4
出現した紙オムツはいつも使っているものとは違い、少々ごわついたものの、難なく使うことができた。
う、嬉しい…!!!
やはり慣れ親しんだ物の方が使いやすい。
「夜ももしかしたらオムツが必要になるかもしれないので紙とペンをお借りしたままでいいですか?」
「でしたら、新しいものをご用意しましょうか?」
「あーサラさんも使いますよね。すみません。お願いできますか?」
「分かりました。団長へ報告ついでにもらってきます。」
サラさんには私が描いたドライヤーと紙おむつの絵、それから出てきたドライヤーを持たせる。その際、絶対見えないようにマントの中にしまってもらった。マントの中でドライヤーを抱えているので見るからに怪しいが、ミルドレッドさんのところに行くくらいだったら大丈夫だろう。
よろしくお願いしますと頼んで、私は娘たちとのまったりタイムに入る。
望を膝の上に乗せてベッドに座り、愛はその隣で横にさせる。
愛の頭を撫でながら今日会ったことを振り返る。これは前の世界に住んでいた時からしていることで、振り返りなんて言ったら大袈裟だが、その日あった楽しかったことを愛から教えてもらうのだ。
「あいちゃん、サラちゃんと遊んだ!シールスもすごい!」
シールスとはシリウスさんのことだろう。たくさん喋るようになってはきているが、まだまだ拙い言葉遣いをするのが愛おしい。
「そっかー何が一番よかった?」
「んーお花が歩いたやつ!」
頬を赤くしながら興奮気味に話しだす。
今日あった保育園での出来事はすっかり忘れてしまったかのようだった。
そりゃこんだけ色んなことあったらそうなるか…あまりにも熱意のこもった説明についつい笑ってしまう。
一生懸命話していた愛ちゃんはだんだんと眠くなってきたらしく、瞬きの速度が落ちてきた。
そこまでなれば、もう眠るサインだ。優しく体をトントンと叩くと、うとうととし始めた。
「愛ちゃん、生まれてきてくれてありがとう。大好きだよ。」
これも毎日伝えてる言葉だ。
どんなことがあっても、私は娘たちにこの言葉を毎日かけている。
愛されているということを実感して欲しいからだ。自己肯定感は幼い頃からの積み重ねで高めることができると思っている。協調性は大切だが、周りのことばかりを気にして、好きなことを思い切りやることを躊躇するようになって欲しく無い。
せめて私だけは何があっても愛しているということを伝えたいのでる、毎日伝えているのだ。
半分寝ている状態でも言葉は届いたようで、愛はふにゃりと笑ってそのまま眠りについた。
望はいつも愛が寝てから眠りにつく。
カーテンを閉めても、外はまだ明るいので隙間から光が溢れる。
その光を見ながら、望を抱っこしてゆらゆら動く。
淡い光の筋に反射して、細かな埃が舞っている。やはりそういう光景はどこにいても同じなんだなとぼんやりと思う。愛の寝息だけが聞こえる静かな空間で揺れる光は心を穏やかにしてくれた。
それは望も同じだったようで、疲れているのもありいつもよりは早く寝付いてくれた。
寝付いたからと言ってすぐにベッドに下ろすわけにはいかない。
深く眠りにつくまで抱っこしてそのままじっと待つ。
コンコン
控えめなノックの音が響く。望を片手で抱えなおして、娘たちを起こさないように、静かに扉を開く。
顔だけだけ出すと、サラさんが立っていた。口元に人差し指をあてて静かにしてもらえるようにジェスチャーで伝えると、サラさんは両手で口を押さえた。
その仕草が可愛らしくて笑いを堪える。
室内へ入ってもらうように促して、ミルドレッドさんへ報告した際のことを聞く。
「団長でもこのスキルは初めてのケースのようです。」
「そうですか…」
本当に面倒なことになりそうだな。
そんな思いが顔に出ていたのか、サラさんは申し訳なさそうにしょんぼりした。サラさんが悪いわけでは無いのに、そんな顔をさせてしまったことに胸が痛む。
大丈夫だと伝えたくてサラさんの頭に手を置く。
身長はサラさんの方が少し大きいくらいだったのだが、年齢はだいぶ年下だ。たぶん。
そのまま軽くポンポンすると、サラさんはびっくりしたような顔をした後、柔らかく笑ってくれた。
そしてノートとペンをテーブルの上に置いて部屋を出て行った。
明日、私たちが何時に起きられるか分からないので、サラさんが起きた時間に起こしにきてもらうようにお願いした。こちらの世界の生活リズムに無理矢理にでもしなくちゃいけない。
サラさんには色々頼んでしまって申し訳ないが、快く引き受けてくれたのでホッとする。
なんとか深い眠りに入った望をベッドに寝かしつけ、持ってきてもらったノートとペンを手にする。
そのノートとペンは、私がとんでもない力を手にしてしまった証のような気がして、随分と重く感じだ。
私は今、あることを試そうとしている。絶対にしてはならないことで、きっと成功しないことだろうとも思っていた。
それでも、試したい。
自分の鼓動がうるさく、心臓なんか痛いくらいだ。
ノートを机の上に広げて、ペンを握った。
元いた世界から辛うじて持ってきていた携帯のホームボタンを押す。
すると画面が光ったので無事使えることが分かった。もちろん圏外で、通信用としては機能しない。
私が携帯を開いたのは写真を見るためだ。
数枚だけ残っている夫の写真を開く。
付き合っていた時のもの、結婚した時のもの、愛が生まれた時のもの…
笑顔の写真が多く、思わず画面をなぞる。
ノートの横に携帯を置いて、その写真を見ながら夫の顔を描く。
どうなるか分からない。
でも、この世界に、この力に賭けたかった。
もう一度だけ会わせてほしい。
娘たちに会わせてあげたい。
それだけを考えていた。
描き終えて、目を瞑った。
ボンっという音がしたので、深呼吸をしてから目を開ける。
そこにはたった一枚、写真があるだけだった。
私の大好きな優しい笑顔の夫の写真が一枚、あるだけだった。
「写真…か。」
心から夫に会えるとは思っていなかった。だって夫は死んでいるのだから。
どこを探しても、もう居ないのだ。
携帯の電池がなくなってしまったらもう見ることができないであろう写真をこういう形で手に入れられたのだからよかったじゃないか。
頭でそう考えようとしてもダメだった。
本当は、期待していた。
会いたかった。
会いたかったんだよ。
私が愛して、私を愛してくれた人に。
写真に手を伸ばしたが、指差が震えているのに気付き、手を握りしめた。
体の力が全て抜け落ちてしまったかのように、椅子に座り込んだ。
力が抜けると、気も抜けるようで、ポタポタと落ちてきた。
娘たちはもう寝ており、起きて部屋にいるのは私だけだ。
もう我慢する理由が見つけられず、涙を止めることができなかった。
声を出さぬように歯を食いしばりながら、泣いた。
叫んでしまいたかった。
会いたい、助けて。
大声で泣いてしまいたかった。
それでも、私は母親だ。
娘たちを守るのは、私だけだ。
その気持ちだけで、声を抑え込んだ。
どうか、誰にも気付かれませんように。
どうか、今だけは、泣くのを許してください。
どうか、明日からは強く生きますから。
どうか…
誰も聞いてはいないのに、それでも誰かに懇願するように、祈るように、気が済むまで泣いた。
泣き止んだ頃にはもう目が開かないくらいに、瞼が重くなっていた。
明日はきっと腫れてしまうだろうなと他人事のように思ってからベッドに入る。
子供たちの体温で温められた布団は暖かく、心を穏やかにさせてくれる。
ゆっくりと上下する胸を眺めて、2人の頭を軽く撫でた。
「おやすみ。」
そう呟いて、私も眠りについた。
読んでくださりありがとうございます!