王太子妃のプライド
公の場では良好な関係を装うこと
公の場以外で身体に触れないこと
公の場以外で名前を呼ばないこと
予算以上の金銭の要求はしないこと
夜伽は行わないこと
これを守れるなら私、ルーズベルト・フォン・フロウスの名において君の立場を保証すると約束する
政略的にだが、幸福な未来を築こうと結ばれた婚姻だと思っていた
婚姻式を終えサファイア・フロウスとなり初夜へと整えられた私は彼の言葉にただ唖然と冷たい青い瞳を見つめ返す事しか出来なかった。
「君が好きだ」
人目を避ける様に咲き誇る薔薇に囲まれた東屋で明日訪れる諸外国の客への対応を話し合い、情報の擦り合わせも終わり残り僅かな冷めた紅茶を飲み干すかと言うところで彼が私の座るベンチの横に膝を付き紅茶を取ろうと少しあがった私のレースの手袋に包まれた右手を取ると目を合わせそう言った。
優秀な私の侍女も入り口に立っていた彼の騎士も彼の突然の行動に少し動じた様だがすぐに持ち直し気配を圧し殺した。
そして言われた私はというと、夜は明日の為に軽くお浚いしなくては等と考えていた為少しばかり内容を理解出来ず重なった手に驚いて彼に向けていた目がゆっくりと瞬きを繰り返す
(はぁ?)
それが我に返った私が、いつもより顔を赤らめた曲がりなりにも女性である私より美しく整った面立ちに枝毛1つ無さそうな輝く金の髪、まるで晴れやかな日の空の様に澄んだ青い瞳をもった白いシャツに紺のスラックスとシンプルな服装でも何処か気品が滲み出るまさに大輪の薔薇の様な王子様!と言わんばかりの彼に抱いた感想だ。
いや、彼は実際にこの大国の王子様、間違う事なき第一王位継承者の王太子殿下なのだ、そんな彼が政略的にでも王太子妃である私に向ける言葉であるのだから、普通ならば私も顔のひとつでも赤らめ殊更に幸せそうにその言葉を受けとり微笑み返せば良いのだろう
しかしそれは普通であるならば、だ。
私達は普通の関係では無い、政略であるのは勿論だが、其処に契約が加われば二人の関係は対外的には仲睦まじく見せてはいるがそれはお互いに利益の上で装っている姿であり、初夜を越えて2年以上経つ現在でも身体は清いままという事実から御察しだろう。
さて、ならば何故、彼はどの口で私に愛を語るのだろう?
身に染みた王族としての笑みが崩れそうになるも流石にあからさまに顔に出すことは出来ないので左手で口元を隠す
「君が嫁いで来たときに僕が言ったことは本心だった、それを申し訳無く思っているし後悔している。それでも、僕はリリーと過ごして変われた、これからは君と愛を育みたいと思っている、どうか僕を見てはくれないだろうか…」
美形な王子様に手を取りかしづかれ上目遣いで愛を請われるのはどのような女性でも胸にときめきを覚えうっとりと頷き返すのだろうか?と女性に対して失礼な事を考えてしまう私はやはり私の侍女が言う様に少しおかしいらしい
今まで失礼だと思っていたがこれからは甘んじて受け入れよう。
女性にだって好みはあるだろうから全ての方がときめくのは違うだろう、彼に憧れる女性に限るの方が…と若干現実逃避をしていたのだが彼の問うような視線に小さく息を吐く
「…それは、ご命令でしょうか?」
「っ…、いや、命令では…、やはり許してはもらえぬだろうか」
眉を下げた少しばかり情けなく苦笑を滲ませる表情も彼ほどの美形だからか絵になるな、などと思いながらも命令では無いことに安堵し目を伏せ言葉を続ける
「無礼を承知で申し上げますが、ローズ…いえ、殿下が私に本気で好意を寄せているとお思いならば、それは恐らく勘違い、でございましょう」
態々仲を悪く見せない為といつも呼んでいる愛称を殿下と言い換えた事で聡い彼は私との距離を再確認したのだろう僅かビクりと動いた身体に動揺が見えた。いつも余裕そうな彼の態度を崩せたというだけでも溜飲が下がる思いがする
「殿下が女性に嫌悪感をお持ちになっている理由などは以前お聞きしましたので大変お気の毒かとは思いますが、私に好意を抱いたという認識にあたり殿下は殿下のお約束をお守りしている私だからこそそうお思いになられたのです、つまり勘違いをしただけですわ、もし、私が殿下のお約束を破ることがあったなら、従順な女でなければ殿下が私に好意を抱くはずもなかったでしょう」
殿下の約束と言ったのは態とだ、あの日の彼からの言葉は私が嫌だと思っても覆らない殿下からの一方的な約束、言い換えればただの命令だったはずだ。
そしてそれは私の約束を合わせて契約になった。
今でも鮮明に思い出せる。
彼と私の距離を明確に分けるあの日は少なくとも私には一生忘れることは出来ないだろう。
「ああ、それともそのお言葉も私を操りやすくなさる為なのでしょうか?この国を裏切り母国へとおいそれと寝返ることのないように?今更その様な事をなさらずとも私は2年前にこの国に嫁いできた身、この国に身を埋める覚悟なれば母国リヴィアに売るような真似は致しませんのでご心配なさる事はございません」
恐らく私は怒っているのだろう、殊更に笑みは深くなるが口から出てくる言葉に制御が出来ていない、頭で一度考えて発言しなければと片隅で思いはするのだが…
しかし自分の言葉だが、なるほど、そう考えればこの2年を過ごす中でも信頼すらしていただけなかったのかと些か不愉快だが納得出来る理由ではあるなと殿下に顔を向けると更に眉がハの字に下がっている、まるで困っている様だが少し上がった口角だけが普段の顔を残している流石諸国の王族とも引けを取らない外交もこなす王太子殿下である、あと本当に腹が立つほど顔が良い。
あ、もしかしたら好きな方が出来たけど私にああ仰った手前反感を買わない様にかしら?腐っても私は他国の元王女、お相手様が傷付けられても下手に切って捨てるわけにもいかないものね、と考えた事が顔に出たのか彼からは微笑みすら消えた。
何故傷付いた顔をするのよ。
なんだか泣き出しそうな迷子の様に見えて此方が罪悪感を刺激される。
早くこの手を離していつも通り冗談だよとか言って帰ってくれないだろうか?
これ以上彼に悲しい顔をさせるのは本意ではないのに…
「この身は既にこの国の駒でありますれば、生かすも殺すもこの国の為に成りますのならば側室様でも他国へ人質でもどのような事でも受け入れま「リリー!」」
まるでその先は言わせないというように突然大きな声を出し立ち上がると肩を捕まれる。肩に置かれた手の力に思わず顔をしかめれば殿下ははっとしたように手を離し所在無さげにゆっくりと降ろした。
握りこまれた手に何故か目が離せない
「…すまない、でも君は僕の妃だ。流石にその様な言葉は」
「…いえ、言い過ぎましたわ」
二人が黙り込んでしまえばこの場所に声を発する者は無くなる、気まずい空気にいつもは心地好い仄かに花の香りを纏わせた風も今は些か肌寒く感じるだけである
暫くどちらも動かず1秒すら長く感じていたが見続けた彼の手が少しずつ開かれると同時に彼が口を開く
「本当にすまない。リリーにその言葉を言わせるのもそう思わせるのも僕の自業自得だということはわかっている。」
壊れ物を扱う様に私の頬に優しく触れる彼の手は想いが篭っているかのように熱くその手に導かれ顔を上げれば切な気に揺れる青に映る私は困惑の表情をしていた
「それでも、僕は君を諦めきれそうにないんだ…、リリーが許してくれるまでいつまででも待つよ」
「…そんな訳には参りませんでしょう、貴方は王太子なのですから」
言外にお世継ぎの事を滲ませる、私に愛を語るのならば女嫌いを克服したのだろう、それならば次はお世継ぎという話になるが私にはその気は無い、側室を何人召されても構わない、その子のいずれかを養子として正室の子とすれば良い、流石に元王女の正室をすげ替えるのは国内外どちらにしても体面が悪いだろうし。その私の空気を察した彼は力なく首を振る
「リリー以外の女性をこうして愛するのも触れるのもこれから先も無理だと思う…僕はリリーだから好きになったし触れたいと思う。だから他はいらないよ、君が欲しくないというなら世継ぎだって弟達もいるのだから今迄通り気にしなくて構わない」
「それは…許されないのでは?」
彼にそこまで思われる意味が分からない私は彼の言葉に唖然と呟く
「…これはこの国の為に生きると決めた僕の最後の我が儘だからね」
そうして彼は私の頬を撫でる様に名残惜しげに滑らせ、見たことの無い微笑みを浮かべると「また明日」と去っていった。
あれからどれだけの時間がたったのだろう、既に彼の姿が見えなくなってからも長いことそのまま呆けていた気がする
漸く私の時が動き始めたのは母国からただ一人着いてきてくれた侍女のシューゼが興奮気味に私に話し掛けたからだった
「サフィ様!」
「…シューゼ、声を抑えて誰が聞いているかもわからないわ」
やはり私の一番近くに居た彼女には気付かれていたのかと内心ため息を吐きながらも素早く彼女の口を人差し指で押さえる、誰にも知られるわけにはいかないのだ、例えば私の見えない護衛として付けられてる筈の彼の影であるならなおさら。
私の制止にそれでも言いたいのか昔から内緒話をしていた時のように私の耳元に顔を寄せ唇を読ませないよう両手で囲うととても小さな声だがしっかりと話す
「王太子殿下がサフィ様をお好きだと仰ったのです!私はサフィ様をずっと側で見ておりました、サフィ様のお心が殿下へ向かわれているのは存じております、隠そうとなさっているのも…私はあの日二人で泣いたことも決して忘れてはおりませんし正直サフィ様を傷つけた殿下を未だに好きにはなれません。でも、お二人は想い合っていらっしゃるではないですか、何故頑なにお心を返そうとなさらないのですか?サフィ様がお幸せになる為にも王太子殿下へサフィ様のお心をお返しなさっても良いではないですか…」
私から離れたシューゼの少し強張った顔は納得出来ないのかどうして?と問うてくる
そう、あれから契約通りに彼に感心を抱かない、まして恋なんてしないと思っていたのに彼の仕事ぶりや民への思い、国への献身を近くで見聞きしていくなかで報われるはずもない想いは少しずつ募っていた、もしかしたら今すぐ彼を追い掛けてその手を掴みこの想いを伝えればあの日描いた幸福を掴めるのかもしれない、でも、それでも、と思う
あの日バラバラになった私はもう元には戻らない
だから子供じみた意趣返しと分かっていも瞳の色とあわせて『不可能』となる花の名で彼を呼び、あの日から黄色を纏う私を似合いもしない花の名で呼ばせているのだから
「だって、2年前の私がとても可哀想じゃない…」
「…出過ぎた事を申しました」
何でもないように微笑んだつもりがシューゼは申し訳無さそうに頭を下げる、お仕着せの前で重ねられてる手が小さく震えてるのは彼女が私の為に感情を抑えてくれてるからだろう
「ごめんなさいね、この国に来てくれたのが貴女で良かったわ」
固く握り締めた彼女の手が傷付かないようそっと重ねると涙を流すまいと力の入ったシューゼの顔を下から見上げる、その顔を私の為にしていると思えば嬉しくて思わず笑ってしまったら、今度は頬を膨らませる
いつもは何事にも動じない優秀な侍女なのに二人の時は昔のように親友でもあろうとしてくれる、こんなお飾りの王太子妃に着いてくる予定ではなかったろうに、それでも私の為に怒ったり泣いたりしてくれる彼女には申し訳無く思う反面ずっと感謝している。
幾ら相手からの要望であっても王族同士の政略結婚なのだから愛し愛されるなんて夢を抱けるほど子供ではなかった、それでも伴侶として支え合えれば良いと、国を繋ぐ良き架け橋になれるならと、柄にもなく期待していた分とても傷付いたのだ、正直誰でも良かったのなら何故私なのか?とも自分本意に憤ったりした。国の利益でもない、彼に想われてもいないならば!と。
しかし、それも3ヶ月もすれば対外への対応を含めもう結婚してしまったのだと自分に言い聞かせ必死に心に折り合いを付けた
それなのに、ああ、本当に今更だ、彼はああ言っていたけれど果たして私は彼に心を返せる日が来るのだろうかこれからの日々を思うと少し陰鬱な気分になってしまう。
「さあ、明日は諸外国の皆様がいらっしゃるわ、今日は早めに寝てしまいましょう」
それでも私は王太子妃として微笑むのだ。
ああ、そういえば身体に触れられてしまったわ、契約違反ね
初小説&初投稿で書きたいとこだけ。
読み専なので作者様方にはいつも楽しませて頂いています、ありがとうございます。
自分で書いてみて更に書き手様の有り難みが増しました。
誤字脱字等ありましたら申し訳ありません。