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びしょ濡れのシリウスさんは目をまん丸にしてこちらを見た。サラさんは更に目を潤ませ、顔を青くしていて、可哀想なことをしてしまった。ルウさんとライドンさんは口をあんぐりと開けている。
でもね、もうそんなこと関係ないの。娘たちも休ませてやりたいし、私だってもう休みたい。
訳の分からないところに連れてこられて、碌な説明も受けられず、ただ周りが大騒ぎしてるだけでほぼ放置されている。
おかしいでしょ、どう考えても。
「盛り上がってるとこ悪いんだけどさ、あたしらが住んでたところとは時間軸が違うわけ。今はこっちが何時だかも分かんないけどさ、私は夜の7時くらいにここに連れてこられてんの。娘たちの就寝時間は通常なら9時半。分かりますか?2時間半でお風呂に入って、髪乾かして、歯磨きして、寝かしつけんのよ。やることあんの。こんなところでほったらかしにされてる時間は無いわけ。私たちは日中活動してからここに来てんの。あんたらは仕事中なんだろうし、大事なことっぽいから勝手に話してればいいけど、あたしらのことは面倒見てくれんだよね?だったらとりあえず一旦休ませてくれない?限界なんですけど。」
ぶん殴ってやりたいくらいだけど、それはさっきルウさんがやってくれたし、私がわざわざやることでもない。ただ、黙ってその場をやり過ごせるほど大きな器も持っていないので思いの丈をぶち撒ける。
聖母だ?聖女だ?知らねえよ!
よそ行きの仮面をひっぺがして、素の口調で捲し立てた。
ポカーンとしていた4人は言葉が出ないようでこちらをただ見つめているだけだ。その沈黙を破ったのはまたもや我が家のアイドル、愛ちゃんだった。
「ママ、こら!」
可愛らしい声で怒りながら、どこから持って来たのか雑巾をシリウスさんに渡した。
「これでふいてね!」
雑巾をいい笑顔でシリウスさんに渡す愛ちゃんは満足気な顔をしている。
ぞ、雑巾。
「…ぶっ…ははははははは!」
吹き出して大爆笑したのはライドンさん。気持ちは分かるが、そんなに大爆笑したら愛ちゃんが可哀想だろ!一生懸命考えて行動したのに!!
しかし、ライドンさんの笑い声がきっかけで場の空気がすっかり和らいだ。
愛はキョトンとしている。
「流石は癒しの聖女様ですね〜アイ様、ありがとうございます。」
そう言いながらシリウスさんはにこやかに雑巾を受け取った。愛はにっこりと笑ってとても嬉しそうにしている。
「しかし、私は魔法使いなので、雑巾…タオルは無くても大丈夫なんですよ〜見ててくださいね!」
シリウスさんは愛と同じ目線までしゃがんで、人差し指を立てる。そしてその指を軽く振ると、温かい風が吹き、シリウスさんの髪がサラサラと揺れた。するとあっという間に私にかけられた果実水が乾いてしまった。
「わー!すごい!かわいてる!」
愛は目を輝かせて、シリウスさんのサラ艶髪に触っている。もしゃもしゃと髪を触られているシリウスさんはなんだか犬のようだ。
愛が満足するまで触らせてくれると、洗浄魔法と乾燥魔法をかけて綺麗にしたのだと説明してくれた。
へー。と思って聞いていると、くるりとこちらを向いて愛がそばに寄って来た。
「ママ!おみずやっちゃだめでしょ!ごめんねしな!」
長女らしく正義感溢るる言葉で私が叱られてしまいました。
まぁ確かに、もし娘たちが同じように水をかけたら怒るかもしれん。かけた相手にもよると思うけど。
しかし、ぐっと堪えて謝罪することにする。
「ごめんなさい。」
これっぽっちも反省などしてないけど、またもや愛は満足そうにしているのでいいでしょう。
そんな様子をライドンさんは大笑いして見ているし、ルウさんもサラさんも微笑ましげに見ていた。
いやそんなこといいから早くして。
げんなりした表情をしていると、やっと泊まるところに連れて行ってくれることになった。
最初、シリウスさんのお家に行くように提案されたが断固拒否した。どんなことが起こるか分からないので観察したいようで強く勧められたが、絶対休めないだろうと思って断らせてもらった。
ならばと、魔術師団の宿舎に泊めてもらうこととなった。
なんでも客室があるらしく、そこなら子供が騒いでも大丈夫だろうと言うことだった。
それはとてもありがたい。愛は一度寝たらなかなか起きないので心配はないが、問題は望だ。
望は夜泣きすることがある。望の夜泣きはこの世の終わりかと思うくらいにデカくて絶望的な泣き方だ。そんな泣き声で泣かれては周りの人を起こしてしまうかもしれないと思ったからだ。
幸いなことにサラさんが部屋のものの使い方などをある程度説明してくれるらしい。
ルウさんとライドンさんは一旦ここでお別れし、また後日会うこととなった。
「ヒカリ様、アイ様、ノゾミ様。この度は誠に申し訳ありませんでした。」
ルウさんが改めて謝罪をしてくれた。ライドンさんも一緒に深く頭を下げてくれる。もうここまで来たら仕方がない気もするし、頭を上げてもらうように頼む。
「正直なところ、素直にいいですよ、大丈夫ですよとは言えませんが、なんとなく…色々把握したので…これからよろしくお願いしますね…」
把握したのはシリウスさんがめちゃくちゃ問題児だということですね。
苦笑しながらそういうと、ルウさんたちは申し訳なさそうな顔をして、しょんぼりしている。
挨拶もそこそこに2人とは別れる。
先程転移魔法で連れられて来たところは演習場の近くにあった小屋だったようでそこから寄宿舎は少し離れたところにあるようだった。
魔術師団の方々は通常なら転移魔法で寄宿舎へ移動するようだが、頼み込んで馬車を手配してもらった。
馬車に乗るのも初めてなので緊張する。娘たちは馬を近くで見るのが初めてだったので大興奮で、あまりにも近寄るもんだから踏まれたり蹴られたりしないか心配だったがとても温厚な馬のようで撫でさせてもらえた。
馬車の中では私が望を膝の上に乗せて座り、愛は向かい側にサラさんと一緒に座っている。一緒に遊んでもらえたのがよほど嬉しかったのだろう。とてもよく懐いている。
問題はなぜシリウスさんが私の隣に座っているということだ。
本当はシリウスさんと一緒に行くのも嫌だったが、魔術師団の副隊長よりも隊長の客人として寄宿舎に行った方がいいだろうと言いくるめられて一緒に行くことになった。
隊長と副隊長だったらそんなに変わらないんじゃないの?とも思ったが、こちらの世界の都合など全く分からないので、私が我儘を通した時にどのような影響が出るのか全く分からない。泊まれないなんてことになったらそれこそ大事なので大人しく従うことにした。
愛がサラちゃんと座る!とサラさんの手を引いてあっという間に座ってしまったのでこんなことになってしまった。
気まずい思いをしているのは私だけのようで、シリウスさんは相変わらずチェシャ猫のような笑みを浮かべて上機嫌で座っている。
寄宿舎へ着くまでの我慢だなと思いながら、大して変わりもしない窓の外の景色を眺めて、また盛大なため息をついてしまったのだった。
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