を守ることに必死だった。私だけの小さな世界がついさっき、面白半分に壊されてしまったのだ。
もちろん、悪意を持って私の生活を奪ったわけではないのは分かっている。ただ、納得は出来ないし、行き所のない怒りは湧いていた。それでも、私は私の大事なものを奪った人に縋って生きるしか、今はできない。その悔しさが、じわりと胸に広がる。
「あたしのことは、ミルドレッドさんとでもお呼び。ここではあたしがあんたのばあちゃんになってやる。すぐに部屋を用意するから、今日は早く休みな。」
まだ、心から信じることはできない。それでも、心からこちらのことを心配してくれているミルドレッドさんの言葉に、少しだけ気が抜けてしまった。
声を出すと泣いてしまいそうだったから、頷いてみたら、その拍子に私の目から涙が一粒、床に落ちて小さなシミをつくった。
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